20220520「ニンパイならどうする?」
週が暮れる、金曜日の夜。
『ワイルダーならどうする?』という本がある。サブタイトルにもあるように、名監督のビリー・ワイルダーに、やはり映画監督のキャメロン・クロウがインタビューしたものをまとめた一冊だ。
ビリー・ワイルダーは「サンセット大通り」という映画が素晴らしく好きだったし、キャメロン・クロウは「あの頃ペニー・レインと」が切なくて良かった。まあ、それぞれの詳しいキャリアはWikipediaで読んでくれればいい。ここで書くのは本のタイトルになってる「ワイルダーならどうする?」という言い回し。これはワイルダー自身が自分の師匠であるエルンスト・ルビッチを尊敬していて、書斎の壁に
「ルビッチならどうする?(How would Lubitsch have done it?)」
と書いた紙を貼り、行き詰まった時にそう考えることでピンチを切り抜けてきたという有名な話である。
あるよね。主に仕事のような、具体的な答えや解決が求められる局面において、「◯◯さんだったらこういう時どうするだろう?」と考えること。◯◯にはリアルでよく知る先輩や上司などが入ることが多いと思う。少なからずリスペクトしている人がいて、あの人だったらどうするだろう?と、あくまで想像の範囲なんだけど、普段の自分とは違うアプローチを試みる。僕も、それでなんだかんだ切り抜けられたピンチが実際にある。
実際に手法がハマったというよりも、おそらく姿勢の問題がでかいんじゃないかな。謙虚な気持ちになって、尚且つ客観的に状況を見るような視点を得るというのがポイントなんだろうと思う。アプローチとしては悪くない。
そして、日常においてもそういうことってある。何か具体的なピンチを切り抜けるというよりも、もっと漠然と行き詰まったような気持ちになった時の「◯◯さんだったらどんな風に考えるだろう?」というマインドセットだ。こっちは上記の仕事のケースよりも、うんと曖昧でいい加減だ。ぼんやりしてる。自分の場合は「◯◯さんだったら」というよりも、「◯◯的な考え方をするとどうなるか?」「その行動や選択は◯◯的だろうか?」みたいなこと。ちなみに◯◯はすべて人名が入る。「その考えは田村隆一的か?」とかそういうの。面白いが、それで実際に楽になったりするからしめたものだ。
特に後者の、日常における突破口のモデルにする人って実在じゃないこともある。例えば映画の中の作り上げられたキャラクターだったり、本の中の登場人物だったり。作品の登場人物はカリカチュアされているからだいたいが類型的で極端である。いい部分しか出てこない、見えないキャラクターも当然ある。それでも頭の中では、まるで生きた人間のようにこういう人格だろうと想像してイメージを作り上げる。つまり自分の頭の中で勝手に描いた人物像を頼りにしている。まあ、リアルもファンタジーもそういう意味では区別はない。我々はリアルで身近な他人だって、ほんの一部しか見えてないかもしれないのだしね。
そして、都合がいいようだが、それでいいんだと思う。みんな同じように、他人のことはわからない。わかったつもりになるしかない。もっと言えば、誰と相対するかによって、人って対応や感情が変わる。誰に対してもすべて同じ対応をする人なんていない。原理的にいないんです。あり得ない。だから、自分にとってすごく嫌な人だと感じられる人も、誰かの前では普通にいいやつかもしれない。それは誰も悪くない。単に、関係がそうだという話でしかないのだ。人間関係ってそれぐらい複雑だ。だから、そんな風に人のことはわからないということを認めた上で、それを見ている自分を信じて、その信じる自分に映る他人を信じるしかないのだろうと思うんだよね。
やぶさかではありません!