「成熟」についてのここまでの探求
かれこれ10年ぐらい、「成熟」について興味を持っています。大人が成熟するってどういうことだろう、自分のこの、成長というよりは成熟したい欲望は何なんだろう、人類が成熟するってどんなことでどうありえるんだろうか…などなど。散漫にいろいろな本を読んだり、また学んできました。
この記事で、これまで触れてきたことを一度まとめてみます。棚卸しであると同時に、同じようなことに興味関心を持つ方と繋がる土台にしたい、と思ってます。
ー追記
書き出してみると、成熟のほかに、「よく生きる」「よりよくなる」「自分自身になる」など問いが複数混ざりながら未整理のままあることに気づきました。それぞれの項目が成熟にダイレクトにつながっていないのもあり、ゆるく周辺に存在してます。踏まえて読んでいただけると幸いです。
背景
「成熟」に興味を持つようになったきっかけ、「成熟」に興味があるんだと認識するまでにはいくつか背景があります。箇条書きでいくつか共有させてください。
環境保全団体に勤めていた当時、勿体無いと感じたこと。環境への意識変容を訴えるわたし達だけれど、自分も含め、職員もそれぞれの視点以上を持つのが難しくなることが多く、衝突もあり、どうしてだろうと考えていた。
同上マーケティングを担当していた当時、たとえ自分が良いと信じていること(環境保全)を実現するためでも、感情的脊髄反射を利用するのはどうなんだろう、と思ったこと。可哀想な動物で感情に訴えて寄付をいただくより、熟慮のもといただければなぁ、考えていた。
コーチングを学ぶ中、望む人生、あり方を考えるように。まだ具体化しきれないままだけれど、自分が「より良くなりたい」「成熟したい」という欲望を強く持っている、と気づいたこと(こういうのが自分のより良いだ!という具体化にはまだ至らず)。
トルコ旅行の際に、スーフィズムの実践を見学(観光客向けのセマー(旋回舞踏)かと思いきや、ガチだった)。その後調べると、宗教的な情熱って、成熟やより良くなりたいという欲望と根は同じなんじゃないか、と思うようになったこと。
他にもいろんな関連する学びや出来事がありますが、総じて興味関心が減じていない。社会レベルにおいても個人レベルにおいても、自分自身においてもやっぱり興味が変わらずあるなぁ…と感じているのが今です。
で、こういったことを興味関心がある方と話してみたい。知恵や実践を共有してみたい、と思うようになり、この記事を書くに至ってます。
これまで調べたこと
そんな背景を持ちつついろんなことを吸収してきましたが、特にインパクトがあったものを並べていきます。
そもそもこれらを棚卸しして並べたいと思うようになったのは、ユヴァル・ノア・ハラリ「21 Lessons」の以下文章を読んでからです(読んだのはだいぶ前)。
いやほんとそうだなぁ…と思ってます。彼にとっては瞑想が、わたしにとってはこれから述べるもの達がそうだけれど、他者にとっては違うだろうと。それが何でどうインパクトを与えてるかを聞いてみたいし、かつ、他に何があるか要覧を作ってみたいと感じてます。
MBTI®
30歳ぐらいの頃に出会いました。当時、死ぬほど恋愛がうまくいっていなかった中、相手の自然と自分の自然がどうしてこんなにも違うのか説明を与えてくれて、大きな大きな衝撃を受けました。以降、MBTIも含めて人の違いを説明する考え方(性格心理学など)を学びましたが、出発点にもなりました。
MBTIは人の性格についての考え方であり、自己や他者理解のメソッドでもあります。カール・グスタフ・ユングという心理学者が提唱したタイプ論をアメリカ人親娘が発展させたもので、人の心には利き手があり、それらの組み合わせにより16タイプにざっくり分けられるだろう、という考え方です。
詳細は以下、私のHPや日本MBTI協会のサイトをご覧になっていただくとして、ここで取り上げたいのが、MBTIおよび元となったタイプ論に心の成長が織り込まれている点です。
人は、人生の前半戦は心の利き手を活用し育てて生きるが、後半戦になるとそれが通用しなくなる。あるいは飽きたりする。そこから軽んじていた利き手じゃない心に目を向け育むことにより、心の全体性に向かっていく、という考え方です(中年期の危機もそうやって訪れる、とされてます)。
この考え方はいいなぁと感じてます。自分の成熟への欲求と説明がフィットしている感じがする。かつ、タイプ毎にざっくりとした全体化の流れがあるがゆえに、それぞれ異なった成熟の過程と全体化があると説明してくれる。またそういう「動機」を人が持っていると説明するのも気に入っています。
真偽や正確性、どれぐらい多角的に検証されているかなどなど疑問符はたくさん付けられると思いますが、上記のような気づきを与えてくれつつ、かつ、「成熟」というコンセプトの出発点をもたらしてくれたのがMBTI/タイプ論でした。
