「成功体験」よりも「失敗を楽しむ」

「成功体験を積ませよう」とよく言われる。それは否定しないけれど、もっと大切なことがあるように思う。失敗を楽しむこと。失敗したら何が起きたのかを観察し、それを楽しむこと。

成功体験、成功体験などと言っていたら、成功体験があら「ねば」ならない、ある「べき」である、という、「ねば」「べき」論になりかねない。でも私は、成功体験をそんなにも追究する姿は、失敗を恐怖する裏返しのように見えてしまう。もし失敗を恐れているなら、成功体験はイマイチ効果ないだろう。

新しく働くことになった人は、それまでの職場で失敗することを恐怖するように叩き込まれているのか、ちょっと失敗しただけで「ああ!すみません!どうしよう!」とパニックになったりする。成功体験を積ませても、こうした失敗への恐怖というのはなかなかぬぐえない。自信も簡単に崩れてしまう。

だから私は、まず失敗への恐怖を解除することを優先する。私は「どんどん失敗してください。私が見ている間は、危険なことになりませんから、どうぞ安心して」と伝えておく。そして失敗が起きた場合、「せっかく失敗が起きたのですから、一緒に何が起きたのか観察して楽しみましょう」と提案する。

「ここ、どうなっていますかね?」と問いかけると、相手は観察したそのままを口にしてくれる。「お、そうですね、じゃあここは?」と、どんどん問いかける。すると、起きた現象のいろんな側面を観察することができる。気づきもたくさん得られる。すると、どうしたらよかったかまで見えてくる。

一通り観察して、本人の中に答えが浮かび上がってきているな、と見たら、「では次、どうすればいいと思います?」と問いかけると、「こうしたほうがいいと思います」と妥当な答えが返ってくる。そしたら私は軽く驚きながら「おお!じゃあ、それでやってみてください」とゴーサインを出す。

こうした一連の体験をすると、失敗しても慌てる必要はなく、何が起きたのかを冷静に観察すれば原因を突き止めることができ、しかも次に何をすればよいのか予想がつく、ということに気がつく。観察を楽しめばいい、ということがわかる。だからこうした失敗を楽しむのを2,3回やると。

ほぼ失敗しなくなる。目の前の現象をよく観察するようになるから、何をどうしたらよいか見当がつくようになり、間違いが非常に少なくなる。そう、成功体験を積むよりなにより、失敗を楽しむ、楽しむからこそ観察する、という体験をしたほうがよいように思う。

「成功体験を積む」という提案は、まだ「成功は善、失敗は悪」という「呪い」に囚われているのではないだろうか。その呪いが解けていないから、失敗した時は「しまった!もう見たくない!耳をふさぎたい!」になって、物事が見えなくなる。恐怖で心が支配され、硬直して動けなくなる。

私は、「成功も失敗もあるものか、むしろ予想しなかったことが起きたら「新しい出会いだ!何が起きたのか観察して楽しんでやろう!」」という気持ちの方が、課題解決能力は高まるように思う。冷静に観察することが可能になるからだ。

成功ばかり希求し、失敗を恐怖するから、物事の仕組みがわからず、どうしたらよいのかの見当もつかなくなる。それより、成功とか失敗とか考えず、目の前の現象をよく観察する。観察することを楽しむ。すると自然に物事の理解は深まり、どうしたらよいかの解決策まで思い浮かぶ。

失敗を楽しむこと。目の前で起きた現象の観察を楽しむこと。それができたら、人は勝手に成長するように思う。そう考えると、成功体験より失敗体験が大事だと思う。そして、失敗そのものを楽しんでしまうこと。それが観察力を磨き、課題解決力を鍛える何よりの方法になるように思う。

最近、「指示待ち人間はまだいい、指示通りにもできない人間が困る」という声を複数聞いた。そんな記事も複数見た。指示通りできない人間をまず指示待ち人間に成長させたい、という意見のようだけれど、そもそもなぜ指示通りできないのか、を考える必要がある。

それは、観察できていないからだと思う。目の前の仕事、現象を観察せず、上の空になってしまうために、見当違いの対策をとって大変なことになる。皮肉なことだが、指示通りのことができないのは、上司の指示にだけ耳を傾けているために起きている現象のように思う。

失敗することへの恐怖のあまり、上司の言葉を聞き逃すまいと、目の前の現象を一切見ずに上司の顔色を見、上司の言葉に耳を傾ける。しかし目の前の現象を観察していないものだから、上司の言葉の意味が理解できず、上滑りし、指示された通りにさえ動けない、ということになっているように思う。

指示通り動けるようになるには、目の前の現象を観察できていなければならない。そのためには、上司の顔色や言葉に必要以上に注意が向くことを避ける必要がある。なのに、恐怖があるからそれができないのだと思う。

指示通りできない人間も、それより少しマシとされる指示待ち人間も、目の前の現象を観察できていないから仕組みがわからず、仕組みがわからないから言われた言葉の意味も理解できない、腑に落ちない、ということが起きているのだろう。そうなる理由は、恐怖だと思う。

大切なのは、恐怖をとり除くこと。恐怖をとり除くには、それ自体を楽しんでしまうこと。恐怖の対象だった失敗を楽しみ、それを観察すること。そうすれば、指示通りにできない、あるいは指示通りにしかできない人間を飛び越え、自分で考え、適切に行動できる人間に変貌するだろう。

そろそろ、成功だ失敗だということにこだわる「恐怖」から卒業してもよいのではないか。成功失敗に関わらず、目の前の現象を観察することを楽しむ。それが、部下育成ではとても重要なことのように思う。

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