オンライン授業で演劇を学ぶという「無謀」な計画


【演劇実践系大学の場合】

 様々な問題を抱えて唐突に、しかも他大学が1ヶ月以上開始を遅らせる中でダントツに早い4月13日には始まった「オンライン授業」。 ZoomだTeamsだと複数のLMSが紹介され、教員も学生も右往左往しながら始まり、「試行錯誤」というより「暗中模索」というべき状態は3週目が終わった今も続いている。
 Facebookの「新型コロナ休講で、大学教員は何をすべきかについて知恵と情報を共有するグループ」という18,000人近い「同志」や大先輩たちが知恵を絞りあっているグループに参加しているおかげで、国立情報学研究所のシンポジウムなども閲覧できるようにあったし、たくさんの役立てられる情報を手に入れられる。心強いことだ。
 様々な取り組みに刺激を受ける一方で、却って焦りや不安を抱えることも倍増した気がする。なぜなら、自分の所属する学部学科は生身の人間が触れ合うことで初めて生み出される芸術の創造を通して成り立つ上演芸術を学ぶ場所だからだ。
 芸術の中にも当然様々な分野があり、それに応じて多様な学びのカタチがある。美術・造形系の学科の抱える問題と上演芸術を扱う自分の学科では抱えている問題の根っこがズレていることも十分承知している。これについては昨年度の授業報告書に「上演芸術を展示する」ことへの挑戦と課題」として寄稿したばかりだ。しかしそんなことよりももっと大きなズレに覆われて、大学内では「浮いた」存在になっている部分は少なからずある。
 それは「総合大学にある芸術学部であること」がさらに事態を複雑にしていることだ。芸術を専門に扱う大学など学校全体が一つの専門性に特化していれば、大学全体の動きにもその特色は大きく反映されるであろう。しかし、8つの学部がある中の1つに過ぎないので、一律「オンライン」と言われた場合、オンデマンドだのリアルタイム双方向型だのと言っても、集団創造には全く不向きな枠組みで進んでいくのだ。
 
 通常オンラインの講義やゼミナールは、対面式の授業と異なる点は多いものの、進め方としては同じカリキュラムで進めることが可能だ。それは私が卒業論文・創作のゼミを持っているから言えることで、実際Zoomを使った双方向ゼミと論文指導やプレゼンテーション課題などもこなしているから間違いはない。
 問題は音楽表現や身体表現、舞台技術の「技能」の修得を目指したり、上演実習で舞台芸術を創造することを通じ、社会における上演芸術の役割を理解する「実技」の科目である。 
 当然身体を動かせないことを逆手にとってレポート式の課題に取り組んだり、動画を観たり、ということは確かにできる。すぐに身体を動かしたい、機材に触りたい学生たちにとってはきちんと「語彙力」を養う時間は有効かもしれない。ただしこうした「技能」の修得や集団創造であることが前提で、観客や聴衆と共有することでしか学べない感覚が最終目的としてある舞台づくり・コンサートなどは「オンライン」では到底同じカリキュラムで同質の授業を展開することは不可能である。


 同じカリキュラムで、というところに気付けるか。それにまず数週間かかる。
 私は春学期に次の7つの科目を持っている。①「企画構想上級Ⅰ」(3年生の芸術研究ゼミ。受講者8人)、②「企画構想上級Ⅲ」および③「卒業プロジェクト演習」(4年生の卒業研究・創作ゼミ。受講者12名)、④「パフォーミング・アーツ演習」(2年生以上の創作演習。受講者24名)、⑤「身体表現上級Ⅰ」(3年生の演技の授業。受講者23名)、⑥「音声表現法研究」(主に文学部4年生の教職履修者向け講義。受講者30名)、そしていわゆる演劇の稽古である⑦「パフォーマンス(舞台創造)」(担当作品の出演者24名)である。そうなのだ。多い。非常に科目が多く、ジャンルがバラバラである。ここが極めて重要なところで、科目の目指すところが7種類あるのに、オンライン授業だと実施方法が2、3個しかないのである。そのため、それぞれに適した形を模索する中、現状はこのような「合わせ技」を駆使することになっている。

① レポート課題提出(大学LMS Blackboard)、ディスカッション(Zoom)、諸連絡(LINE)
② 論文データ管理(Dropbox)、ディスカッション(Zoom) 、個別フィードバック(Slack)諸連絡(LINE)
③ 論文データ管理(Dropbox)、ディスカッション(Zoom)※②の履修者向け個人指導
④ 創作課題提出(Blackboard)、講義・演習(Zoom)、作品創作(4Xcamera) 、アンケート・フィードバック(Googleフォーム、Blackboardに埋込式)、諸連絡(LINE)
⑤ レポート課題・戯曲掲載(Blackboard)、実技型講義(Zoom)、アンケート・フィードバック(Googleフォーム、Blackboardに埋込式)諸連絡(LINE)
⑥ 講義(BlackboardにPPTをPDF化して掲載)・演習(Zoom)、諸連絡(Blackboard)
⑦ 稽古・ミーティング(Zoom)、演出部データ管理(Dropbox)、フィードバック(Slack)、アンケート(Googleフォーム)、諸連絡(LINE)

