「農業を経済成長の柱に」すると飢えかねない

「農業を経済成長の柱に!」というスローガンがしばらく前にあった。農業関連の仕事をしている身としては、農業にこうして力を入れてもらえるのは喜ばしい。けれど、文字通り農業が経済成長すると、農家も非農家も貧しくなってしまう。そんな皮肉な経済構造があるようだ。

農業が経済成長するということは、食品の購入総額が上がるということだ。それはエンゲル係数が上がることを意味する。エンゲル係数が上がるということは、収入のうち食費が増えて、他の消費、たとえば旅行に行ったり、自動車を買ったり、スマホでネットするなどの消費行動を抑えねばならなくなる。

となると、非農業の売上が減るということ。すると非農業の企業の売上が減る。そこで働く人たちの給料が減る。すると消費を抑えざるを得なくなる。すると結局、食費を抑えざるを得なくなる。農家も儲からなくなる。

では、世界一の農業国、アメリカはどうなのか?農業はGDPの1%程度しか稼いでいない。世界第2位のオランダや、穀物輸出国であるフランスも同様。豊かな先進国は、どれだけ農業が盛んでもGDPの1%くらいしか稼いでいないらしい。

逆に、農業が経済の柱になってる国とはどんな国だろうか?発展途上国がそう。GDPの大部分を農業で稼ぎ出してる国は貧しい。なぜか。農作物を売ろうとしても、国民のほとんどが農家だと、自分で食べるものを作っているから、買ってくれる人がいない。売ろうとするだけムダだから、自給自足的になる。

そんな中、不作になると自分たちの食べる分も足りなくなる。しかし普段、農作物を売りたくても誰も買ってくれないからお金の蓄えがない。仕方なく、畑やヤギなど、農家としてやってくのに不可欠なものを売って食べ物を手に入れるしかない。しかし、周りは農家だらけでお金を持ってる人はわずか。

結局、畑もヤギも大した値段で売れず、そんなはした金では大した日数食い継げない。餓死してしまいかねない。このように、産業といえば農業くらいしかない国は、農作物を買ってくれる人がいないためにみんな貧しく、蓄えがないから飢えてしまいやすい。

他方、非農業の産業が盛んな国(先進国)は、農作物を買ってくれる消費者がいる。だから農家も現金を手に入れやすく、蓄えもしやすい。非農業が豊かであれば農作物を少し高額の値段で買ってもらえる。もし不作になっても、現金の蓄えがあればしのげる。非農業が稼いだ税金から補助金を出すことも可能。

またお金があれば、海外から不足する食料を輸入することも可能。このため、農業がGDPの1%程度しかない、農家の少ない先進国で飢饉が起きることはなく、国民のほとんどが農家の発展途上国はたびたび飢饉で苦しみ、しかも解決の方法が見つからなくなる。農業だけが栄えると飢えるという皮肉な構造。

農家も豊かで、非農業も豊かであるためには、農業が経済に占める割合はあまり大きすぎないことが望ましいらしい。非農業が稼げるから農家も潤う。農業は、GDPに占める割合が大きくなりすぎないことが大切。農業研究者としてはあまり導きたくない話。

では、稼げない農業なんかなくなって構わない、と言えるか?それは違うように思う。アメリカやフランスの農業は、GDPの1%程度しか稼げていない。それではやはり農家は儲からないのだが、足りない収入を非農業の稼ぎ(税金)から補助金を出して農家の生活を支えている。なぜそんなことをするのか?

当たり前だけど、人間は食料なしには生きられないからだ。ヨーロッパの国々は第一次、第二次世界大戦のどちらでも飢餓に苦しんだ。ドイツでは「カブラの冬」と呼ばれる飢餓で二百万人以上が餓死したといわれる。イギリスも食料を輸入できず、餓死寸前に陥った。

大戦前は、食料なんか外から買ってくればいいと考え、食料自給率が低下していた。しかしこれでは危険だ、ということで、戦後、ヨーロッパではどの国も食料時給率を高める努力を続けた。イギリスでさえ60〜70%の自給率(カロリーベース)を維持する。

EU全体としては穀物を輸出する(輸出超過)地域になっている。余分に作っているわけだ。いざというときでも飢えずに済むように。余分に作ると、市場原理で言えば価格が下落する。穀物価格が下落すると穀物農家は儲からず、生活が苦しくなる。で、どうしてるかというと、所得保障で政府が補助金。

非農業で稼いだお金を農業に投じ、余分に食料を作ってもらう構造。なぜ余分に作ってもらうのか?恐らくは「安全余裕」なのだろう。原発なんかでも、原子炉は余分に頑丈に作る。それが破壊されたら大惨事になるからだ。こうした余分な安全性を「安全余裕」という。余分に作る食料もそう。

しかしEU域内だけで穀物をダブつかせてると、穀物価格は際限なく下落する。これでは農家の収入を丸ごと政府が面倒見なきゃいけないことになる。これでは流石にしんどいので、余分な穀物は世界に売りに出す。80億人もいれば、流石に買い手がつく。安い価格かもしれないけど。

しかし、「売れりゃそれでいい」みたいな余分な穀物の売り方は、市場価格をやはり大きく下げる。そんな安値では、アフリカの貧農でさえ「こんな穀物価格では鍬の買い替えさえできやしない」になってしまう。自分で農業して食ってくのを諦め、コーヒーやカカオのプランテーションで賃仕事につく。

賃金で得たお金で、フランスやアメリカの安い食料を買う。しかしコーヒーやカカオの価格が暴落すると、賃金が減る。すると、安いはずのフランスやアメリカの穀物さえ買えなくなってしまう。他の稼ぎを探そうにも、途上国では農業以外の産業がない。このために飢餓に陥りやすい。

ヨーロッパやアメリカが自らの安全余裕のために余分に穀物を作る→安すぎる穀物価格→アフリカの穀物農家が太刀打ちできない→コーヒー園で賃仕事→コーヒー価格が下落すると賃金減る→穀物が買えず、飢餓に。
こうした構造。先進国が飢えないために余分な穀物を安く売ることが飢餓を招いている。

農業はこのように、経済の中で非常に変わった動きをする。たくさん作れば飢えずに済む、というわけではない。たくさんの作るから飢える、農家ばかりだから飢える、という奇妙キテレツな構造がある。これを踏まえた上で食料安全保障を考えなければならない。

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