第二のホロコーストを招くなかれ

私は、ユダヤの人たちのことを心配している。このままでは第二のホロコーストが起きるのではないか、と。イスラエルの人々は自衛のために戦っているつもりだろう。テロを受けたし、人質を取られたまま。この状況を覆すために、戦いを続けているのだろう。ただ。

ガザ地区の人々を根絶やしにせんばかりの戦闘に、第三者からは、ジェノサイド(民族抹殺)なのでは?と見えて仕方のない面がある。かつてユダヤ人の人々がナチスからやられたことを、ユダヤ人自身が別民族に対して行っているように見えてしまう。この点に、ユダヤの人々はどれだけ気づいているだろう。

このイスラエルの行動に対して、アメリカもヨーロッパも一様に消極的支持をしている。イスラエルの行動は正当だ、と。ただ、支配者の気持ちがよく分からない庶民から見ると、「お金持ちのイスラエル、ユダヤの人々に遠慮して欧米の支配者たちが口をつぐまざるをえないのでは?」という気がしてしまう。

もし、ユダヤ人の人々に富裕層が多く、その資金力に物を言わせて欧米主要国の意見をイスラエルに有利に傾かせているのだという、「ゲスの勘繰り」が、あながち間違いでないのだとすると、見え方が変わってくる。貧乏なガザ地区の人たちへの、強者による弱い者いじめだ、と。

少し話題転換。しばらく前まで、日経では「ポピュリズムの台頭」を懸念する記事が何年も続いていた。愚かな庶民が感情に任せて富裕層や支配者を攻撃し、愚かな民衆を扇動し政治の主導権を握る、ナチスのようなポピュリズム政権が生まれるのでは?と。そのとき、私は「前提条件を忘れている」と指摘。

ポピュリズムが生まれるのには、それなりの理由がある。貧困層の苦しみを放置し、むしろ貧困層から富をむしり取らんばかりの富裕層を野放しにすることへの怒りが、ポピュリズムを生むのだ、と。貧富の格差がポピュリズムの生みの親だと私は指摘した。

私は、ナチスが行ったユダヤ人大虐殺は許されざる蛮行だと考えている。ホロコーストは二度と起こしてはならない。ただ、なぜナチスによる扇動に庶民がのってしまったのか、のには、若干の理由がなくはない。当時、ユダヤ人富裕層の台頭が著しかったことだ。

もともと金融に強いユダヤ人の人々は、資本主義の勃興に合わせて巨万の富を築いた。他方、資本主義の進行は、どれだけ働いても貧しさから抜けられない工場労働者のような貧困層を分厚く形成した。貧富の格差が巨大化したのが、ナチスが台頭する前夜のヨーロッパの姿だった。

むろん、ユダヤ人皆が金持ちだったわけではない。普通の職業で貧しくもつつましく生きていたユダヤ人が数多くいたことも忘れてはならない。しかし、巨万の富を築いたユダヤ人が非常に目立ち、貧しい人々を搾取しているイメージが強まっていったという状況が当時にあった。

ナチスの扇動がはまってしまったのは、貧富の格差を放置していたということに大きな要因がある。このため、豊かでも何でもない、庶民であるユダヤ人の人々も巻き添えを食う形でホロコースト(民族大虐殺)を受けることになった。

さて、現代に戻る。ホロコーストを経て生き残ったユダヤの人々は、あの惨禍を二度と繰り返してはならないと考え、戦後世界ではケインズ経済学を採用し、貧富の格差がむやみに開かないよう、再分配を意識して行うようになった。ユダヤ人富裕層もこの世界の動きを歓迎し、容認してきた。

こうした戦後の反省に立った行動もあったから、ナチスによるユダヤ人虐殺の蛮行を、世界中の人たちが許せないと考え、ナチスを徹底的に攻撃する気持ちを共有することができた。これはひとえに、富裕層のユダヤ人の人々も、貧富の格差を是正することに同意してきたことが大きいように思う。

いま、世界の金融はユダヤの人々だけが支配しているわけではない。オイルマネーを牛耳る中東の人たちもいるし、白人、中国人などの富裕層もたくさんいる。ただ、やはりユダヤ人富裕層というのは一定の存在感を今も保っているらしい。

その人たちが、今回のガザ地区の殲滅作戦に同意しているかのような動きをしていることが気になる。私は、ガザ地区での戦闘が、ユダヤの人々への戦後のイメージを逆転させ、戦前に逆戻りする契機になるのではないか、と懸念している。

世界を支配するのはユダヤ資本ではないか?というイメージがもしこのガザ地区での殲滅作戦でついてしまうと、これまでユダヤの人々に同情的だった世界の世論が逆転する恐れがある。「いけすかん金持ちたち」というイメージが定着する恐れがある。このことに、ユダヤ人富裕層はどこまで気づいているか?

イスラエルの人々からすると、ガザ地区も含め、自分たちの祖先の土地だ、という気がしているらしい。ただ、それはガザ地区に住んでいる人々も同じ思いだろう。なのに祖先から土地を追われ、狭い土地に追い込まれている。貧困と戦闘で打ちのめされている。

人間は、強者が恐くてなびく性質もある。しかし、弱者を虐げて平然としている強者に反感を強めるという性質も備えている。目下の問題では沈黙をしていても、内心、反感を強めている人たちが増えてくる可能性がある。となると、ユダヤの人々のあらさがしをみんなが始めだすだろう。

すると、将来的に形勢は逆転する恐れがある。世論の流れに抗しきれず、ユダヤ人悪者説が将来、世界の世論の流れになる恐れだってある。謙虚さを失い、傲慢になれば、その傲慢さが仇となって身を亡ぼす原因になりかねない。私はそのことを懸念する。

もちろん、ユダヤの人々にもいろんな人がいることを承知している。ナチスが台頭した戦前も、ユダヤ人は富裕層ばかりだったわけではない。現代でも、つつましく生きているユダヤ人も多いし、ガザ地区に対して同情的なユダヤ人も多い。「ホロコーストではないか?」と懸念しているユダヤ人も。

しかし一部の、しかし資金力と政治力を備えたユダヤ人富裕層が謙虚さを失い、力押しを続けてしまうようなら、民族丸ごと恨みを受け、世界からつまはじきにされるリスクを高める恐れがある。第二のナチスが生まれ、それが支持を受ける世界が登場しないとも限らない。

ユダヤの人たちにお伝えしたい。ホロコーストを二度と招き寄せてはならない。しかし今の一部ユダヤ人の人々の過激な行動は、それを自ら呼び寄せようとしているように思えてならない。自衛のつもりかもしれないが、人を殺して意に介さない憎悪は、自らにもその憎悪を呼び寄せる。

日本語で書くこのメッセージが、果たしてどれだけ届くのかわからない。ただ、ユダヤの人たちのためにも、そして世界の人たちのためにも、憎悪が憎悪を呼ぶ悪循環を招いてはならないと思う。特に、世界政治を動かす力のあるユダヤ人富裕層にお願いしたい。自ら身を亡ぼすなかれ、と。

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