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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(23)見付宿→浜松宿

こんにちは。ぽん太です。昨日に続き、見付から先に進みます。ようやく23日目にして、全道中の半分の地点(250km)に到達しました。


旅日記

 2023年5月2日。GW歩き旅2日目。宿を8:00に出発。磐田駅前の善導寺の大クスは推定樹齢700年以上というもので実に見事。それにしても、東海道沿いの大樹の多くが楠なのはなぜだろうか。
 天竜川までの一直線の街道を1時間ほど歩き、若宮八幡宮で小休止。境内の松の並木もなかなかのものであった。また、このあたりは槇の木の生垣をよく見かける。千葉の館山を歩いていた時も同じように防風林としての槇の木の生垣が多く見られたが、この地も「遠州の空っ風」というように風が強いのだろう。

善導寺の大クス@JR磐田駅前
ここにも立派な屋形の秋葉山常夜燈が
若宮八幡宮の松林
槇の生垣
「長森かうやく」という薬を作っていたお店の跡地

 昔膏薬(長森かうやく)が売られたと言われる長森から北上。少し街道から外れ、池田渡船場跡池田の渡し歴史風景館(10:00)などを見学する。かつて、一言坂(ひとことざか)の合戦で武田信玄に敗れ池田まで逃れてきた徳川家康を池田の人々がかくまい、川の西側まで逃れさせたという。それ以来池田の舟形に渡船の特権を認めたと伝えられている。(似たような話が、藤枝でもあったような・・・・)

天竜川河川敷
池田の渡し歴史風景館
天竜川渡船のイメージ@池田の渡し歴史風景館

 その後、熊野(ゆや)の長藤を見に行ったが、残念ながら藤の時期は過ぎていたが、白藤などはまだ咲いていた。それにしても熊野と書いて「ゆや」とはなかなか読めないものだ。
 さて、今日の朝食をとるため、テレビ番組「秘密のケンミンSHOW極」でも紹介されていた「とん汁桝形(ますがた)」へ向かう。週末の昼食時は長蛇の列ができるということで10:40には到着したので並ばずに入ることができた。ここのメインはエキスたっぷりの豚汁で、おかずは好きなものを選ぶアラカルト方式。かつおのタタキ・しらすおろしを選ぶ。たしかに豚汁は濃厚な味わいであった。

熊野(ゆや)の長藤
白藤はかろうじて楽しめた
テレビでも紹介された「とん汁 桝形」
濃厚な豚汁だった

 腹ごしらえも済み、11時過ぎ店を出て、天竜川を渡る。東海道の通る天竜川橋には歩行者専用道路がないため、隣の新天竜川橋を渡る。ここも大井川同様1キロの長さもある橋で、渡りきるのに15分かかる。
 橋の途中、東京から250キロのポストがあり、距離的にはここが1号線の中間地点である。やっと半分か。京都はまだまだ遠い。

天竜川。川の色は濃い緑色だ。
日本橋から250km地点。やっと半分来たか・・・

 渡りきった対岸は中野町と言い、ここも江戸と京都の真ん中ということから町名がついたとのこと。昔ながらの建物が残されており、なかなか趣深い町である。特に伊豆の石で作られた蔵が残されており、珍しい。少し緑がかった縞模様のある石で、かつて天竜の木材を江戸へ運んだ廻船が帰りに伊豆で積み込んで流通させてたものと言われている。

伊豆石で作られた蔵
中野町はかつて軽便鉄道が走っていた
天竜川治水に尽力された篤志家、金原明善氏の生家・記念館

 その後単調な道をひたすら歩き、12:45浜松アリーナ前のコンビニでアイスとジュースの小休止。遠くに高くそびえるのはオークラ(アクトシティ浜松)だ。東海道歩き旅族にとっては、現代版一里塚といったところだ。そしてだんだん浜松の市街に入り、交通量や人通りも多くなる。

凧屋さん?
現代版一里塚?オークラアクトシティ
出世の街浜松

 14:20浜松城に到着。浜松城は徳川家康が29歳から45歳までの17年間在籍した城でこの間勢力を拡大し、その後駿府城に移った。また歴代の浜松城主は幕府の要職についたことからも「出世城」とも言われ、その名前のお酒も売られている。
 浜松城の石垣は、石をそのまま置いたような珍しい積み方になっているが、「野面積み」という方式のようだ。


浜松城
野面積みの石垣
天守閣からうっすらと富士山が現る!(2台のクレーンの間)

 1時間半ほどブラブラして、JR浜松駅近くの今夜の宿には16:30に到着。 
 明日から「浜松まつり」があるそうだが、やはり明日も距離を稼ぐことにしよう。昨夜はお弁当だったので、今夜は奮発してウナギを食べる。やっぱり本場浜松のウナギはうまい!

丸浜のうなぎ
私の旅のナビゲーター『ぬりつぶし 東海道五十七次の旅手帖』クラブツーリズム講師会事務局・監修(技術評論社)もついに2冊目(赤い方)へ。いよいよ後半戦に突入

記録

  • 総歩数:32,502歩

  • 実際に歩いた距離:19.5km

  • 訪れた宿場:浜松宿

  • 宿泊:ホテルセレクトイン浜松駅前

本日の行程

見付から浜松までのルート

広重の絵

浜松宿

「濱松 冬枯ノ図」  
1本の杉の木の傍らで火を焚き、休憩する旅人や人足たち。遠くに見えるのは浜松城。右の松林は、「ざざんざの松」と呼ばれた浜松名物の松林。昔、将軍足利義教が富士遊覧の途中、この松の下で酒盛りをしたとき、「浜松の音はざざんざ」と謡ったのがその所縁だと言われる。

(参考)


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