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孤立しないように 孤独と上手に向き合う

うつ、とは言わないのだろうけれど、鬱々とした気分のまま1年が終わりました。

 40代になったばかりだというのに表立った場所から遠ざかり、早くもピークを超えたような環境に、物を書く気力を失い、ほぼ1年間でまとまった文章は一つも書けませんでした。気力が出ないというか、言葉を扱うエネルギーが足りないというか。だからこの文章だけは、とにかく書かないと色々終わってしまう気がして結構死に物狂いで書き付けています。

4月には長年の夢の一つであった宮本亞門さんを特別講座にお招きし、出身校ならではの、その後の人生を大きく左右した「その場所」で語っていただきました。それに合わせて演劇・舞踊学科第1期生のゼミでは、「高校生のための演劇・舞踊ツアー」を企画、運営し、一般のお客様の前で1時間総アドリブで玉川の舞台芸術の学びがどんなものであるかをガイドして回りました。この経験はゼミ生に一気に緊張感と責任感を芽生えさせたようです。

演劇は時代の鏡である。自分の言葉で語るためには、自分たちのことを自分たちが1番わかっていない、ということを知るには格好の機会だったように思います。これは11月に初のコスモス祭(大学祭)でのゼミ単独公演を実施するにあたって大きな財産になりました。

夏の間は3年目の伊豆大島公演とサントリーホールのオルガン研究所の準備と稽古、本番に追われました。伊豆大島では3年間で初めて都立大島高校の生徒たちとコラボレーションをし、さらに高校で演劇ワークショップのみならず上演も行いました。またオリジナル作品として滝沢馬琴の原作を元に、いわゆる地元に根差した新作舞台『椿説弓張月』を製作。伊豆大島に残る鎮西八郎為朝の伝説と荒唐無稽な小説を掛け合わせ、これまで実習公演で蓄積してきた歌と音楽に新たな命を吹き込んで、親しみやすい完全懲悪の物語に仕立てました。地元の歴史を盛り込んだ娯楽活劇として好評を得ることができました。一方でジョージ・オーウェルの傑作『動物農場(アニマルファーム)』や、学外公演での「鉄板」となった宮沢賢治原作『バナナン大将とおかしの勲章』(饑餓陣営)の3本立てで演劇の魅力を伝えるパッケージができたように思います。

オルガン研究所はサントリーホール企画制作部のご厚意で、今回はほぼ台本・演出を一任させていただきました。500人のこどもたちと声を出し合って一体となり、大ホールをパイプオルガンとその魅力で満たすという願いを叶えるべく、才気あふれるオルガニスト石丸由佳さんとともにたくさんの有志の学生たちとも舞台を作り上げました。コロナ禍で止まっていた時計の針が動き出した実感を得たように思います。

4年生のゼミはまだまだ難航しています。女性のみで構成されている4年ゼミは、登場人物が全て女性という珍しい戯曲、ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』を選び悪戦苦闘しています。この学年はパフォーミング・アーツ学科最後の学年でありながら、コロナ直撃世代で、入学式がありませんでした。1年生の半分はオールオンラインで、その後も学修環境が常にコロナに左右され、混乱した中で大学生活を送ってきたのです。人と人との距離を試行錯誤しながら試し、慣れる時間が極端に少なかったことが、目の前に立ち塞がる様々な課題や困難にこれほどまでに影響してくるのか、と狼狽えるほど、舞台作りの中心は心のケアです。1人の大人として社会に羽ばたくためには、心折れないしなやかな人間力を身につけてほしい。そのための残り2ヶ月。

秋学期は1年ぶりの実習公演を担当しました。パフォーミング・アーツ学科と演劇・舞踊学科が合同で舞台作りする最後の作品です。果たせなかった夢、弾き継がれていく想い。そんな今の状況にピッタリの題材で、学生たちからも台本を配った時点からこれまでにない共感と本に対する熱心な思いを至るところで聞区ことができました。鄭義信『二十世紀少年少女唱歌集』は「いま、ここ」で上演することにたくさんの付加価値がついて、取り組むのも苦しく辛い部分はあったのだが、深く客席に提供する意義のある作品になったと自負しています。

実習公演の役割や使命をいつも考えています。「先生がやりたいことをやる」のではなく、「学生がやりやすいことを提供する」のでもない。じっくりと学生のいまと向き合って、その想いを表現に昇華させ、一つの芸術として結実させる。それによって携わった人たちが人間としても成長することが、「全人教育」の中で、その実践的な取り組みとして演劇を学ぶことです。

この7年間、先輩教員たちから学び取り、その教育の根幹に流れる目的と使命を僕なりに汲み取り、引き継いできました。自身の演劇観よりも演劇を通した人間教育の実践に徹してきました。それが教育者としてこの環境で奉職する上でのミッションだからです。

ただ学校劇100年、玉川学園95周年の節目の年に「演劇研究」と「演劇教育」、さらには「演劇教育の研究」を独りで背負うことは出来ません。舞台作りは人づくりだ。それは学生だけではなく私たち自身が学生によって、学び舎によって指導者として育ててもらうことも含んでいます。大学教育の現場で専門性は最初から「ある」のではなく「得る」部分が本当に多い。自分たちが「生かされている」ことを胸に刻んで、謙虚に、謙虚に「生き抜いて」行こうと思います。

孤立しないように、孤独と上手に向き合う時間がもっと必要なのかもしれません。

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