大学人と演劇人を「演じ」ながら
今年度で教務担当を退任します。5年間、沢山の教員諸先輩方、事務方の皆さま、本当にお世話になりました。特にこの間に大学の事務方の大勢の皆さまと広く深く知り合い、意見交換をしながら仕事が出来たのは、大学行政と大学教育の門外漢でしかなかった僕に取って、大学人として生きていく上で非常に深い勉強になりました。本当にありがとうございました。
我が師佐伯隆幸はかつて最終講義で触れた通り、「大学人佐伯隆幸」と「演劇人佐伯隆幸」を明確に「演じ分けて」いました。それに気づいた当時は自分が大学人になる気はさらさらなかったので気にも止めませんでしたが、今となっては自分が破綻しないための大切な心の支えです。実は父にも通じるものがあって、僕は自分なりに大学人としてのコードを2人の師から勝手に受け継いだ気でいます。父は今でも大学人としての生き方のコツを教えてくれますが、これは我が家の「家業」における「一子相伝」だと思うのでここでは秘密です。
大学に職を得て2年後の2018年から5年間奉職した教務担当は、学科の全学生の履修関係の手続き、365日24時間ひっきりなしに来るメールや書類作成に追われます。400人近い学生一人一人の名前と顔、性格も誰よりも多く頭に入っていなければならない仕事ですので、年がら年中仕事のことを考えていないといけないし、家族といてもメールや連絡があるたびに神経が尖るので、気持ちのバランスや頭の整理に苦心しました。時に毅然とした態度を「演じ」なければならない。
学生に限らず、特に芸術学部はその専門性の広さから非常勤の先生が多く所属するため、大学の目指す方向や意図をお伝えする機会も多く、しょっちゅう変更やお願いをしなければならないこともあり、お手数とご迷惑をおかけしたことと思います。本当にありがとうございました。
2016年に着任したと同時に担当科目が20コマ近くあり、実習公演の演出と東京演劇大学連盟の事務局長になりました。同時に背負っていた博士論文を提出するや否や任ぜられたのがこの役職でした。学科の事務作業を一手に引き受ける役職に着いた途端に学内行政の様々なシステムの見直しが始まり、さらに改組という一大事が始まりました。ようやく仕事に慣れて来た矢先に突如コロナ禍に入り、結局毎年どころか毎学期システムがガラッと変わる5年間でした。
教務担当の間にも海外研究も2回あり、実習公演の演出は着任から合わせて9本。新規の学外公演も立ち上げました。学外のシンポジウムや寄稿、学術研究所や学科の紀要にも投稿しました。教員の論文業績に深く関わる紀要委員も着任以来「自動的に」ずっと努めており、これを除けば来年度は突然「無職」になります。パフォーミング・アーツ学科は4月からついに最終学年のみです。卒業式の日に卒業証書を手渡す役目を最後の学年だけ出来ないのは非常に残念ですし、学科の閉め作業を任されていると思っていたのでこの中途半端なタイミングは心残りですが致し方ありません。
最初から「こういうもの」だったので、自分では猛烈に働いた、という意識はないのですが、教育者としてはこれでもっとじっくり学生たちと向き合えます。研究者としては5年間凍結していたさまざまな自分の仕事を始められます。演劇人としての仕事も残したい。そして何より、家族の時間を大切にしたい。「演じ」る機会が減るのは正直、ほっとします。
まるで定年退職みたいな文章ですが一応一区切りとして。
これからも「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」やる演劇人でありながら、
「まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと」示す大学人でいようと思います。だらけた印象を与えたくないので「演じ分ける」必要はなくなりはしないですが、少し、フラットにしていこうと思います。
ちなみに各役職を「次の世代に刷新」ということのようですが、学科の専任教員で最年少は、僕です。
ありがとうございました。
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