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『親バカ青春白書』を見て感じたモヤモヤ

『親バカ青春白書』というドラマが8月2日から始まった。

普段ドラマは見ないのだけれど、昨日たまたま、教師をしていた頃の卒業生から連絡があった。同窓会をしていたという4人からテレビ電話がかかってきた。でこのドラマの話題が出て、面白いので見てくださいと言われて観てみたのだ。彼女達は大学1年生だ、今オンラインで授業を受けているらしくてストレスで大変だそうだ。


ドラマ自体はとても面白いコメディーだったのけれど、見た後すごくモヤモヤした。そして、実はこのモヤモヤは現在の日本の問題点を表している気がしたので、思ったことをメモとして書いておきたい。


まず簡単にストーリーを説明すると、親バカで娘を心配しすぎている父親の賀太郎(ムロツヨシ)と大学に新入学する娘さくら(永野芽衣)が主人公である。父親は、娘が心配であるのと、大学生活を送ってみたいという事で、なんと娘と同じ大学の同じ学科に新入生として入学するのだ。そして、父娘が同級生になるという設定で、そこでドタバタ劇が起きる。

さて気になったのは、今回の話の山場である。娘さくらは父親の目を盗んで、インターカレッジの飲み会に参加する。見学に行ったテニスサークルで教えてもらった飲み会であった。会場であるナイトクラブに行き、ちょっとおどろおどろしいクラブの様子に不安を覚えつつも、大学生になった今独りで色々なことに挑戦しようと思い、娘はもう一人の女友達と一緒にクラブに入る。そこで、チャラそうな男に飲み物を聞かれる。未成年者だったので、ソフトドリンクを注文するが、飲んだ直後から体がおかしくなる。デートレイプドラックが混入されていたのだ。気が遠くなる女性。そこに暴行を働こうとするこのイベントの主催者の男達が現れる。このイベントは、実はレイプ集団が行っていたものだったのだ。サークルの皮を被った犯罪集団だった。彼等の手口は大学の新入生(女性)にデートレイプドラッグを飲ませレイプするというものだった。

ここまで観て、なんで女性というだけでこんなひどい目に合わなければいけないんだろう、クラブに行く事さえ恐れなければいけないのかと苦しくなった。また、このドラマの事を教えてくれた、大学生活が始まったばかりの卒業生の女学生達はこれをどんな気持ちで見ているのかと悲しくなった。

物語の結論から言うと、そこに、娘の携帯のGPSで場所を特定した父が助けに来て一件落着するという話だ。

その解決方法がコメディータッチで、ムロツヨシの破天荒さなど見ていて面白い。でもよく考えたら話の中身は全然笑えない…なんなのこれ。

なんで女子学生がそんな目に合わなければならないのか…そんな酷いことが起こる構造自体は何一つ問題にされていなくて恐怖だけが残る。

これそもそも、デートレイプドラッグを飲まされて襲われるって、どんな地獄なの。こういう本来社会全体で問題にすべきことをこんなカジュアルに描いていいのか。ドラマの一つのネタとして描いていいのか…

一番強く思ったのは「どうしてそういう事が起こるのかその闇自体をドラマにしないといけないのではないのか」ということだ。

そこを一番ドラマにしなくてはいけない。それだったら見たい。

思えば何度も日本では、こうした大学生の女子を狙ったレイプ事件が起こってきた。それが温存される理由として、もしかしたら男性中心の社会構造、男性が様々なルールを決めている現状が影響しているのではないか?男尊女卑、家父長制なども影響していると思う。また、婦女暴行事件が起こっても、”必死に”女性が抵抗しないと、同意があったとしてレイプとしては認められないという現実もある。

そこに関し、一切このドラマでは問題視されていない。その”社会問題自体を問題にしない事”があまりにも時代錯誤だと思ったのだ。まだ日本のドラマはこのレベルなんだ・・・・

というのも、最近私は立て続けに韓国の小説を読む機会があった。最近の韓国の小説の多くは、女性が経験する困難さや不平等の問題、家父長制社会の問題など、社会問題を絡めて書かれている。(例『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著、『わたしに無害なひと』チェ・ウニョン、『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』イ・ボキ等)

韓国の小説はドラマはそうした社会問題の背景まで踏み込んで見つめようとしている気がする。それが、エンターテインメント系の作品であってもだ、だが、日本のドラマはまだそのレベルまで至っていないように感じる。

昨年アカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督のパラサイトも、フィクション作品でありながら韓国社会の闇をちりばめている。貧困や身分などの問題、弱者への目線などをしっかり描いている。(だから海外でアカデミー賞を受賞するほどの作品になる)

日本のドラマでは今回のデートレイプドラックの話にしても、一切その問題を深堀しようとか、見つめようという気概が感じられない。そもそも、視野に入っていない感じ。

今回のドラマであれば、この事件を解決して終わりではなくて、「こういうことがあってはならない、自分の娘だけではなく、決してこういう事が許されてはならない」というそこへの怒りが欲しかった。そこへの怒りとか憤り、悲しみみたいなものが感じられなかった。それで、僕はその事に絶望した。

もう日本のエンターテインメントは韓国のエンターテインメントから根本的な部分で大きく水をあけられていると思う。私は、少し寂しく思った。日本ではこうした作品はつくれないのか……

韓国の人々は冷静に歴史や、社会の闇を見つめようとしてきた。長い時間をかけて。教育もそうなっていると思う。そして、日本はそれをしてこなかった。歴史修正主義や都合の悪いものは見ない流れは日本で加速している。

でも、日本にも気概ある人は沢山いる。そうした人たちを応援したいし、そうした流れを私は大事にしたいと思うのだ。


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