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太宰治を巡る、ひとり旅

太宰の生まれた青森県五所川原市、旧制高校時代を過ごした弘前市、最期の東京時代を過ごした東京都三鷹市を巡ってきました。

熱烈なファンではないですが、東北地方もあまり行ったことなかったので、太宰をきっかけのひとつとして青森県に行ってきました。
三鷹も、帰省ついでに太宰最期の土地として足を運んでみました。

飛行機からの雪国もきれい


太宰治歴

教養として「人間失格」を読んでみて意外といける…!!と思い、有名なものは読みました、くらいのにわかファンです。
文学的な堅い内容と思っていましたが、破滅に進んでしまう男の繊細な文章に気づけば惹かれてました。内面は素直で人臭くて愛らしさすら感じます。
モテていたのもよくわかる。

これまで読んだ本は以下。
気づけば細く長く付き合いです。

どんな人でも少しは感じたことのあるような気遣いや気疲れ、他人への羨望、自分への自戒、期待に、なんとなく共通点を感じてしまうところがファンが多い理由かと思います。私だけがわかる・私だけが特別とみんなに思わせているような、無意識な人たらし的やり口?に気が付いてきました。


太宰治を知る

作品を知るなら、おすすめ小説をまとめたサイトがたくさんありますが、時期と太宰の心境(後半ほど暗い)を意識しながら、選んで読むと人が知れて面白い気がします。


太宰本人や青森を中心としたゆかりの地など知るなら、「太宰ミュージアム」でしょうか。非常によくまとまっていて、今回の旅の計画にも参考にさせていただきました。
YouTubeで特別ショートフィルムも公開されていますが、金木町の斜陽館でも同じものが公開されていました。


三鷹周りの散策には、三鷹市公開の以下を参考にしました。
年末年始で太宰治文学サロンやみたか観光案内所は閉まっていましたが、ここも寄れるとより楽しめそうです。

太宰治の足跡コース, 三鷹市
https://kanko.mitaka.ne.jp/_files/00017619/220401_MitakaSansakuMap_Area03.pdf


旅程

以下のルート3泊4日で行ってきました。
国内ひとり旅行はあまり経験ありませんが、のんびり過ごせました。居酒屋や銭湯で聞こえてくる津軽弁もよかった。

ひとり太宰治ツアー ルート
 伊丹空港OUT→青森空港IN
  1. 弘前市 …旧制高校時代を過ごした土地
  2. 青森市 …旧制中学時代を過ごした土地
  3. 五所川原市金木地区 …出生地、疎開時なども帰省
  新青森駅OUT→東京駅IN
  4. 三鷹市 …2度目の結婚生活、疎開後の最期を過ごした土地


本当は読了してから行きたかったですが、本人が書いた津軽旅行記の「津軽」を片手に読み進めつつ、青森と太宰を知りながら旅できたのがわくわくしました。
備忘録として、以下で写真をぺたぺたご紹介します。


1.青森県弘前市

旧制高校時代に下宿していた親戚の藤田家があります。現在は「太宰治学びの家」として、住宅街にぽつんとあり、中では希望すれば30分程度の解説が受けられます。
自分が行った時も一人だったにも関わらず、解説員の方が丁寧に施設内を説明をしてくれました。

この18~21歳くらいを過ごした時代にもの書きや芸子遊び、お酒などを覚え、今後の太宰を形作る大事な時期だったそうです。
最期の玉川上水への入水自殺を除く2回の自殺未遂のうち、1回目のカルモチン(睡眠薬)での自殺を図った現場でもあります。敬愛していた芥川龍之介の自殺が原因だとか。


太宰治 学びの家, 外観
弘前駅から歩いて15分くらいの住宅街にポツンと
太宰治 学びの家, 入口
本人がお出迎え
太宰治 学びの家, 2階太宰の部屋
奥の小さいデスクが太宰が使っていたもの。部屋には当時の落書き(左上)もある
太宰が通っていた旧制弘前高等高校跡地に弘前大学がある
弘前市観光館
ねぶたやお土産、郷土資料館的な施設もある
弘前城
弘前城 堀沿いの桜並木
冬でも桜色のライトアップで十分きれい
津軽鉄道 中央弘前駅
こじんまりとしていて可愛らしい外観、個人的にぶっ刺さり


2.青森県五所川原市金木町

青森市内から1時間半~2時間くらいかけて移動しました。
経路・時間帯によってはリゾートしらかみから津軽鉄道ストーブ列車への乗り換えになるので、移動そのものが面白いです。

