能動感と、驚き喜んでくれる他者との関係性
人間は、能動的に動けたという感覚(能動感)がとても重要な生き物のように思う。「能動欲」といってもいいくらい、能動的に動きたがる生き物だと思う。そうした能動性を奪われると、子どもは(大人も)おかしくなってしまうらしい。
私のところにきた高校生は、「魂飛ばし」の名人だった。割り算まではできるが分数はできないことが分かったので、少しさかのぼって割り算からやらせようと思い、ドリルを渡して「これをやってみて」というと、「わかりました」と良い返事。ところが数分後、様子を見ると、目がうつろ。
「どうした?」と声をかけると、ハッとしてまたドリルの問題に取り組もうとする。やれやれ、と思って他の子の面倒を見て、また様子を見ると、目がうつろ。「おい」と声をかけると、またハッとして取り組もうとする。今度は他の子の指導しているフリして様子を見たら、10秒もしないうちに目がうつろ。
心の中のお花畑に魂が飛んで行ってしまって、肉眼はドリルやノートに視線が向いているけれど、心の目は夢のお花畑しか見ていなかった。実に見事な魂飛ばし。これではどれだけ時間があっても勉強が進みやしない。それにしてもどうしてこんなに魂を飛ばしてしまうのだろう?
両親に来てもらって、幼い頃の様子を聞かせてもらうことに。すると、お母さんが意を決して話してくれた。その子はおばあちゃん子で、おばあちゃんから溺愛され、5歳になるまで自分で着替えさせてもらえず、食事もおばあちゃんが口元までスプーンで運んでやる始末だったという。
この子は、自分でできそうなこともみんなおばあちゃんに取り上げられてしまっていた。自分で服を着る能動感も、自分で食べたいものを自分で口まで運ぶ能動感も、すべて奪われてきた。このために、唯一能動的に振る舞える、心の中のお花畑に出かけるワザを開発してしまったらしい。
いったん心のお花畑に出かけてしまうと、平気で1時間くらい過ぎてしまう。これではとてもじゃないけど学習が進まない。そこでこの子の指導では、2つに気を付けることにした。一つは魂を「いま、ここ」にとどめることを習慣化すること。
魂が心のお花畑に出かけると、机をバン!と叩いてビックリさせた。すると魂が瞬時に戻ってくる。お花畑にのんきに出かければ出かけるほどひどくビックリさせられるハメになるので、ビックリせずに済むようにと自然と身構えるようになり、魂飛ばしをしなくなっていった。
しかしこれだけだと、楽しくない。そこでもう一つ大事にしたのが、能動感。
高校1年生の子が小学三年生の内容(分数)ができても、本来は驚くどころか、当然視されるのが当然だろう。しかしこの子は幼いころから魂を飛ばしてきて、初めて取り組むようなもの。できないのが当たり前。
だから、「できなかったこと」が「できた」に変わった時、「お!やったやん!できるやないかー!」と、驚き、喜ぶようにした。すると、「小学生の内容なんかできても…」と自分を卑下していたその子も、バカにされることがなくて安心したのと、やはり「できない」を「できる」に変えることができて、
自分が能動的に取り組みさえすれば、「できない」を「できる」に変えることができるんだ、という「能動感」を楽しめるようになっていった。能動的になれば、自分になかった能力がどんどん開発されていく。できなかったことがどんどんできるようになっていく。この能動感が楽しくて、
魂飛ばしは一切起きなくなった。分数の理解はずいぶん苦労していたが、「ピザやケーキを3分の1とか4分の1に切るには、ともかく中心に向かって切ればいいのか!」という「大発見」をしてから、分数は難なくクリアできた。中学校の内容に入ると、因数分解が理解できず、泣いた。悔しくて。
この、「悔しくて泣く」という現象は、この子が大変化を遂げたことを意味するように思った。それまでこの子は、この世で能動的に生きることを諦めていた。心の中のお花畑に魂を飛ばして、そこで生きることを選択していた子が、「いま、ここ」に魂をとどめて、悔し泣きしている。
この世で、「いま、ここ」の現実の中で、能動的に生きること、能動的に取り組むこと、能動的に解決に導くことの楽しさ、嬉しさを知って、もうそれを諦める気がなくなったからこそ、悔し泣きをするようになったのだと思う。それまでのこの子は、悔し泣きするような根拠もなかったのだから。
