#113

こんにちは!

雑念かも知れないが、自分の言葉を通そうとするなら自分は「凄くないといけない」気が漠然としている。

それはもう子どもの頃からずっと。凄くない人の言葉は聞かれない。そう世間を見ていたし、感じていた。

「凄い」の定義はあやふやだけれども。

‪大きな声を出したり、脅かしたり、って言うリスキーで安易なやり方は‬子どもが先ず思い付くところだけれど、

それではレッサーパンダの威嚇の如し(ググってみてください)。

否、ああも「可愛い〜」とはならないか。

未来の前借り。失うものが多すぎる。









そうではなくて、付き従う...とも違うが、

素直に。ただ気持ちよく言葉を聞ける姿勢にするような威厳というか、道理というか。

社会構造の上ではだいぶポピュラーな感性だとは思うのだけど、

「ならば凄くなろっかな」と考えている人は少ない気がする。

話術や語彙力でそれを補う人もいる。

「見た目」がわかり易いようで、実際中身が伴わなくとも影響力のある人ってのは多いように思う。

出来るならそういう発言力のある人には、配慮、思慮があって欲しいものだけれど、

それを悪用することも簡単に出来てしまうし、正義の執行はいつも極端になり、

対岸にしてみれば悪用とも映る。

何の話をしているかといえば、要は僕はお子にとって「凄く」なければならないな、と

そういう気持ちでいますという話です。

今日はそんなところで。

明日の夜から明後日の朝にかけて台風が関東に来るとかで、

僕は出勤ですが、妻は温情で急遽休みをいただけるかもとのこと。

転ぶだけで一大事ですからな。

血の通った組織というのはありがたいなと、家族の所属するところとなると、より痛感します。

ありがとうございます。

皆さんもお怪我などされませんように。

それでは本日も、よろしくお願いします。

励みになります。