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Family Ties ーニューヨークの、ある家族の絆

(2005年に執筆した記事に加筆しました)

ある冬晴れの日曜日、ベイビーシャワー(出産前のパーティ)に呼ばれ、ブロンクスにある義弟の家まで行ってきた。
義弟のモーリスはもうすぐお父さんになる。ガールフレンドのお腹の中には、小さな命が宿っているのだ。

夫、義弟、義妹の父親はそれぞれ違い、母親が今まで一番愛していた人は義弟の父親だったらしい。

住まいはブルックリンのゲットー(注1)だったが父親はきちんと仕事をもっており、母親は主婦として完璧に役をこなしていた。おもちゃも十分な食べ物も家にあり、夫にとっても「人生で一番、家族が家族らしい時期」だった。

しかしその父親は夫が7歳、義弟が1歳のときに突然死し、この世からいなくなってしまった。義弟はその一番家族らしい時期を全く覚えていない。それから母親は歯車が少しずれたようになって、 色々な男の人とつきあっては別れ、義妹の父親にいたってはアル中でとんでもない暴力男だったという。

ベイビーシャワーの日、義弟が夫に一枚の紙切れを見せた。「この入れ墨を入れようと思うんだ」そこには、漢字とローマ字で、彼の父親の名前が書かれていた。夫はうなずき「そうだな、それはいいアイディアだな」と言って、じっとその紙切れを見つめていた。

義弟はまだ見せたいものがあるらしく、棚の奥からまた何か出してきた。それは古めかしいロボットのおもちゃで、私にはただのがらくたにしか見えない。

「なつかしいなあ! こんなものを、まだとってあったのか?」

夫はそれを見ると興奮した声で義弟に言う。「このロボットで、昔よく遊んだんだ。もう25年も前になるんだな」

義弟が11才のとき夫は家を出て、それから母親と義妹と義弟の3人は、何回も何回も何回も引っ越しをした。

あるときは家賃を払っていないという理由で家財道具を一切持って行かれ、 あるときは母親のボーイフレンドに「邪魔だ」と言われ、義弟が家から追い出されてしまったこともある。だからこそ25年前に遊んでいたそのおもちゃのロボットを、義弟が今でも大事に手元にとってあるということにとても驚いた。

ゲットーで育つということは、私には到底わかりっこない世界だ。夫の友人が撃たれて死んだとか、オーバードーズ(薬の大量摂取)で死んだとか、エイズで死んだとか、そういうことを聞いても、それが私の住む同じNYで起こっていることなんて想像がつかないし、まるで別世界の出来事のように思える。義弟も同様に、何人もの友人を亡くしている。

「たくさんの大切な友達をここで亡くしたから、僕は彼らのために絵を描いたんだ」

一枚の絵の横には、「Rest in Peace(安らかに眠れ)」と書かれていた。

義弟のガールフレンドのナンシーは35才。プエルトリカンとドミニカンのミックスで、前夫との間に4才になる娘がいる。とてもいい子なのだけれど、何か気に入らないことがあるとすぐに手を出そうとする。ナンシーには前歯が何本かなく、それを隠すためか笑うときに少しだけ口が歪む。揺れるピアスの首元に傷を見つけた。前夫からの暴力は彼女に傷も残し、義弟はそういうの全部受け止めて、一緒になると決めたのだ。

4才の娘への接し方も、彼はもうすっかり父親の顔になっていて、私が知っている義弟とはまるで違う人間みたいだった。

今はブロンクスのゲットーにある、薄汚いアパートの4階に住んでいる。階段は小便くさいし、ゴミだらけで、ドアの隙間からはマリファナの臭いが漂ってくる。バスルームの窓は割れていて、そこはカーテンで塞がれていており、隙間からひゅーひゅーと風が入ってくる。

「私はブロンクスが嫌いなの。特に、このエリアの人はとてもネガティブなんだもの。はやくクイーンズへ引っ越したい」とナンシーは言う。

ベイビーシャワーに呼ばれ、私たちが弟の家に着いたとき、まだ1組のカップルしか来ていなかった。3時になっても、4時になっても、誰もやって来ない。彼らはこの日をとても楽しみにしていたのだと部屋の様子を見てわかった。天井から「It's a Girl!(産まれるのは女の子)」と書かれたリボンが何本もぶら下がっており、ケーキはピンクと水色の大きな二段重ねで、上にはおもちゃのメリーゴーランドが所在なげにぐるぐると回っていた。そしてキッチンには、たくさんの招待客を予想して、ふんだんに食べ物が用意されていた。

「夜中の3時まで料理をしていたの。でも色々な人がキャンセルしてね、あなたたちがいてくれて嬉しいわ」と、ナンシーは少し寂しそうに言った。6時過ぎにようやくもう一組がやってきて、私たちは少しホッとした。なぜなら、この二人が歩みだす新しい人生をできるだけ多くの人で祝いたいと思ったからだ。結局それから10人ほど集まり、ケーキを切って、みんなで談笑し、無事にベイビーシャワーが終わった。

夜の10時近くになって私たちはようやくブルックリンの家に着き、それから夫は義弟に電話をした。何かとても言いたいことがあったらしい。

「そういえば、俺はお前が小さいときに家を出てしまったから、まともにお前の父親のことを話したことがなかっただろう?お前の父親は、本当にいい親父だったと思う。素晴らしい人間だった。だから彼の名前の入れ墨は、すごくいいアイディアだよ。それと・・・今日のお前を見て、本当に誇りに思うよ」

この日、義弟の家で「日本語の練習」という本を見つけた。わざわざ蛍光ペンで引いた箇所もある。どうしてこんな本があるの? と聞いたら、

「きみに日本語で手紙を書こうと思ったんだ。でも、難しくてあきらめちゃった」

ゲットーで育ち、今までに何人もの友人を亡くし、義父から家を追い出され、自分の家族もばらばらで、高校すら出ていない義弟。

だけど、ぜったいに、誰にも奪えないものがちゃんとある。義弟のその部分に触れると、私はなんだか心をきゅっと掴まれたようになるのだ。

人はときどき、物事がうまく行かないときに、他に何か原因をみつけようとする。そしてそれを理由に、本質を見過ごしてしまう。だけどその現実に身を置くという選択をしたのは、まさに自分であって、他の誰のせいでもない。ならば、そこで自分がどういう生き方を選択するのか、その責任は自分にある気がする。急に大人になった義弟を見て、なんだかそう思えてきた。

「僕たちの母親は、どうしようもなくだらしのないところがある。それでも弟があんないいやつに成長したってことは、彼女の育て方がそうそう悪くなかったのかも知れないな」と夫はまるで他人ごとのように言った。

そして、「子供が生まれる前に、また会いに行こう。今度は、おむつをたくさん買って持って行こう」と決意していた。

(注1)ゲットー=

(1)ヨーロッパでユダヤ人が隔離されていた地域

(2)主にマイノリティーが住む貧困地域

ここでは(2)の意味で使用している。


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