想像と創造のはざまで
毎年恒例になっているが、今年は文章としてまとめを綴るには過酷で、苦く辛い日々だった。芸術教育。演劇教育というのは何なのか、後厄のせいにするにはあまりにしんどい一年だったように思う。
年初めに東京演劇大学連盟の事務局を交代した。システムの移行という時期がほぼなく、急遽ばっさり変わったので喪失感は大きい。大学での仕事を始めたのと同時に担ってきた6年間の役目だったので急に無縁になるとぽっかり穴が空いた。共同制作、共同研究とこれまで他大学の学生や先生方と交流できたことは、広い視野を持てたと同時に、では大学ごとの独自性はどこにあるべきかを考えさせられた。
そして同僚との永遠の別れがあった。異動や任期満了などによるものとは違い、初めて大事な同志を失って本当に辛かった。じっくり忌みの時間を持てずに前に進む日々は堪えた。亡くなる前日、握った手を握り返しながら、確かに目で会話したことは一生忘れない。託された想いと意志を背負って生きていかなければならない。今年の僕はこの意志を継ぐことによってなんとか生かされていた部分は大きい。
初めての卒業生を出した演技ゼミ。異色異端を自認しているので、それ授業発表でやるか?と言われた野田秀樹『オイル』。ゼミだからやりたい放題。初代ゼミは何やってもパイオニアだから苦労しながらも良い創作になった。写真は亡くなった同僚が撮ってくれた。刺激を受けた2代目ゼミは22名の大所帯に。これを「オイルショック」というとか言わないとか。もうすぐ彼らの授業発表。作品は『パンドラの鐘』。実習公演並み。馬鹿げていて素晴らしい。
アウトリーチゼミは業界エキスパートにインタビューしまくり、1年間演劇雑誌「カンフェティ」に記事を掲載し続けた「Uber Arts」。2月には企画展示をして、彼らならではの上演芸術について知見を披露した。
昨年立ち上げた新しい学外公演の取り組みは困難を極めた。続けていくことは始めることよりも難しい。現地でのご縁を頑張って繋いでくれる方々に心より感謝している。11日間の伊豆大島でのツアーは、初めて滞在型の創造の場をもてたことで、たくさんの人々との交流を経験した。「大学生世代」がごっそりといない島の中で、小学校や高校で熱心にパフォーマンスやワークショップを通して、自分達でコミュニケーションの道を探り、数日間で立派なお兄さんお姉さんに成長した。過疎地域では足繁く通ってくれる高齢者の皆さんの芸術文化に対する眼の輝きに大きな感動と同時に芸術を届ける責任を実感し身の引き締まる想いをした。彼らの成長は、マスタークラス経験者を生み出し、学科の創造や社会貢献をよりレベルアップさせることに直結している。それが日本の心の豊かさを生み出すことにつながっている。2年目にして続けることの過酷さとともに、小さいけれど大きな使命を帯びていることを改めて感じた。
大きな使命感を持って取り組んでいることが大学の外に2つある。
1つは高校演劇との関わりだ。今年は縁あって1月の関東大会、11月の千葉県大会に審査員として呼んでいただいた。これで昨年の全国大会を合わせると、3大会でそれぞれの空気感の中で素晴らしい経験をさせていただいた。他の審査員の方々と並んで、若輩者の僕ができることと言えば、全ての舞台を血の滲むような努力によって創造された「作品」として捉えつつ、そのテキストの中から読み取れる表現をいかに抽出して、本人たちも意識していない自分たちの創造物の価値を見出すことだと考えている。沢山の高校の先生方の熱く真摯な生徒との向き合い方、大会の運営を見ながら学ばせていただくことがとてつもなく多い。機会がある限り協力したい。