 ツールが山ほどあるように見えるが、Blackboard、Zoomが授業実施ツール、LINEが主なコミュニケーションツールで、データの管理がDropbox、 Slackという住み分けをしている。学生たちの負担を軽減するために、普段使っているツールの用途を一段と明確にしただけで新しいものはほとんど取り入れていない。道具は使うためにあるのであって道具に弄ばれていては本末転倒である。
 試行錯誤が続いているのは全てにおいてであるが、やはり毎回が実験的な様相を呈しているのが④「作品創作」⑤「演技の授業」と⑦「芝居の稽古」である。
 ④に関しては、昨春に宮沢賢治の音楽劇『饑餓陣営』を創り、今年の冬に横浜赤レンガ倉庫(かのクルーズ船がすぐ外の横浜港に停泊していた頃だ)で上演したことで履修者に音楽と演技の両方に興味のある学生が集まった。そこで星野源の「うちで踊ろう」宜しく「重ね録り」方式で短編ミュージカルができないか模索している。重ね録りが出来るアプリ4Xcameraを用いて作品を作るべく、まずは実験的に24人の学生を4人ひと組の6グループに分け、リズムや言葉を重ねて30秒ほどの創作を行ってもらうこととしている。iPadやiPhoneを持たない学生はアプリを入れることができないため、それぞれ創作のリーダーとして、最初にスマホで動画を撮り、メンバーに回すことにした。iPhone組がアプリで色々試している間に、ベースとなる面白いリズムを探すのである。最終的には宮沢賢治の短編戯曲『ポランの広場』を24人で創作できればと考えて進めている。
⑤の「演技」の授業は3年生の科目であるが、今年初めて受け持つこととなった。「上級」と銘打っているが、最初のZoomディスカッションで「ことばの表現者としての基礎技術を学びたい」というなんともこの状況でハードルの高いことをリクエストされてしまった。 

 
 作品創作よりもオンライン授業と演劇の実技科目の相性の悪い部分の一つは、「技能の修得」を目指すためにトレーニングを必要とする授業だ。まず学生によって出来ることが大きく異なる。大きな声を発することができないのは容易に想像がつくと思うが、一人暮らしの学生には手足を満足に伸ばすスペースのない居住環境のものも少なくない。「寝転がる」も「まっすぐ立つ」すらも難しい場合がある。
 それでは、とまずは呼吸法のレッスンをすることにした。座っていても、立っていても、寝ていても出来るように、台詞を発する状態としてありえそうなシチュエーションをイメージして、という指定を設けて可能な限りトレーニングになるよう進めている。ただZoomなので細かい原理の説明はレッスンをしながらパワーポイントを使用して解説できるため、学生たちは見やすく要点をまとめた(まとめるのは深夜までかかるのだが)図を見ながら身体を動かすことができる。


 ただしこの方式はかつてイギリスからのビオメハニカのインターネット中継レッスンで学んだことだが、学生が正しいポジションで正しい呼吸ができているのか、最終的な確認が画面越しでは困難であることを十分肝に命じて行わなければならない。戯曲は井上ひさしの『十一ぴきのネコ』を選んだ。11人が2チーム、シングルキャストを1人加えてZoomで2チームに分割して演技の授業をする予定だ。分割の方法はこの後の実習の稽古で述べる。
 実習における芝居の稽古は本来、約2ヶ月あまり週5日、4時間以上の稽古を積み重ねて本番を迎えることになっている。当初その予定で始まった実習であるが、もっとも時間に余裕のある3月に実施保留の状態となり、4月に授業期間から開始となったがその実施方法についてもっとも悩みの多い科目である。実際どういった形を到達点とするのか、という問いの回答が定まらない。無観客の公演、ということも可能かもしれないが、緊急事態宣言が出ている間は大学に入構すること自体出来ない状況で稽古もスタッフワークも物理的に不可能だ。


