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我々の偉大な旅路 第3章 広州 ~前編~

↑ こちらのシリーズの続きです

↑深圳編はこちら


 13日の夕方に神戸を出て深夜に香港の赤鱲角チェックラップコック空港に到着した我々は重慶大厦チョンキンマンションの安宿で一泊したあと、香港尖沙咀チムサアチョイを街ブラし、鉄路で深センへと至り、羅湖ルオフー華強北路フアチャンベイルーを観光したあと、紆余曲折を経てその日の最終目的地である広州へと向かうバスへ乗ったのであった。

 香港も深圳も我々二人はもう既に訪問したことのある街であった。華強北路は初めて訪れた場所であったが、以前訪れたことのある深圳の中心地福田フーティエンとさほど離れてなく、街に雰囲気などには新たなものを見る感覚はなかった。それはワカナミも同じだったと思う。しかし、広州は我々のどちらにとっても初めて訪れる場所であった。いよいよここから未知の世界へと進む我々の偉大な旅路が始まろうとしていた。


日落


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 バスは定刻通りの18時に深セン北バスターミナルを出発した。バスのドアが閉まり、我々の広州までのバス旅が幕を開けた。しかしバスターミナルの出入り口のところでバスは一旦止まりドアが再び開いた。警察官のような人が乗ってきて車内をカメラで撮影すると、すぐにバスを降りて行った。防犯・防テロのための措置なのだろう。ビデオカメラで数秒車内を映すことによること自体の効果は些か疑問があるが、こうした対策を各地で行っているということが防犯につながっているのだろう。地下鉄の保安検査に加えて高速バスにおいても乗客のチェックを行なっているという、悪く言えば監視社会だが、良く言えば目の行き届いた防犯体制は現代の中国大陸の特徴であると言える。

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 バスはターミナルを出て夕陽が暮れかかる深圳の郊外を北へ北へと走り出した。羅湖ルオフー華強路フアチャンルーの近未来都市的な風景とは裏腹に郊外は煙たく沙混じりで雑然とした、しかし生活感があり人間の営みを感じられ暖かさの溢れる風景が広がっていた。夕刻ということもあり、人々は職場や学校から家路へと向かっているのだろう。そんな人々の動きがバスの車内から見て取れた。西日に照らされたバスはいくつかの郊外のバスターミナルに停まったあと、やがて高速道路へと入り夕陽が沈み闇に包まれつつある中国大陸を駆け抜けて行った。乗客たちは静かになることはなく、絶えずおしゃべりやその他の音を立てており、車内は終始賑やかだった。ふと後ろを見返すとワカナミは窓にもたれかかり眠っていた。私は公共交通機関で移動する際に眠るということがあまりない。本当に眠い時や夜行バスに寝るときでない限り、バスで眠ることはほとんどなく、車窓を眺めていることが多い。iPhoneでGoogle マップを開きながら、今どこの道を通っているのかを確認しながら外の景色を眺めていた。

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東莞ドングアン



 バスは深圳を抜けて東莞ドングアン市へと入った。東莞市は広東省の市で、ちょうど深センと広州に挟まれた都市である。私は東莞には前年訪れていた。東莞から帰国した後「東莞に行った」と少し中国に詳しい人に話すと怪訝な顔をされた。というのも、一昔前の東莞は"性都"の別称を持つほどの性産業の発達した街で、それを目当てに訪れる人も多かった曰く付きの街だったのだ。現在ではかなり摘発が進み、その面影もそれほど感じることもないし、私が東莞を訪れた目的はアヘン戦争博物館に行くことだった。イギリスが清朝に戦争を仕掛けるきっかけとなる林則徐によるアヘン投棄が行われたのが、ここ東莞の虎門という場所で、その地には現在博物館が建っている。香港や深圳のように超高層ビルが立ち並ぶことはなく、夥しいほどのバイクが行き交う、テレビで見たような前時代の中国の光景が逆に新鮮で胸を打たれた思い出の街、それが東莞であった。東莞を貫く高速道路は深圳広州間を移動する車のほか、東莞の市民も利用しているのだろう、暗くなった交通量の多い道路をライトをつけてバスは走り抜けて行った。

 日は完全に沈み大陸は夜になった。東莞を流れる東江という河を二回橋で越えたあとは、外の景色はたまに見える標識と街明かり以外には見えなくなった。時刻が7時半を回った頃、Google マップによるとバスは東莞市を抜けて広州市へと入った。

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天剛黒宵の口


 ほどなくしてバスは服務区サービスエリアで小停止をした。地図によれば沙埔シャーブー服務区という場所らしい。おそらくトイレ休憩で、些か尿意を催していた私は下車して用を足したかったが、広州まであと少しというタイミングでの休憩が不自然に思えて、「もしかしたら取り残されてしまうのでは?」との不安からついにバスから降りることはできなかった。

「トイレ行かなくて良いの?」

ワカナミが問う。

「置いてかれそうで怖いからまだ良いや。」

 数分後バスは再び動き出した。広州はもうすぐだと思っていたが、地図を見るとまだまだあるようだ。夜が更けていくのと同時に私の尿意も危険水域にまで差し迫ろうとしてくる。体を伸ばしたり、脚を組み替えたりして気を紛らわす。地図を見てもバスが停まるのはまだまだ先だ。深センから広州までを自動車で移動するとこんなにかかるとは思ってはいなかった。ほぼ同じ価格の高速鉄道なら1時間で着いたはずだ。なるほど高速バスに乗る人はこんなに少ないわけだと、この時に納得した。

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 そうこうしているうちにバスは高速道路を降りて一般道に入った。夜の広州の郊外をひたすら走っていく。夜とはいえ車が多いのはもちろんのこと、多くの人が出歩いており、大都会の片鱗を感じさせる。やがて街の灯りも明るくなってきて、車窓も賑やかになってきた。広州に着いたのだ。

 2時間50分の長いバス旅を終え、我々はついに広州の天河ティエンフー客運站バスターミナルにたどり着いた。時刻は21時目前。日が暮れる頃に着くつもりが、到着した頃にはとっくに夜になっていた。私は2時間50分の旅を共にしたバスとの別れを惜しむことなく、バスターミナルのトイレへと駆け込んだ。

旅程表

2018年9月14日 "我々の偉大な旅路" 1日目 深セン ~ 広州

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午後6時00分 深セン北バスターミナルにて広州広園(天河)行きに乗車

午後7時53分 沙埔シャーブー服務区サービスエリアにて休憩

午後8時50分 天河ティエンフー客運站バスターミナルに到着

(時刻はすべて北京時間)


↑第3章 広州 ~中編~ はこちらから

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