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いいねの数=実力という価値観は捨てた方が楽になれると思う

今月の頭に、新しいバイトを始めた。ショッピングモールの中に入っている、和菓子カフェ(持ち帰りもイートインもできる)みたいな、変な店だ。

目下、とにかく人手が足りないらしく、次々に新しい仕事を覚えさせられ続けている。ドリンク作りにレジ打ちにシロップ作り。レシート用紙を買いに行く場所、ガムシロップやミルクポーションなど備品の買い出し、などなどなど。

ここでは、前のバイト先と違って、ミスをしても誰にも責められない。しょうがないよ、誰でもミスはするよという雰囲気である。頑張っているのにミスをして、毎回責められて泣いていた私には天国のような場所だ。

食べることが好きなので、おいしい食べ物に囲まれて働けるのも幸せである。
通りがかる人が、「ねえ見て!おいしそう!」と言ってくれると嬉しいし、「団子を三本ずつ、二種類ください」なんて言われると、三人で一緒に食べるのかなぁ、とか想像が膨らんで楽しい。
別にその場で買ってくれなくても、「帰りに寄ろうか」とか、「今度かき氷食べに来たいね」なんて会話が聞こえるだけで嬉しいのだった。

とはいえ、慣れないうちから新しい仕事を詰め込まれ続け、なかなか疲れてきたところである。今月で辞める人が多いそうなので、即戦力が欲しいのは想像がつくが、人はマシンではないのだから、ちょっとペース配分とか考えてほしいところ。

もうひとつ疲れてきたのが、趣味のコスプレ関係のこと。
特に仲のいいコスプレ友達が二人いるのだが、二人とも、ちょっと価値観が合わないなと思い始めてきた。

一人は、人の美醜や巧拙をあげつらうところが苦手である。
「この人オバくない?」「爬虫類みたいな顔」「ウィッグ汚くない?」「靴が公式と違うのが許せない」だとかなんとか。
コスプレはルッキズムの世界なので、最初はそういうものかなと思って、私も便乗して人を小馬鹿にしたり、嫌いなレイヤーの悪口を並べたりしていた。

でも、そうしていると、自分がだんだん汚れていく気がした。
それに、そこまで人の欠点ばかり見つけてくるこの人は、私の欠点もたくさん見つけているんだろうなと思って、心から信用することができなくなった。
人の悪口じゃなくて、もっと楽しい話がしたいと思った。

もう一人は、TwitterのRTといいね数を過大評価しているところが嫌いである。
「もうすぐフォロワー1000人だ」「初めていいねが300超えた」「これで俺もいっぱしのコスプレイヤーだ」……。

1000人と言ったって、彼は好きなジャンルのコスプレイヤーを見つけたらなりふり構わずフォローしているし、かなりの頻度でコスプレイベントに行き、知り合いを増やしているのだから、フォロワーの大半は相互である。
そりゃ、あなたのやり方を続けていれば、年月に従って数は増えるでしょうよ、と思ってしまう私は意地悪だろうか。

フォロワーが欲しい、いいねが欲しい。その欲求を抱えているコスプレイヤーは他にもたくさんいて、でも私には、ばかみたいに思える。

いいねやブックマークが多い作品=優れた作品だなんて公式はどこにもない。
TwitterでもpixivでもYouTubeでも、ちょっと探せばすぐにわかる。
反応が多くてもたいしたことない作品はごまんとあるし、反対に、どうしてこんなに反応が少ないの? と思うくらい素晴らしい作品が、ネットの海には埋もれている。

小説を書いてみれば、同じ私が書いた小説なのに、人気の作品の二次創作を書けばブックマークは300を超え、オリジナル小説のブックマークはたしか3とか4とか。世の中そんなもんである。

どうしてこんな簡単なこともわからずに、目先の数字ばかり追いかけて一喜一憂するんだろう。インターネット初心者でもあるまいし。半年ROMれってやつである。

いろいろなことが重なって、くたびれている。しばらく人と連絡を取るのも、会うのも休んで、一人でまったり過ごしたい。ごろごろしたり、YouTube見たり、漫画読んだり、ゲームしたりしたい。
こんな話を一ヶ月前も書いていて笑ってしまった。ちょっと休め、自分。

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