■MBTIのざっくりとした説明
■一般社団法人 日本MBTI協会のサイト
※なお本稿で述べているMBTIは、16 Personalitiesとは別物です。見かけは同じように見えますが、根本の理論が違います。ので、違うものとご理解ください。
知性の発達
ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー著「なぜ人と組織は変われないのか」で知りました。
環境保全団体当時、矛盾を感じると思った出来事がありました。ある人が業務上や職務上、あるいは役職上求められる変化には抗うけれど、環境教育に携わって若者の意識を変えたいと希望していて、その矛盾はどうしてご自身的に許容されるんだろう…と感じて手に取った本でした。
著者達は、知性には大きく分けて3つの段階があり、それぞれは質的に異なっているとしてます。
大人になっても知性は発達を続け、「世界の理解の仕方」と「世界で行動する際の基本姿勢」が発展していく、と説明している。別の説明では、“自分が客観視できている「客体」としての性格をもつ思考や感情”、が増えることだとも説明してます。
成長とも違う質感を持つ成熟ってどういう感じなんだろう、と考えていた時に、この知性の発達という考え方は、1つ、しっくりくる説明のように感じています。IQが高いのとも違い、どれぐらい自分を理解し、客観視できるかが重要である。それは自分の思う、あるいはあって欲しいと感じる成熟の質感に近いがゆえに、気になる考え方として残っています。
※なお、これ以外に知性に関する本をしっかり読んでおらず、妥当性等は把握せず記載してます。「へー、そういう考え方もあるんだー」ぐらいでお読みください。
スーフィズムあるいは神秘主義
知ったのは前述、トルコ旅行の際に。帰ってから何冊か読んだ中で、山本直輝『スーフィズムとは何か』が分かりやすかったです。その扉書きで著者はスーフィズムを以下のように説明してます。
また著者はスーフィズムを、“よく生きるための「実践の道」”とも説明しています。スーフィズムを実践する修行集団はアラビア語で「タリーカ」といい、これは「道」と同義とのこと。日本語でいう剣道や柔道、武士道や茶道と同じ用法だと言います。
どの「道」も、自分の理解だとその実践を通じて「よく生きること」「より良い存在になること」を志向していると思います。その点において、なんとか道やスーフィズムを含む神秘主義には、あらわれは違えど自分で言う成熟への欲求と同じような動機があるんじゃなかろうか、と感じています。思いつきの正否も含め、この点に大変興味を持っています。
もう1つ面白い、と感じたのが心あるいは魂の発達段階(≒成熟)が定義されていること。著書中では、その一派であるナクシュバンディー教団の事例として、人間の精神的成長の度合いによって魂が七段階に分かれることが紹介されてます。
スーフィズムにおいて精神的成長(成熟)をどう定義するか、という中身においても興味を惹かれるけれど、それ以上に自分的に成熟に類すると思うことについて、いろんな知恵の体系において語られているんだ、という発想に遅まきながら気づかせてくれたことが大きいです。
先に述べた知性の発達はビジネス領域(あるいは発達心理学?)における定義でした。同様の試みがスーフィズムや、きっと禅や哲学の領域でもあるんだろうと感じていて、他にどういう領域に似た知恵があるのか知りたい、と感じてます。
マインドフルネス
一時期、仕事やら自分の先行きやらあれやこれやで心が一向に落ち着かん!!!となってた時に、友達が行っていた赤坂にある東京マインドフルネスセンターの体験に行ったのがはじめましてです。マインドフルネスストレス低減法を心理学的治療として提供していて、その一般向けクラスへの参加でした。
何度か行くうちに面白い感じを覚え、かつ変わらずもやもやが増して落ち着かなかったタイミングでもあったので、3ヶ月のプログラムに参加、学びました。
いまも印象に残っているのが、刺激(Stimulate)と反応(Reaction)の間を気付けるようになる(Awareness)ことにより、意図的な応答(Response)をできるようになろう、という考え方。汚い手書きで恐縮ですが、図にするとこんな感じ。
ポイントなのが、初めはSとRの間に余裕が無いこと。この状態だと心は刺激にすぐ反応するのを繰り返すだけで、感情の客体化もなければ、自動操縦のように過ごしてしまうことになってしまいます。
だから、マインドフルネスの実践を通して自分の感情や身体感覚に気付けるようになる、間にAwarenessを入れられるようになり、単なる反応から意識的な応答を選んでいくことが可能になる、という考え方です。