 ただ多くの学生は芝居を演りに大学に来ている。これは紛れも無い事実である。当初はプロが無観客で公演を行ったり、稽古だけは続けている状態を見て、自分たちも稽古をしたい、という要望が強かった。しかし今や全ての劇場や稽古場が閉まり、プロたちは生活の糧を奪われ、存在そのものが危ぶまれる事態になっている。表現者として目指す進路が直面している危機に怯み、目先を変えようとしている学生もいる。「舞台芸術の灯を消すな」というスローガンを、演劇を大学で教える立場として「未来の観客を、未来の芸術の担い手を育てることをやめてはいけない」と捉え直している。ここでどんな形であれ、アートを生み出すことのスピリッツを磨くことが、過程を含めて未来の日本の劇場文化を支える人材を育成するディプロマポリシーにかなうことだと信じて教育活動を行うことにした。
 私が選んだ戯曲は17世紀のイギリスの劇作家フランシス・ボーモントFrancis Beaumontの"The Knight of the Burning Petsle"。邦題を『ぴかぴかすりこぎ団の騎士』という。(大井邦雄訳 早稲田大学出版部刊)。 全編が劇中劇、かつ「観客」の役がいて終始舞台で行われる劇の進行を妨害するという前代未聞の喜劇である。絶対面白い。卒業式が中止となり騒然とした空気の中、かろうじて集まることができた3月の中旬に一度だけ、大学の稽古場でチームメイキングのワークショップを行っていたことが功を奏している。学年をまたいで集まった経験値の異なる学生たちが集団としての問題や不安を共有し、目指すプロダクション像を掴みかけていた。その後、現在に至るまで、24人の学生とは一度も直接大学で会うことはできていない。


 4月に入り、大学からは開始を1週間だけ遅らせた13日から対面授業を実施する旨が告げられていたので、半信半疑のまま、まずは教室やレッスン室の収容人数の割り出しと履修者数の調整を行い、安全衛生ガイドラインを策定したが、即座に5月6日までの予定として、オンラインで授業が実施される旨が発表された。そのため今度は1週間足らずでオンライン授業のガイドラインを計画するなど教務担当でもある私は殺人的な事務処理に追われた。思い出したく無い日々だ。ただその時点でもオンライン期間は「暫定的」な実施と銘打たれていたので身体表現や音楽表現、舞台技術などの授業は実際には課題を提出させる「自習型」を選択していた。

 その後、対面授業への移行は緊急事態宣言の解除を目安としたため、本学のオンライン授業期間はどこまでなのか全く見当がつかなくなってしまった。上演芸術を扱う以上早く対面授業に移行したいのが本音ではあるが、現実的には望み薄である。オンラインで実技を学び、オンラインで演劇を創る、という未だ高等教育機関で試みられたことのない実験的な学修が突然始まったのである。周りはどうしているのか。見渡せど、どの仲間の大学も未だ始業していない。途方にくれた。
中心となる4年生たちと様々に相談を重ねた上で、4月20日の夜、Zoomを使った史上初のオンライン・キックオフパーティーを開いて「稽古」が始まった。


 まずは第1週目に第1幕。24人を5つの場面に分けてキャスティングし、授業として合同の稽古は週3回月、火、金に15:00~17:30で設定した。
最初の30分は4年生中心に家でできるシアターゲームやウォーミングアップを行い、一旦休憩。別のZoomのミーティングルームを用意して再度入室してもらい、ブレイクアウトルームを活用し、5つの場面をそのまま5つの部屋に分け、自由に稽古をさせる。演出家である私はそれぞれの部屋を巡回し、コメントをしたり、アドバイスをして別の部屋にさっていく、を繰り返す。稽古のない日はそれぞれの場面で自主的にZoomやLINEで集まり、稽古をしていた。金曜日、1幕の創作発表会。講評とフィードバックを行った。純粋に面白かった。それぞれの場面のメンバーで振り返り、次週水曜までにSlackにコメントシートを上げてもらうこととした。

 Zoomなどを利用したオンラインツールと演技や音楽の実習の相性が悪い点の一つとして、時間によるズレがあげられる。これによって会話劇は衛星中継のような時差が生じ、会話に妙な間が生まれてしまう。音楽は言うまでもなく一斉に演奏することはできない。特に一人の発話が短い文で構成され、言葉のラリーが激しい現代劇の稽古には向かないと思う。プロならまだしも、学生はこの妙な間を身につけて癖になってしまう懸念が私にはある。ただ今回テキストとして選んでいる作品はエリザベス朝の喜劇なので、会話は比較的ゆっくり進み、一人の文章量が多い。言葉の表現を学ぶ上ではまだ利用できると感じた。


 正直に言って、普段なら上演にあたる最終的な学修到達点はまだ探っている段階だ。「重ね録り方式」で作品にすることは可能だが、「普段相手の呼吸に合わせて」「相手に影響を及ぼすように」と言っているのに、前撮りの台詞に合わせるのは会話劇を学ぶ上でのセオリーに大きく矛盾する。だが制約を利用して新たな表現を生み出してきたのが演劇の歴史である。学生たちと新たな芸術を生み出すことが出来るか、あるいはやはり不可能なのか。一つの研究としてまとめることができてこそ、初めてオンライン授業というものの恩恵を受けることが出来るかもしれない。

 ただ探求は必要だが、これは教育だ。同時に質が求められる。学生たちにとってはたった1度きりの大学生活の1ページなのだ。設備が利用できない、普段の実技学修が行えないことの代案として釣り合うためには、そこまでストイックに突き詰めて実施する覚悟が必要だ。私には7種類の授業で7種類の覚悟を決めなければならない。責任は極めて重い。


 

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