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チョン・セランの短編小説「リセット」(『声をあげます』所収)の感想

チョン・セランの『声をあげます』という小説を読んでいる。


そのなかの「リセット」というSFが面白い。今のコロナの状況につながる話だ。人間が環境破壊をしているさなかに、巨大ミミズがやってきて人類を滅ぼしてしまう話である。人類はほぼ絶滅する。地下に潜った数名の人間たち。世界がリセットされたようにその子孫たちは、不便な地下で巨大ミミズ以前とは違う価値観を持つ人達になっていく。その未来の人たちは巨大ミミズがやって来る以前の人間たちの所業を見て驚く。

どうして人間以外の動物の権利を無視していたのだ?なぜ着れないほど多くの服を所有していたのか?どうして、環境を壊してまで多くのものが大量生産されていたのか。等々…

今の時代、私達が当たり前だと思っている人間中心主義が反転している世界が描かれることによって、今の私たちの欲望のあり方が照らされる。(これは手塚治虫の『火の鳥~未来編~』とも通じる話である。

私達一人一人の欲望は時代によって規定されていく。大量消費・大量生産のシステムの中で育っている私たちはその在り方を疑うことは難しい。私自身もそうだ、動植物が工業的に生産され、人間の食品となった命を当たり前のようでスーパーで買って頂く。消費することで生活が成り立っている。

しかし、やっぱり、今の時代が異常なのではないか?人類の中でこれほど特異な時代はないのではないか、という眼差しも大切なのかもしれない。なぜなら、やっぱりそれが問題ないならいいんだけど、様々な問題を起しているからである。

おそらく歴史の中でも、人間の生の欲望をこれほど手放しに全肯定する時代と言うのは無かったのではないか?

人間が求めてきた自由をこれほど享受できている時代ないのだと思う。しかし、その欲望肯定の中に見逃されているのは、人間の欲だけを肯定する方向で突き進んできたということではないだろうか。チョン・セランの小説はその中に「人間以外の動物の幸せ」を無視していることを何か問題提起しているように思う。

これは絶句する外ない、なぜなら私は今日も、牛や豚や魚のいのちを頂いているからだ、そしてその事にほとんど痛みを感じることがないからだ。

しかし、人間だけの幸せを全肯定する方向で本当に良かったのだろうか?

将来の世代の人たちは、やっぱり僕らの生きた数百年というのは、何か異常だったと思うのではないか?

たとえ不便だったとしても、他の動物の幸せや、行き過ぎた快楽や欲求の充足を求めるような方向とは違う幸せを見つける道もあるのではないか。

チョン・セランの描く未来の人眼差しに、僕らが取り逃がしている大事なことがあるように思うのだ。


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