しかしこの子はもう諦めなかった。理解するのはムリと思っていた小学校の内容もすべてクリアしてきたのだから、という自信が、ついに因数分解も理解せずにいられない能動性をこの子に生み出していた。この子はついに克服し、中学3年分の内容をすべて終了させることができた。
その後、この子は高校の学習内容で苦労することはなくなり、卒業時は、給料をもらいながら自動車整備の技術を学べる学校を受験し、見事合格(倍率が高いのに)した。この子は、もはや魂飛ばしするようなそぶりは一つもなくなっていた。
この子を見ていて思ったのは、溺愛や甘やかしは、一見、大人が「与える」一方のように思える。確かにモノやサービスといった目に見えるものを大人が与えているように思える。しかし、溺愛・甘やかしは、この子の事例で見られるように、子どもから能動感を奪ってしまうことがあるようだ。
娘がまだ小さくて、服をようやく自分で着られるようになったころ、私はよく次のように声をかけていた。「ズボンはくの難しいやろ~、お父さんがはかしたろ」というと、娘はムキになって「や!自分でやる!」といって自分ではき、私にドヤ顔を見せた。私は「ええ?!」と驚き、悔しがってみせた。
「でもシャツの方は難しいやろ~、お父さんが着せたろうか?」というと、「何言ってるの、できるよ」と言って袖を通し、ボタンを留め、ドヤ顔。またしても私は「ええ~!できるの!大きゅうなったなあ」と驚き、感心した。娘はとても自慢げで、嬉しそうな顔をした。
子どもは、「できない」を「できる」に変えた時、強い能動感を感じるものらしい。そしてできればその瞬間を、そばにいる大人が一緒に目撃し、一緒に驚いてくれると、その能動感は何十倍にもなって喜びと共に味わえるらしい。
幼児はよく「ねえ、見て見て!」という。昨日までできなかったことを今日できるようになった。そのことを見てほしくて。一緒に驚き、喜んでほしくて。そのとき、「やったじゃーん!」と驚き、喜んでくれる大人がいたら、子どもは満面の笑顔になり、次の挑戦をもくろむ。大人を驚かしたくて。
でも、先に紹介した高校生は、そうした能動感を味わう機会を奪われ続けたのだろう。着替えも自分でさせてもらえない。スプーンを使って食事することもさせてもらえない。「ほら、おばあちゃん書きさせてあげる」「ほら、汚れるでしょ!おばあちゃんが食べさせてあげる」能動感の強奪だとも知らずに。
親は、大人は、子どもの様子を普段からよく観察し、「できない」を「できる」に変える瞬間に気づくことが大切なのだと思う。子どもが「ねえ、見て見て!」といったらその場に駆け寄り、何が「できなかった」で、何が「できる」に変わったのかに気づく。そしてそれに驚き、喜ぶ。それが大切。
恐らくどの子も、初めて立った時、初めて言葉を発した時の親の驚きを、どこかで覚えているのだと思う。「いま立った!立ったよね!」「今の、言葉だよね!言ったよね!」と、親が驚き、喜んでいる様子を見て、子どもはいつしか、自分の成長で驚かすのを何よりの楽しみにするようになったのだと思う。
赤ちゃんは放っておいても、能動的に動き、物事を知ろう、「できない」を「できる」に変えよう、とする生き物ではある。しかしどうやらそこには、「できない」を「できる」に変えた瞬間、一緒に驚いてくれる大人の存在が重要であるらしい。
「チャウシェスクの子ども」。ルーマニアでは、大統領だったチャウシェスクが中絶を禁じたため、養い切れなくなった親が子どもを捨てることが少なくなく、そうした孤児を大量に抱えている施設があった。そこでは食事は出すものの、子どもの相手をしようという大人はいなかった。
その子どもたちは、おかしな挙動をする子がほとんどだった。言葉も発せない子どももたくさんいた。ルーマニアの医師は「生まれつき知能が遅れている」と言っていたという。ところが2歳未満の赤ん坊をヨーロッパ各地の心優しい里親が育てると、萎縮していた脳も正常化し、元気に育ったという。
