チャプチェで地球人になりたい
子供の頃、親の転勤でソウルに住んでいた。
当時は未だ戦争経験者も普通に健在でして。
その辺のお店のおじちゃん、スクールバスの運転手さん、お手伝いのおばちゃん、ちょっと年配の人なら流暢に日本語が話せた時代だった。
私は現地の日本人学校に通っていたのだが、日本の小学校と違ったのは週2コマの韓国語の授業があったことだろう。
その韓国語の先生が強烈だった。
戦前の人らしく日本語が流暢なおばちゃん。
韓国語のことはほぼ教わった記憶はない。
日本がどんなに韓国にひどいことをしたのか、どんなに韓国人が苦しんだか、という話に始まり、終わり、そして繰り返される。
口調は淡々、説明調、とか程遠い。
子供を前に年配の方が本気で怒り狂うおしおきタイム。
日本だとまず遭遇しないシチュエーションだろう。
針の筵みたいな気不味さの中でひたすら耐え忍ぶしかなかった。
当然ながら、語彙は「ウユ」以上に増えることはなかった。
私はこの先生が苦手というか、嫌いだった。
親の都合で韓国連れてこられて、いきなり日本人はひどい、「あなた達」は悪い、と全否定されて嫌にならないほうがおかしい。
日本人とか十把一絡げにすんなバカやろー。
俺たちだってたまたま日本に生まれただけやねん。
もう理不尽以外の何者でもない。
しかし先生がウン十年前に受けた「理不尽」はさらに凄じかった様だ。
もうどうにも止まらない怒りで頭から湯気がでて、怨念は背中から黒く立ち昇っていた。
当時を経験した人にしてみれば、いまさら道理だとか綺麗事では片付かなかったのかも知れない。
そんな中で当時の政治家は極めて厳しい立場に置かれていた様だ。
母が属していた日本人コーラスグループに、どういう経緯か併合時の韓国の外交官のお孫さんがいらしたそうだ。
お祖父様はロシアにつくか、日本につくか、選んだ責任者だったそうで、ご本人はカナダ在住で、ついぞ祖国の地は踏めなかったらしい。
まわりがジャイアンしかいない世界で、どっちを選んでも良いことない訳で。
何かを選んだら全力で恨まれる地獄の選択肢。
現代に生まれたって、本当に幸せなことだとつくづく思う。
なんで人は力を持つとジャイアン化するんだろう。
それにも関わらず、年配の日本語の話せる韓国の人達には日本人の私にやさしい人達が多かった。
例えば現地のお手伝いのおばちゃん。
当時の駐在さんの家では、現地に還元する意味もあり、お手伝いのおばさんに家に来てもらう暗黙の不文律があった。
私の家にはチェさんという方が両親が留守の時に来てくれていた。
私が美味い美味いと言うから、いつもおやつにチャプチェとゴマ油の焼き海苔を作ってくれた。
テストで100点とって偉いねとチャプチェ。
学校でケンカして泣いて帰ってきた時もチャプチェ。
とにかくチャプチェ。
人生のチャプチェの9割以上はチェさんから提供されたと言っても過言ではない。
とても綺麗な眉毛ですね、と孫みたいに可愛がってくれた。
眉毛ねぇ。。
チェさんに当時の日本の横暴ぶりを聞いたことが有ったが、笑ってチャプチェを作ってくれた。
日本への恨み言はあったはずだが、チビに話しても仕方ないと思ったのか、忖度もあったのか、とにかく聞いたことがなかった。
戦前、チェさんの日本人の先生はやたら厳しかったけど、現地の子にも日本の子にも公平だったらしい。
漢字の読み書きも叩き込まれたそうだ。
韓国の小学校では漢字を教えない、と憤慨していて、自分の孫に教えるからと、日本の漢字ドリルを親にリクエストしていた。
当時のプロ意識の高い教員のお陰で、私はチェさんのチャプチェを食べまくった。
韓国の人達の本音はどこにあったのだろう、と当時から思っていた。
韓国語の先生の怒りっぷりには、とにかくウンザリだったが、間違いなく本音だろう。
一方、スクールバスの運転手さんに、日本人は嫌いじゃないの?と聞いたことがあったが、あなたは嫌いじゃないよ、と言ってくれた。
理性的な回答だ。
これも本音だと信じたい。
一方で、戦前を生きた韓国の人達には色々思う権利があるのは間違いない。
とにかく沢山の理不尽に掻き回されたのだろうから。
記憶の中の日本人達と、うん十年後の日本人の少年その一、人格は違うはず。
でも理屈じゃない。道理じゃない。
憎しみと怒りが、そこにはあった。
そんな理不尽な「雰囲気」は世代を超えており、
同年代の韓国の子供達は日本人の子供とみるや石を投げてきたものだ。
こっちもやり返したから、日本人と韓国人の子供達のグループは公園で小さい戦争を繰り広げていた。
私達はいつも憤慨していた。
誰も戦前を生きていないのに。
石を投げてきた子、あなたも日本に生まれていたかも知れないぜ。
一方で、私も差別をしていたことを思い出した。
当時、小学校では突然、名字が変わる子が何人もいた。
「本当は朴っていいます」
「これからは李だから、よろしくね」
勇気が要っただろうな、小学生には、と今にして思う。
しかし、周りはクソガキばかり。
いやいや、「雰囲気」に流される未熟者ばかり。
なんだ、実は韓国人だったのかよ、とからかいが行われていた。
悪いことも何でもないのに、ただただ理不尽。
もしかしたら自分も加担していたんじゃないかと、今思うと情けない。
自分が日本人として差別を受けたはずなのに、それを誰かに向けてしまうことほど情けないことはない。
ここにも憎しみの連鎖の種は生まれてしまった。
だから幼心に思っていたこと。
それは次世代への理不尽の伝播をどうにかならないのかってこと。
ナショナリズムってなにってこと。
なんで十把一絡げにするのかってこと。
日本人なんて、韓国人なんて人格はいないってこと。
サッカー代表が勝つと盛り上がるけど、ふと我に帰る。
おいら、リフティング3回くらいしか出来なくないか?
人は誰しもどこに生まれるか分からない。
出自はどうにもらならない。
私はあなただったかも知れない。
それは私が韓国語の先生に放っていた想いだし、途中で姓が変わって、からかわれた同級生が私たちに向けた想いでもあろう。
人はヴィンランドサガのトルフィンみたいにはなれないのだろうか。
なれないよ、と韓国語の先生が怒り狂っている姿が目に浮かぶ。
たぶん、ロジカルかどうかの話じゃない。
前提条件の話なんだろうな。
そういえば、どういう経緯か、石を投げあった内の数人が我が家に遊びに来たことがあった。
ゲームなら遊べるだろうと、一緒にディスクシステムの名作、メトロイドをやった。
共通の敵である宇宙生物を倒すと何となく盛り上がった。
子供同士の戦争なんてそんなもんだった。
やっぱり、宇宙人が来ないと地球人のインディペンデンスデイは来ないのかも知れない。
あそこでマリオブラザーズだったら日韓戦になっていたんだろうか。
そっちのが仲良くなれたのかな。
一緒にチャプチェ食っておけば良かった。
チャプチェで地球人になっときゃ良かった。