多和田真太良

演出家、演劇研究者。明治大学文学部演劇学専攻、文学座附属演劇研究所研修科演出部を経て学…

多和田真太良

演出家、演劇研究者。明治大学文学部演劇学専攻、文学座附属演劇研究所研修科演出部を経て学習院大学大学院身体表象文化学専攻博士後期課程修了。博士(表象文化学)。「戯れの会」主宰。日本演劇学会会員。日本演出者協会会員。東京芸術劇場人材育成アドヴァイザー。

最近の記事

孤立しないように 孤独と上手に向き合う

うつ、とは言わないのだろうけれど、鬱々とした気分のまま1年が終わりました。  40代になったばかりだというのに表立った場所から遠ざかり、早くもピークを超えたような環境に、物を書く気力を失い、ほぼ1年間でまとまった文章は一つも書けませんでした。気力が出ないというか、言葉を扱うエネルギーが足りないというか。だからこの文章だけは、とにかく書かないと色々終わってしまう気がして結構死に物狂いで書き付けています。 4月には長年の夢の一つであった宮本亞門さんを特別講座にお招きし、出身校

    • 大学人と演劇人を「演じ」ながら

      今年度で教務担当を退任します。5年間、沢山の教員諸先輩方、事務方の皆さま、本当にお世話になりました。特にこの間に大学の事務方の大勢の皆さまと広く深く知り合い、意見交換をしながら仕事が出来たのは、大学行政と大学教育の門外漢でしかなかった僕に取って、大学人として生きていく上で非常に深い勉強になりました。本当にありがとうございました。 我が師佐伯隆幸はかつて最終講義で触れた通り、「大学人佐伯隆幸」と「演劇人佐伯隆幸」を明確に「演じ分けて」いました。それに気づいた当時は自分が大学人

      • 想像と創造のはざまで

         毎年恒例になっているが、今年は文章としてまとめを綴るには過酷で、苦く辛い日々だった。芸術教育。演劇教育というのは何なのか、後厄のせいにするにはあまりにしんどい一年だったように思う。  年初めに東京演劇大学連盟の事務局を交代した。システムの移行という時期がほぼなく、急遽ばっさり変わったので喪失感は大きい。大学での仕事を始めたのと同時に担ってきた6年間の役目だったので急に無縁になるとぽっかり穴が空いた。共同制作、共同研究とこれまで他大学の学生や先生方と交流できたことは、広い視

        • 舞台づくりは人づくり 教育は愛なり

          今年は最後までこうして振り返ることをじっくり時間をとって出来ない、という状況が全てを物語っていて、それなりに歯がゆい想いをし続けた1年だったかもしれない。 3月、コロナ禍2回目の卒業式が巡ってきた。パフォーミング・アーツ学科名物の礼拝堂での卒業証書授与式は、あの手この手を使って多くの人に祝福してもらえるよう総力を上げて挙行。 赤レンガでの公演を断念しつつ、昨年竣工した大学3号館4階新スタジオで無観客配信公演如月小春『夜の学校』を撮影。関わってくれた4年生は劇中の卒業式が本

        孤立しないように 孤独と上手に向き合う

          【130人の「嘆きが 響いてるよ」】

          奇しくも再び緊急事態宣言が発出された1月7日、秋学期の演劇公演『三文オペラ』は千穐楽からちょうど14日間が経過した。 本番が終わって翌日のクリスマスから大学は冬季休暇。大晦日に跳ね上がった感染者数に気を動転させながらも、平静を装って新年を迎え、そして戦々恐々と新年最初の授業が始まった。 正直何をしていても常に不安で心ここに在らずだった。 今日、無事だったからといって明日はその保証はない。それの繰り返しだ。 ようやく10月からオンラインの稽古に混ざって、12月からようやく

          【130人の「嘆きが 響いてるよ」】

          【演劇のペーソスとユーモア】

          【1】確か高校3年生の頃だったと思う。大学入試に向けてピリピリしてきた時期に、その気の焦りもあるのだろう。校内の空気が「荒れ」始めた。火災報知器がやたらとなるのである。 僕は幸いにも(?)中学で最悪の「荒れ」状態を経験していたので、進学校だった高校の「荒れ」の空気を察知するのは人一倍早かったのかもしれない。だいたい「荒れ」の兆候は①トイレや廊下が汚くなる、を経て②なぜか火災報知器が鳴る、という段階がある。ちなみに中学の最悪期は毎日②の状態だった。このころには廊下をバイクが走

          【演劇のペーソスとユーモア】

          【クリエイティブ・ラボを目指して】

          あけましておめでとうございます。 今年も皆さまどうか宜しくお願い申し上げます。 しかし年が改まるというのがこれほどあくまで「暦の上」のことで、「そのつづき」をこなすことが至上命題である新年も初めてかもしれません。本当に周辺に住む家族にしか会わない年末年始でした。広島にも沖縄にも帰省出来ずあっという間に仕事初めです。 昨年は改組に校舎改修、コロナ対応に実習と昨年はとにかく職業として「大学人」であり続けた1年でした。そしてどれひとつとしてまだ完結していない。 職場の体制が

          【クリエイティブ・ラボを目指して】

          試されているのは誰だ 創造力と想像力

          演劇の芸術的価値は舞台上にあるのではなく、観客の想像力の中にある。個人の精神の中に創り上げたものがその個人の想像力のほどを表す。芸術に親しむことはこの想像力を豊かにすることであり、それが人に痛みや世界の仕組みについて思いを巡らせる思考につながる。ゆえに芸術をないがしろにする国の為政者にも国民にも未来はない。芸術を冷遇することが想像力の欠如を助長する悪循環がやがて国を滅ぼす。 舞台芸術とは何か、不要不急などという尺度では語り得ない、その存在の「必然性」を説き続けた1年でした。

          試されているのは誰だ 創造力と想像力

          「擬似空間での学び」を「擬似的な学び」で終わらせないために

          新型コロナウィルスの感染拡大により、上演芸術を扱う大学のほとんどは、学内における劇場設備や工房、稽古場やレッスン室を備えた施設なども入構規制が敷かれ、授業は一斉にオンラインとなっています。学修を止めないために、かつ学生・および教職員の安全を考えれば止むを得ない措置だと理解しています。 しかし上演芸術は、創造の息吹が芽生え、創作を通して知識を広げ、技能を磨き、やがて作品として客席に届けるに至るまで、「集うこと」そのものがものづくりの大切な要素です。学科ではその教育の根幹をなす

          「擬似空間での学び」を「擬似的な学び」で終わらせないために

          オンライン授業で演劇を学ぶという「無謀」な計画

          【演劇実践系大学の場合】  様々な問題を抱えて唐突に、しかも他大学が1ヶ月以上開始を遅らせる中でダントツに早い4月13日には始まった「オンライン授業」。 ZoomだTeamsだと複数のLMSが紹介され、教員も学生も右往左往しながら始まり、「試行錯誤」というより「暗中模索」というべき状態は3週目が終わった今も続いている。  Facebookの「新型コロナ休講で、大学教員は何をすべきかについて知恵と情報を共有するグループ」という18,000人近い「同志」や大先輩たちが知恵を絞り

          オンライン授業で演劇を学ぶという「無謀」な計画