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『月と六ペンス』が描く、人生のハイライトに至るまでの話(4/50)

『月と六ペンス』という小説があります。小説の内容は、イギリス人作家である”わたし”が、知人の画家チャールズ・ストリックランドの半生について語るというもの。

本書において、ストリックランドは最初、証券会社に勤める何の変哲もない男として登場します。”わたし”もストリックランドを「特別な人間だなどとは思いもしなかった」と書いていますが、四十歳になったある日、ストリックランドは十七年間の結婚生活で築き上げた家庭と裕福な生活を棄てて突然蒸発します。理由は、ずっと夢見ていた画家になるため。彼に絵の心得はありませんでしたが、彼は「描かなければいけないんだ」と言い続け、その後家庭に戻ることはありませんでした。

”おれは、描かなくてはいけない、といっているんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸にあがるか溺れるか、ふたつにひとつだ”

この小説はストリックランドの半生の記録ですが、スポットライトが当てられているのは三十代後半以降で、それまでの彼の人生についてはまるで何も書かれていません。例えば彼の二十代が小説に描かれていたならば、証券会社に就職する過程や最初の妻と結婚し家庭を築いていく様など、複数の物語が追加されていたことでしょう。しかしそれは描かれませんでした。なぜか。ストリックランドの人生におけるハイライトは、画家を志した三十代後半からだと作者が判断したためではないかと、個人的に思っています。

最近人事面談をした学生の方が「会社を選ぶのが怖い」と仰っていました。もしかすると四十年以上働くかもしれなくて、そうでなくとも今後の人生に少なからず影響を与える選択を、学生のこのタイミングで行うことに大きなプレッシャーを感じていらっしゃるようでした。

私はこの春で社会人生活3年目を迎えました。就職活動においてはそれなりに自分の将来をしっかり考え、色々な会社を見た上で今の会社を選びました。会社にはとても感謝していますが、社会人生活において全てが思い通りというわけには当然ながらいかず。社会に打ちのめされては救われて、を繰り返してきたように思います。社会に出て、人生のいろんな側面において、学生時代に考えてもみなかったような良いことも、想像できなかった悪いことも起こりました。そして、今後もっと良いことも悪いことも起こっていくんだろうと、これまでの経験からぼんやりと推測しています。

先輩方にもよく話をお聞きしますが、どうやら人生にはコントロールできない事柄が多いらしく、掴んでいたはずの手綱が切れて手に負えなくなってしまうことは、大なり小なり万人に起こるようです。そんな風に人生を捉えると、現時点での正解なんてどこまでいっても不安定なものだと、決断することが少し楽になりはしないでしょうか。

裕福な暮らしをしていたストリックランドにも、内なる情熱のために全てを棄てざるを得ない日がやってきました。ここまで極端な例はおそらくレアケースですが、天啓はいつも思わぬタイミングでやってきます。

正解がないから考えなくて良いという話ではなく(おそらく、考えなければ考えないほど、起こりうる悪いことに対する許容度が下がります)、どれだけ考えても全てを見通せるようにはならず、見通せないままに決断していくしかないということです。

ストリックランドは死ぬまで評価されませんでしたが、タヒチに辿り着いて絵を書き続けた八年間が最も幸せであるように見えた、と”わたし”によって書かれています。

就職活動は間違いなく人生における大きな選択機会ですが、幸か不幸かその後も人生は続き、引き続き沢山の選択機会を与えられます。個人的にその事実は気が滅入るし怖くもありますが、それは同時に、最後に振返って「幸せだった」と思う選択をする機会も、まだまだ沢山あるということ。

多くの方が経験し、参照できる情報の多い就職活動は、いわば今後向き合っていく多くの選択機会に対する基礎練習と言えるでしょう。迷いすぎて踏み出せないという状況だけは避けながら、納得がいくまで自分自身と議論し、渾身の暫定解とともに未来に一歩踏み出していただければと思います。

”成功とは、立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生になにを求めるか、社会になにを求めるか、個人としてなにを求めるかで変わってくる。だが、今度もわたしは黙っていた。作家風情がナイトに反論はできない。”

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