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『東京奇譚集』 村上春樹作 【母から子への愛と、父親から子への愛】

こんにちは、初めましての方は初めまして。

今回は、村上春樹さんの『東京奇譚集』について書いていきます。
タイトルの通り僕は、この本を読んで親の子への愛について
感じるところがあり、まとめてみました。
長くなりますがお付き合いください。

▼本全体の紹介
まずはこの本がどう言った本なのかということを紹介していきます。
この本は2005年に発刊された短編集で、
村上春樹さんの代表的な『海辺のカフカ』の次の作品になります。

この作品は、5話の短編で構成されていて、
各話の主人公は皆何かを過去に失っているという共通点があります。

そしてストーリーが進むにつれて、その失った何かを取り戻したり、
その喪失を受け入れたり、各々の方法で喪失に向き合っていく、
というストーリーになります。

▼僕の感想
ここからは収録されている5話のなかでも僕にとって最も印象深かった
「ハナレイ・ベイ」というお話について書いていきたいと思います。
ただ唐突に感想書いてもどう言った話がわからないと思うので、
軽くあらすじを書いておきます。

・あらすじ
この話は、息子を失った母親が主人公となって話が進んでいきます。
タイトルにもなっている「ハナレイ・ベイ」は主人公の息子がサーフィンをしている最中にサメに襲われ命を落とした海岸の名前です。
息子を失ってから毎年一回、主人公はこの海岸を訪れ、
3週間ほど滞在します。
そしてそこで様々なことを体験し、息子の死と向き合っていく、、、

この話を読んで湧き上がってきたのは、
「親から子への愛」についての疑問です。
この話に出てくる親子は、決して仲良くありません。
主人公も回想にて、
「もしあの子が自分の血を分けた自分の息子でなかったら、
近づきもしなかったのではないか」と言っています。
けれど、その息子を失うとその喪失感に打ちのめされてしまうのです。

子供がおらず、両親が共に健在の僕にはまだ理解できない感情でした。

母親の愛情は偉大です。
人として近づきもしないような人間である息子の死ですら悲しいのです。
子供を置いてどこかにいくのはいつも父親ですし、
自分を犠牲にしてでも子供を守ろうとするのはいつも母親です。

これは何故なのでしょうか?
妊娠期の肉体の不自由さや、
出産という想像を絶する痛みを経ることによって、
愛が生まれるのでしょうか?
もしそうだとしたら、もう片方の親である父親は、
どうやって我が子を愛せば良いのでしょうか?

父親の子供の愛し方に対する僕の中での現状の答えは、
母親を愛する事によってではないかと思います。
自分の時する女性が愛しているもの・ことを愛することによって、
間接的に我が子を愛するということが正解なのではないでしょうか?

母親の愛について何故かは分かりませんし、まだ答えが出てきません。
もし答えが出てきたら、まとめてここに書いていきたいと思います。
賛否両論がある話だとおもいますので、
是非コメントをいただけると嬉しいです。

次回は村上春樹さん、作の『ダンス・ダンス・ダンス』をについて、
読んで感じたことを書いていきたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。






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