金持ちや権力者は好きなことしてよいという幼児性丸出しの記事

これがなんだかバズってるというか炎上してるのなんだろな、と思ったら、なるほどな。「富と権力を握った人間は何してもいい」という弱肉強食の競争社会を容認し、むしろ内々には積極的にそれを評価する内容。興味深いのは、なぜ日経がこんな記事を取り上げたのか、という点。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC291KV0Z20C24A7000000/?n_cid=SNSTW001&n_tw=1722393213

小泉政権の頃から芽吹きはあったのだけど、第一次安倍政権あたりから私にとっては明確に、日経の記事の傾向が大きく変わった、と感じていた。それまではプロボノなどの社会貢献を意識した記事がとても多かったのに、弱肉強食は世の習い、金持ちがさらに金持ちになった方が世の中良くなる的な。

第二次安倍政権になるとこの傾向はさらに露骨に。スティーブ・ジョブズ氏を例に挙げ、「優れた人間を金銭的に優遇すればさらに社会は活性化する」と、貧富の格差を広げることの何が悪いみたいな記事がものすごく増え、他方、プロボノの記事なんか全く目にできなくなっていった。

ところが第二次安倍政権が終わり、菅政権も短期間に終わり、岸田政権に変わると、久しぶりにプロボノの記事を目にした。おや?と思った。ここ二十年近く、日経は弱肉強食的で、富裕層に有利な社会観を描いてきた。そうした記事を書くように勧める勢力の存在を感じる。

岸田政権になって様子が少し変わったのだけど、それでも揺り戻し的な、「金持ちがさらに金持ちになって好き勝手やって何が悪い、悔しいならお前らも金持ちになれ」的な記事が出たり。その都度私は怒って記事を書くエネルギーにしたりしていた。

今回の記事も「金持ちが好き勝手することは学者も認める自然現象、そんなに否定することでもないのだ」と庶民に刷り込むことができるかどうかを試すアドバルーン的な意味合いを感じる。もし「そうだそうだ!」と追認する意見が出てきたら、弱肉強食主義の再燃を狙うつもりだったのでは。

正直、その目論見、アホかと思う。もしそんな論調が増えたとしたら、庶民は絶望し、金持ちへの憎悪を募らせ、やがて金持ち相手の犯罪を「当然の報い」と考える風潮を強める可能性がある。金持ちが金持ち自身の首を絞めることになる。その点がアホだと思う。

愛され、尊敬される金持ちはあり得る。そうなるにはどうしたらよいかをよくよく考えて頂きたい。金持ちになり権力者になれば何でも好きに振る舞っても許されるなんていう、幼児性丸出しな欲求は、正直愚かすぎて開いた口が塞がらない。

日経も、こんな記事を載せるには、それをしろという勢力があるからなのだろうけれど、ちいとは考えてほしい。それ、権力者や金持ちのためになるどころか、彼らの首を絞めることになるよと警告してあげてほしい。ホンマにアホらしい記事や。

ちょい補足。先の東京オリンピックの運営幹部の発言の端々に「俺たち金持ち・権力者のためのサーカス」という空気が感じられて、胸糞悪かった。その発想があるためか、不祥事も多かったし、人選も疑問だったり、まともな人が企画から降りたり。

どうも運営幹部は、「金持ち権力者は好きなことしても許される」的な思想を持ってるなあ、という印象濃厚だった。それでいて通訳をボランティアでこき使おうとしたりケチ臭い一面も。そうしたところで金を浮かせて、浮かせた金をどこにやるつもりやねん、というのが本当に目立ったと思う。

社会の空気が変わり、「彼ら」の肩身はやや狭くはなっている。しかし幼児的な欲望を丸出しにしたい「彼ら」は、好きに振る舞うことができた安倍政権時代を懐かしく思ってるフシがある。安倍氏を支持する人にはいろんなタイプがいるのだけど、有力者にはどうもこのケを強く感じるのはなぜだろう。

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