太宰治を巡る、ひとり旅
太宰の生まれた青森県五所川原市、旧制高校時代を過ごした弘前市、最期の東京時代を過ごした東京都三鷹市を巡ってきました。
熱烈なファンではないですが、東北地方もあまり行ったことなかったので、太宰をきっかけのひとつとして青森県に行ってきました。
三鷹も、帰省ついでに太宰最期の土地として足を運んでみました。
太宰治歴
教養として「人間失格」を読んでみて意外といける…!!と思い、有名なものは読みました、くらいのにわかファンです。
文学的な堅い内容と思っていましたが、破滅に進んでしまう男の繊細な文章に気づけば惹かれてました。内面は素直で人臭くて愛らしさすら感じます。
モテていたのもよくわかる。
これまで読んだ本は以下。
気づけば細く長く付き合いです。
どんな人でも少しは感じたことのあるような気遣いや気疲れ、他人への羨望、自分への自戒、期待に、なんとなく共通点を感じてしまうところがファンが多い理由かと思います。私だけがわかる・私だけが特別とみんなに思わせているような、無意識な人たらし的やり口?に気が付いてきました。
人間失格(読了日:2017年10月17日)
斜陽(読了日:2018年12月13日)
ヴィヨンの妻(読了日:2019年3月30日)
もの思う葦(読了日:2019年6月16日)
走れメロス(読了日:2020年1月17日)
グッドバイ(読了日:2022年5月22日)
太宰治(読了日:2023年9月12日 ※師である井伏鱒二の作品)
津軽(読了日:2023年12月31日)
太宰治を知る
作品を知るなら、おすすめ小説をまとめたサイトがたくさんありますが、時期と太宰の心境(後半ほど暗い)を意識しながら、選んで読むと人が知れて面白い気がします。
太宰本人や青森を中心としたゆかりの地など知るなら、「太宰ミュージアム」でしょうか。非常によくまとまっていて、今回の旅の計画にも参考にさせていただきました。
YouTubeで特別ショートフィルムも公開されていますが、金木町の斜陽館でも同じものが公開されていました。
三鷹周りの散策には、三鷹市公開の以下を参考にしました。
年末年始で太宰治文学サロンやみたか観光案内所は閉まっていましたが、ここも寄れるとより楽しめそうです。
旅程
以下のルート3泊4日で行ってきました。
国内ひとり旅行はあまり経験ありませんが、のんびり過ごせました。居酒屋や銭湯で聞こえてくる津軽弁もよかった。
本当は読了してから行きたかったですが、本人が書いた津軽旅行記の「津軽」を片手に読み進めつつ、青森と太宰を知りながら旅できたのがわくわくしました。
備忘録として、以下で写真をぺたぺたご紹介します。
1.青森県弘前市
旧制高校時代に下宿していた親戚の藤田家があります。現在は「太宰治学びの家」として、住宅街にぽつんとあり、中では希望すれば30分程度の解説が受けられます。
自分が行った時も一人だったにも関わらず、解説員の方が丁寧に施設内を説明をしてくれました。
この18~21歳くらいを過ごした時代にもの書きや芸子遊び、お酒などを覚え、今後の太宰を形作る大事な時期だったそうです。
最期の玉川上水への入水自殺を除く2回の自殺未遂のうち、1回目のカルモチン(睡眠薬)での自殺を図った現場でもあります。敬愛していた芥川龍之介の自殺が原因だとか。
2.青森県五所川原市金木町
青森市内から1時間半~2時間くらいかけて移動しました。
経路・時間帯によってはリゾートしらかみから津軽鉄道ストーブ列車への乗り換えになるので、移動そのものが面白いです。
小さな町ですが、駅降りた瞬間から駅や看板に"太宰治"の文字があり、太宰の気配がすごいです。彼の生家がいまは「斜陽館」として国の重要文化財に指定されています。中は当時の暮らしや家族関係、太宰の生き様がわかるような資料がある記念館となっています。
太宰の父親は金融業で青森県内でも指折りの大地主であり、記念館にできるくらいの実家の大きさに驚きました。周辺の家と比べてもでかすぎる。
斜陽館から歩いて20分ほどの芦野公園も美しいです。緑の豊かな時期ではありませんでしたが、雪の積もった芦野湖もシンとしててよかった。
小説「津軽」にも登場する場所で文学碑や銅像があり、太宰治に会えます。ほかにも金城町内に関連施設が数多くありました(年末で閉まっていましたが)。
3.東京都三鷹市
甲府での二度目の結婚後に移住し、疎開後には最期を過ごした土地です。
金木同様、町中に太宰の匂いが残っていて、前述したマップのゆかりの地には立て看板が設置され、スタンプラリー的にうろうろできます。
ただ当時のまま残っている建物などはほとんどなく、多くが跡地となっています。唯一残っていた陸橋も2024年1月現在は閉鎖中で、撤去が決まっているそうです。。
山崎富榮(愛人)と入水自殺した地点や懸命の捜索によって遺体が発見された場所、お墓は残っています。
お墓は禅林寺の森鴎外のお墓とはす向かいにあります。亡くなった当時の津島(石原)美知子の計らいだそうです。お墓参りもさせてもらいました。
~番外編 青森市の思い出~
青森駅周り(青森市)もうろうろしたので、備忘録として。
おわり
些細なきっかけから太宰の出生地から最期の土地までを巡ることができました。こんなことしたのは初めてですが、これから読む作品もより楽しめそうで、やっぱり読書と旅はセットで面白いなと思えました。
太宰に関連する井伏鱒二や森鴎外、嫌いだった志賀直哉、川端康成など文学作品もハードル下げて読んでみたいと思います。
太宰の周りには文章や写真、モノを保存してくれる人が多くいたこともあり、各地に記録がたくさんあります。保存してくれる人がたまたま近くにいたのか、"残したい"と思わせる才があったのか、鶏と卵ですが、おかげで豊か過ぎた感受性を分けてもらえたような気がします。
恐れ多いですが、本記事の〆も「津軽」の引用で終わります。当時から死のイメージはあったのかもですね。
…似た旅されている方も多くてnote面白いです。参考にさせていただきました。
お時間あれば、他の記事も覗いていってください。
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