もう一つはサントリーホールでの「オルガン研究所」。台本執筆と学生たちの演技指導・演出、という点で2年続けて関わらせていただいた。今年はより自由度が増し、パイプオルガンの魅力をいかに「説明的」ではなく、こどもも楽しめるドラマになるかを少し意識して書いた。僕にとっては珍しい「劇作」なので本当に烏滸がましい限りだが、ホールの方々やオルガニストの石丸さんの芸術教育・教育普及に対する情熱的な仕事ぶりにいつも尊敬の念を抱き、一緒にものづくりの場にいさせていただけるだけで幸せだ。演劇における社会貢献を考える上で、そして16年間お世話になったホールへの恩返しのために、全力で取り組んでいたい。学生たちもそんな僕の気持ちを知ってかしらずか、大きな舞台の上で目一杯それぞれの仕事をしてくれる。ありがたいことである。
そんな中で実は大学時代から20年近く温めてきたことが2つ実現した。一つは松岡和子先生の翻訳でシェイクスピアを上演すること。稽古に顔を出していただき、特別講義をしていただき、対談も組ませていただいた。「シェイクスピア」を恐れず、むしろ演劇の入門編として触れることの有用性を再認識した。それは豊かな言葉の海に対する感度を磨くことであり、自分の気持ち、あるいは演じている人物の想いを素直にことばとからだであらわすことにほかならない。
もう一つは井上ひさしの戯曲を上演すること。自分の学生時代、実際に演劇を生業としていく決意をさせてくれたのは、大学であり、文学座であり、こまつ座だった。そこでことばの力、日本の演劇のもつ美しさと力強さ、人間を描くことの難しさと楽しさ、そして人の人生を変える力を持つ凄みをじっくりと学んだ。職場としての大学の上演実習は、学年を超えて役者もスタッフをやりながら舞台作りをする。多くの学生たちとじっくりと向き合いながら、ここでしかできない実習に共感してやってきたのは、集団創造の中で人間性を育んでいくという全人教育における芸術教育に確信を持ったからだ。自分が歩んできた演劇と通じるからだろう。
そんなわけで『雨』。コロナで一旦ふっつりと切れてしまった上演実習のシーズンテーマは、2020年の『三文オペラ』でリスタートを切り、「古代ギリシア」、「シェイクスピア」「近代劇」と進むように設定されてきた。その中で、昨年の「古代ギリシア」で翻案版『女の平和』で和装で動き回ることに、今年の「シェイクスピア」は『十二夜』でしゃべり倒す長めの台詞に、そして「飛ぶ教室」として旅公演を行なってきたシバイノタカラバコで、インスピレーションとアイデアを短時間に形にすることに、それぞれに磨きをかけてきた。骨ぶとでドラマのスケール感も大きく、サスペンスとして文学性も高く難解な方言を駆使する時代劇、という誰もが二の足を踏み、何も井上ひさしをやりたいのならこんなハードルの高いものでなくても、という意見も確かにあった。でも僕には確信があった。『三文オペラ』以来苦楽を共にしてきた今の4年生の絆と積み上げてきた経験が必ず「作品」として結果を残してくれるであろうと。とはいえワンマンで押し切る指導をする気は全くなかった。
近年僕が心掛けてきたのは、演出が演技指導まで全部兼ねてしまうことを避け、役者に関わるファカルティを増やすことだ。今回はステージング、歌唱指導、音楽指導、俳優のアクティングコーチは2人。演出は司令塔ではあっても権力者ではない。優れたエキスパートの方々に常に見つめられている緊張感が、何も秀でたことのない僕には必要だ。その姿を見つめている学生たちの眼差しを感じながら、きちんと「芸術作品」を作る。記憶にも、記録にも残る作品作りをしようと繰り返し語ってきた。そしてドラマとしての牽引力。読み物としての戯曲に負けない上演の必然性。自分の好きな作品作りをしたいだけでは、教育者としての大学の実習の演出はままならない。芸術的価値を担保しながら教育的価値も保証する。それが僕が自分に課してきた「二元の道」だ。