成熟している人を思い浮かべる時に、潜在的な感情の奴隷ではない、と考えてます。前述のユヴァル・ノア・ハラリの言うように、恐怖や偏見、怒り、コンプレックス…そういったものを自覚できず振り回されることのしんどさよ…。自分の身にも、会社の中でも、社会の中でも多々あることでしょう。
まだまだまだまだ、気づいて応答することができていません。が、少しずつ客体化を進めるためにも、個人的には有用な実践だと感じてます。
コーチング
いくつもあるコーチング流派およびスクールの内、わたしはCTIジャパンが提供するCo-Activeコーチング®を学び、コーチ資格(CPCC)を取りました。
Co-Activeコーチングは、人は根源的に3つの願いを持っている、という人間観を前提としています。そのうちの1つとして、“人はいつでも充実した人生を生きたいと願っている”があります。
セッションにおいて、この願いはとても大切です。あなたはほんとうは何を願っていますか?充実しているときは体にどんな響きがありますか?などなど…内省を深めながら、問いと遊びながら、自分だけの響きを味わい、それに向かっていくよう関わっていきます。
で。これは常に自分への問いとしても存在してきました。わたしの響きとはどんなだろう?自分の人生の目的を生きるとは何だろう?…などなど。学び出してからなっかなかしっくりくる答えに出会えず、かつ、前述の通りこれだ、という言葉にまだ出会えてません。
ただやっぱり、「成熟」や「よく生きること」、「自分自身になっていきたい」という欲望がとても大事なんだ、と感じるようになってます。その中身は何なんだよに答えられないことに引け目を感じるものの、自分の人生をドライブさせる強い願い、欲望があることを受け入れるようになっています。
以上は自分の体験です。踏まえた上で一歩引いて考えると、コーチングはその人の願い、その人を響く充実した人生へ向かわせる、という点において、なんらかしらの成熟?上有用なアプローチなんじゃないかなぁ、と考えてます。
個人の願いを優先して共同体の役割を放棄するのは成熟じゃなくね?大人じゃなくね?という議論も成り立つかと思います。この章、うまくまとまらず…引き続き考えたいと思います。
これから調べたいこと
ここまで、なんらかしら自分の思う成熟に関わる知恵や実践について書きました。棚卸しをしながら、他にも知恵や実践はあるよなぁ、とやはり思ってます。現状気付いてるものについて、メモ書きを以下の書きます。
成人発達理論?発達心理学?
前述の知性の発達を含むであろう知識体系があるかと思います。コーチング界隈ではよく聞く成人発達理論はほんの少ししか齧ったことがなく、これから。ビジネス領域での知恵の他に、発達心理学もあるだろうと思います。どういったところから手をつけたら良いか、手がかりが欲しいなと感じてます。
宗教における知恵/実践?
これはスーフィズムに端を発したもの。想像でしかありませんが、仏教および禅、道教や儒教、キリスト教にも?なんらかしら類する知恵があるだろうと思ってます。
哲学?
何かで知って、セネカの『人生の短さについて』を読みました。
ヘレニズム哲学の学派であるストア派の哲学者で、よく生きることについて考え、実践した人なんだと理解しています(他にもいろんなことやってます)。
で、そのストア派です。Wikipediaでは「個人の道徳的・倫理的幸福を追求する」のが特徴である、とあり、この点において自分の興味関心に近いと感じてます。何が道徳的・倫理的であり、どのような実践でそこに至るのか。スーフィズムで知ったことと同様の観点を押さえてるんじゃなかろうかと考えてます。
これまた他にもいろいろあるだろうと思われますので、おっつけ追いかけていきたいと思います。
まとめ
ここまで読んでくださってほんとうにありがとうございます。感謝です。
棚卸ししていて、いくつかの問いが混ざり、未整理であるなと感じました。「成熟とは」「よく生きるとは」「よくなりたいとは」「自分自身になりたいという欲求」などなど。また書き出した項目も粒度がバラバラです。ごちゃごちゃのまま書き出したものたちも整理できるのか、も考えてみたい。
また興味の方向性も2つぐらいに収束しつつあるかも…とも感じました。人類における成熟とは何で可能なのか、が1つ。もう1つは私はどう生きたくて何が大事なのか、がもう1つ。すでに存在する知恵や実践の力を借りながら、特に後者におけるヒントが欲しいんだな、と改めて思いました。
以上です。何かピンとくるものがあったり、こういう知恵や実践も類するものじゃ無いか、話してみたいなどなど、何かあればぜひ共有してください。話しましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?