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夢を思い出したとき

noteの使い方を、変えよう。
つい最近、そう思った。

今までの私のnoteは、主にコンテストへの応募が目的だった。
いつかエッセイストになりたい、という夢があり、コンテストに応募すればその夢に近づけると思ったのだ。
奇しくもちょうど一年前の今日。夢を持って始めたnoteだったが、長続きはしなかった。

noteの公式コンテストのテーマは、(私の体感では)「挑戦してみたいこと」だとか、「背中を押された言葉」だとか、前向きでさわやかで学校の作文的なものが非常に多い。
それは決して悪いことではないのだが、私は元来後ろ向きで暗くて学校が嫌いなので、疲れてしまった。あと普通にネタ切れした。そんなに人生が分厚くない。

そこで11月を最後にコンテストへの応募はしなくなり、以後は月一で生活記録を投稿することを自分に課していた。が、それも疲れてきて、今年の5月に書いて以来やめてしまった。


noteのことを思い出しもしなくなった頃、ある転機が訪れた。
役者を目指している、昔の同級生の女の子との再会だ。

再会といっても、スマホ越しである。
学生時代、私は彼女とほとんど話したことがなかった。けれど、明るくていつも笑顔を絶やさない姿に憧れていた。
卒業して何年か経ったあと、彼女が役者を目指していると人づてに聞いたときは、すぐにTwitterのアカウントを探してこっそりフォローしてしまった。

覗き見するのも悪い気がして、あまり監視しないようにしていたのだが、彼女のYouTubeを見るくらいなら迷惑にならないだろうかと思い、見始めたのが契機だった。
ハマってしまったのだ。そのチャンネルでたった2本の長めの動画を、毎日2~3周見た。それだけでは飽き足らず、彼女が17 LIVEというアプリでやっている配信も見に行った。

それが件の”再会”である。
今週の月曜日に初めて見た配信で、彼女は泣いていた。
5年もやってるのに芽が出なくてごめん、とファンに謝り、でも30歳までは頑張るって決めてるから、それまで応援してね、とぼろぼろ泣いていた。

そのとき急に、私も頑張らなきゃ、と思った。
19歳から30歳まで、10年以上も夢を追い続けるなんて並の覚悟ではない。周りは就職したり結婚したりしていき、取り残されるような気持ちにもなるだろう。
Twitterで、インスタで、Youtubeで、配信で、反応が少なくてもくじけずに発信し続ける彼女の姿に、心が動いた。

ジャンルは違うけれど、私にも追いたい夢があることを思い出した。
文章を書くのが好きなこと。食えなくてもいいから、文章で仕事がしたいこと。


そこで行動した。
去年締切を逃した文学賞があったことを思い出し、新しく詩を書き上げて応募した。
受賞は簡単ではないだろうが、まずは作品を完成させて応募できたことが第一歩だ。

それから、noteを再開することを決め、昨日と今日、二日連続で投稿した。
それも、お菓子作り整理整頓ライフハックという、ありきたりだけど自分にとっては新しいタイプの記事だ。

他の人のnoteを見ていると、いろんな使い方をしている人がいる。Twitterのような短文を書いている人もいるし、ブログのように使っている人もいる。

なんでもいいんだ。そう思えた。なんでもいいから、その日の自分が書きたいことを書いてみよう。なんなら、書きたいことがなくてもなにか書く練習をしてみよう。

当面の目標は、毎日投稿。それが無理なら、毎週。毎月。季節ごとに一本。
ありきたりでも、面白みがなくても、とにかくなにか書いていれば見えてくるものがあるんじゃないだろうか。

だから、書く。たとえ誰にも読まれなくても。


とりあえず、今日はプリン食べて歯みがきして寝ます。

#一歩踏みだした先に

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