コロナ禍に入り 3 年が経つ。これまで多くの舞台を世に送り出してきた。Performing Body 2020、『三文オペラ』、『女の平和』、Performing Body 2021、『ユビュ王』、春の舞踊公演、『ヴェニスの商人』、『十二夜』と2回の伊豆大島公演、2月の学内公演と11種類の公演は全て延期も中止もせず、1人の出演者もスタッフも欠けずに公演を行なってきた。これは立派に誇れる重大な記録だと思う。舞台作りに関わる学生たちが自分の様々な衝動や欲望を押し殺し、ひたむきに舞台創造に向き合う過酷なまでに涙ぐましい努力の結果なのだ。決して奇跡や偶然などではない。何事もなければ「当たり前」と思われるかもしれないが、プロフェッショナルのように隔離された生活をすることの出来ない学生の集団創造にとって、この「当たり前」は常に崖っぷちを歩いているような危うさと隣り合わせだ。
いよいよ本番に向けてラストスパート、という矢先、潜んでいたコロナが、牙を剥いた。結果的には満席となっていた公演を一旦全てキャンセルし、無観客のライブ配信という形になった。無観客でライブ配信、もしくはアーカイブ配信で公演をする、というのは舞台芸術界では2020年の、あえていえばもはや過去の話題だ。舞台芸術の世界で無観客というものが駆逐され、最終的には既に失われた手段であることは周知の事実だ。だが、教育現場ではそれが方針であり、限界だった。
ここにきて最も大きな苦境に立たされた。2020 年は全てオンラインの舞台づくりから始まり、無観客配信、学内公開を経て、一般公開に辿り着き、私たちは勝手にコロナの出口に立ったつもりでいた。だが現実はとても厳しかった。公演中止と隣り合わせの最も過酷な状況となったのだ。僕には学生たちのなぜ私たちが、なぜ自分たちがこんな目に、と嘆く声が重く、重く響いていた。
上演芸術は人手も手間も時間もかかる総合芸術だ。今年他界したピーター・ブルックの言を借りるまでもなく演劇には観客が必要だ。だが一般的に上演する、ということは観客がいなくても、作り手が本番をやれば授業としては達成されていると考えられているのがわかって愕然とした。
演劇は、何と戦っているのか。
演劇そのものに対する怨恨か、偏見か、思想的嫌悪か、利害か。
それとも、もっと別の何か、か。
いや、人を責めても始まらない。創造の場で相手を想う想像力が欠けてはいけない。そう自分に言いきかせた。
辛かった。
いや、
今でも辛い。
演劇は多くの人間が動くためにそれに伴う様々なリスクも多く、作る過程で誤解やすれ違いも生みやすい。
さらには舞台が放つエネルギーを煙たがり、敬遠する人もいる。このご時世に「飛んだり跳ねたり」「集まって」「好きなことやってるだけ」だと言われる。悪意のないことばに傷つきながらも、僕たちはこうして「芸術を生み出している」のだということを説き続けるしかない。
芸術は人々の人生を豊かにする必要な社会インフラなのだから。
話は大きくなるが、今年はウクライナとロシアの間の戦争が明確化したり、芸術に対する攻撃が頻発した。その中で災害にも戦争にも、その場において芸術は無力だ。しかし、芸術にはなぜ戦争は起こり、人間はなぜ同じ過ちを繰り返すのかを検証し、人間とは何かを突き詰める働きがある。人間とは、自分とは何か、を問う作品を世に送り出す。それは今年の『十二夜』も『雨』も、例えそれが学生の創造であっても、時代を移す鏡の役割は果たしている。社会における歴史の記憶装置であるとともに、社会を変える原動力にもなる。だから権力者や為政者にとっては厄介な存在だ。それゆえに常に演劇を監視し、中心から遠ざけようとする。
私たちは困難を乗り越えてことばとからだを駆使し、上演芸術のイメージを届けるために日夜努力をしてきた。灯台下暗し。きっとわかっていてくれるはず、というところにも言葉を尽くさなければならない。「上演芸術の良き理解者を育てる」とは学科のポリシーではあるけれど、実は昔から僕個人の座右の銘でもある。僕自身が演劇を生業としている間は最も大切にして生きてきた。
それが不要であるとされた時、僕は躊躇なくその場を去るだろう。
今はただ、1人でも多くの人々に感謝と尊敬の念を。
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