小さな町ですが、駅降りた瞬間から駅や看板に"太宰治"の文字があり、太宰の気配がすごいです。彼の生家がいまは「斜陽館」として国の重要文化財に指定されています。中は当時の暮らしや家族関係、太宰の生き様がわかるような資料がある記念館となっています。
太宰の父親は金融業で青森県内でも指折りの大地主であり、記念館にできるくらいの実家の大きさに驚きました。周辺の家と比べてもでかすぎる。

斜陽館から歩いて20分ほどの芦野公園も美しいです。緑の豊かな時期ではありませんでしたが、雪の積もった芦野湖もシンとしててよかった。
小説「津軽」にも登場する場所で文学碑や銅像があり、太宰治に会えます。ほかにも金城町内に関連施設が数多くありました(年末で閉まっていましたが)。


リゾートしらかみ, 青森~五所川原へ
津軽鉄道(ストーブ列車), 五所川原~金木へ
金木駅
着いてすぐに太宰の文字
斜陽館(太宰治の生家), 外観
重要文化財として家の中や資料(撮影禁止)が見学できる
斜陽館(太宰治の生家), 内観
広すぎでは…??
斜陽館(太宰治の生家), 2階
小説「津軽」で実兄ときまずい時間を過ごした金屏風の部屋
斜陽館(太宰治の生家), 内観
小説「津軽」の旅ルート
芦野公園, 太宰治の銅像
津軽鉄道 芦野公園駅
奥に見える赤い屋根は喫茶店「駅舎」
雲祥寺
幼い頃子守りのたけが太宰治を連れてきていたそう


3.東京都三鷹市

甲府での二度目の結婚後に移住し、疎開後には最期を過ごした土地です。

金木同様、町中に太宰の匂いが残っていて、前述したマップのゆかりの地には立て看板が設置され、スタンプラリー的にうろうろできます。
ただ当時のまま残っている建物などはほとんどなく、多くが跡地となっています。唯一残っていた陸橋も2024年1月現在は閉鎖中で、撤去が決まっているそうです。。

山崎富榮(愛人)と入水自殺した地点や懸命の捜索によって遺体が発見された場所、お墓は残っています。
お墓は禅林寺の森鴎外のお墓とはす向かいにあります。亡くなった当時の津島(石原)美知子の計らいだそうです。お墓参りもさせてもらいました。

「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」

小説「花吹雪」より


跨線橋(陸橋)
今は閉鎖されていて、撤去が決まっているそう、、
田辺肉店離れ跡
ゴミ箱上のステンレスプレートに解説が書かれている。他も箇所もほとんどが"跡地"
太宰文学サロン, 年末年始休暇中
グッズはサイトから購入したので満足
玉川上水 入水箇所付近
記念碑, 金木町名産の玉鹿石
玉川上水
いまは穏やかですが、当時洪水時は人喰い川だったそう


~番外編 青森市の思い出~

青森駅周り(青森市)もうろうろしたので、備忘録として。

八甲田丸メモリアル船
内部も記念館みたくなっていて、しっかり観光できます
青森魚菜センター
好きな海鮮を選んで丼にできる「のっけ丼」が名物、めちゃ美味い
ベイブリッジ、ねぶたの家ワラッセ
ねぶたの家ワラッセ, 内観
ねぶたの歴史や昨年優秀賞に選ばれたねぶたが見られる
赤い糸のモニュメント
小説「津軽」での一幕がモニュメントになっている
定食屋おさない
どの時間でも少し並んでいるイメージ、ホタテがうますぎた


おわり

些細なきっかけから太宰の出生地から最期の土地までを巡ることができました。こんなことしたのは初めてですが、これから読む作品もより楽しめそうで、やっぱり読書と旅はセットで面白いなと思えました。

太宰に関連する井伏鱒二や森鴎外、嫌いだった志賀直哉、川端康成など文学作品もハードル下げて読んでみたいと思います。

太宰の周りには文章や写真、モノを保存してくれる人が多くいたこともあり、各地に記録がたくさんあります。保存してくれる人がたまたま近くにいたのか、"残したい"と思わせる才があったのか、鶏と卵ですが、おかげで豊か過ぎた感受性を分けてもらえたような気がします。

学びの家にある当時の写真, 右下の文章に太宰を記録した人たちの記載
口元のVサインは敬愛していた芥川龍之介の真似


恐れ多いですが、本記事の〆も「津軽」の引用で終わります。当時から死のイメージはあったのかもですね。

さらば読者よ、命あらばまた他日。
元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

小説「津軽」より



…似た旅されている方も多くてnote面白いです。参考にさせていただきました。


お時間あれば、他の記事も覗いていってください。


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