どうやら、人間は「能動感」を感じるには、他者が必要であるらしい。自分の「できない」を「できる」に変えることができた、その事実に驚き、喜んでくれる存在。それが「能動感」をいやがうえにも強め、次なる挑戦をしようと意欲が湧いてくる、重要な要素となっているらしい。
そうした、自分の成長を見守る人、「できない」を「できる」に変えた瞬間を共に驚いてくれる人がいる中で育った子どもは、次第に他者が見ていなくても「できない」を「できる」に変えたくなり、自発的、能動的に動けるようになっていくらしい。しかしそれには他者が並走する、助走期間が必要。
一緒に並んで走ってくれる大人が必要なのだけれど、おんぶして代わりに走ってくれる大人はむしろ迷惑。能動感を奪ってしまうから。視覚障害のランナーが、伴走してくれる健常者のランナーと、ヒモを通じて道を知り、ゴールに向かって走る、あの様子に似ているかもしれない。
健常者ランナーは決して視覚障害のランナーの手を引っ張ったり、背中を押したり、命令したりしない。視覚障害ランナーのペースに合わせ、その力を信頼し、任せる。健常者ランナーは、他者にぶつかったり道を間違えたりしないようにするアシストをすることに専念する。
視覚障害のランナーは、確かに健常者ランナーのアシストがないとマラソンを無事に走り切ることは難しいだろう。けれど、マラソンを走り切ったのは、あくまで視覚障害のランナー自身。その能動性がなければ、健常者ランナーがどう動いたって走り切れるものではない。
親も、そうした伴走者として捉えたほうがよいように思う。走るのは、あくまで子ども。そして、走ろうとするのは、昨日より今日、速く走れるようになった、力強く走れるようになった、という、「できない」を「できる」に変えることができた、その能動感を楽しんできた歴史があるからこそ。
しかしもし、「その程度のスピードで満足するな!お前はまだまだだ!」とか、「この程度で疲れたなんて情けない」など、むしろ「できない」ことを強調する他者がいたら、やる気がするだろうか?ゲンナリし、決して走りたくなくなるだろう。
能動感を味わうには、できるのは当たり前と当然視したり、一定以上のパフォーマンスを期待したり、それに達さなくてガッカリしたりする他者がいると、無茶苦茶ジャマ。逆に、「できない」を「できる」に変えた時、「できた!やった!」と驚いてくれる他者がいると、俄然やる気が出る。
むしろ、できないことが当たり前だと考え、期待せず、能動性が現れることさえも当然視しない他者がそばにいると、「え?能動的だねえ!」と、能動的になったことだけで驚いてくれるので、やる気が出やすい。能動性の出現には、他者の存在がとても大きいように思う。
看護・介護の世界では、ついつい「患者のために」何でもやってあげてしまうことで、患者を無能者にしてしまうことがあるという。立とうとするとケガをするかも、だから寝たきりにさせ、下の世話も体をふくのも寝たきりのまま。すると、高齢者は低くない確率で寝たきりになってしまう。
しかし、ユマニチュードという介護技術は、患者の「能動性」に着目する。患者の目の前に近づいていくことで、患者はケアする人の存在に気づき、見ようとする(能動性が現れる)。手を下から支えるように触れ、「手を挙げて見てもらえますか?」と頼むと、患者は上げようとする。
そうして、能動的に患者が協力してくれることにケアする人間は驚き、喜ぶから、患者はますます能動的に動こうとする。ユマニチュードは、ケアする側の人間が、患者の能動性に驚き、喜ぶことで、患者の能動性を引き出す技術だと言えるように思う。
こうして考えると、人間は生まれてから死ぬまで、能動的に生きたい生き物なのだと思う。そして、能動的に生きることで驚き、喜んでくれる他者との関係を必要としている生き物のように思う。人間という生き物は、そのようにしてデザインされているもののように思われて仕方ない。
ならば、親は、子どもの能動性を奪わないように、むしろ子どもが能動性を発揮したことに驚き、喜ぶ存在でいられるように心がけたほうがよいのではないか。すると、子どもはますます能動的にいろんなことに取り組み、挑戦するようになると思う。それが能力開発につながっていくもののように思う。
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