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人と人がお互いに、言葉で承認し合うことの大切さ ~ヘンリ・ナーウェン著『愛されている者の生活』~
著者は、カナダにある知的ハンディを抱えた人たちのコミュニティで暮らしたカトリック司祭。世界的に知られた著述家でもある。
日本でもいくつか翻訳書が出ていて、今回読んだ表題の本は初版が1999年だ。版元は、あめんどうというキリスト教出版社で、代表の小渕春夫さんが翻訳している。
ヘンリ・ナーウェン著『愛されている者の生活 世俗社会に生きる友のために』(小渕春夫訳/あめんどう)
本書は、著者がノンクリスチャンの友人に向けて書いたもの。
もともと友人たちから、宗教的な背景を持たない者や、世俗的な社会に生きる者にとってわかりやすい言葉(耳を傾けることのできる言葉)で語ってほしい、というリクエストがあり、それに応じる形で、手紙としてつづられている。
そのため、とても読みやすい。翻訳の文体も、やわらかくて温かく、すごくいい。
内容は、著者本人が、自身の痛みや悩みと向き合って、人間として苦しむ過程で生み出してきた思索と随想。経験談が多く盛り込まれているのが魅力といえる。たとえばカナダのコミュニティで、ある少女から祝福がほしいと求められたときのエピソードが感動的だ。
はじめ著者は、その少女の額の前で、いつものように十字を切った。けれども彼女は、そんな儀礼的なものじゃなく「本当の祝福」がほしいと言う。
著者はどうすればいいかわからなかったが、とにかくその夜、コミュニティの仲間が集まっている場で、ジャネットという名のその少女に、次の言葉を贈った。
「ジャネット。私は、あなたが神に愛されている娘であることを、あなたに知ってほしい。あなたは神の目に尊い。あなたの美しい微笑み、いっしょに住んでいる人に対して示す親切、またあなたがしてくれるすべての善いことは、あなたが何とすばらしい人間であるかを教えています。あなたは最近、少しがっかりして、心にいくらか悲しみがあることを私は知っています。しかし、自分がどういう者であるかを忘れずにいてください。あなたは特別な人です。神から、またここにいるすべての人から深く愛されている人です」(同書より引用)
こんな言葉を、人前でまっすぐに言われたら、私なら泣いてしまう。
ジャネットはこぼれんばかりの笑みで応えた。すると次々、自分にもしてほしいという人が出て、結局そこにいた全員が(介助者の青年も含めて)同じように、著者から「本当の祝福」を受けた。著者自身もこの出来事から学び、また、癒されたところがあっただろう。
祝福とは、つまり承認だ。
キリスト教的に考えれば、私たちはみんな神さまから祝福(=承認)されている。とはいえ、そう言われてもなかなかぴんとはこないから、人と人はお互いに、言葉で相手を承認し、その喜びを与え合い、分かち合うことが必要なのだと思う。
私自身も、「神さまから祝福されているよ」というような、ふわっとした言葉より、「あなたのここが素敵だよ」と言われるほうが、単純にうれしいし、元気が出る。
きっと、大それたことでなくていい。
お店で食事をしたら「おいしかった」と伝えるとか、会議で「それはいい意見ですね」と声にするとか、近所の人に「きれいなお庭ですね」とあいさつするとか。(noteでスキをつけるのも、そのひとつになると思う)
ふり返れば、日常の暮らしや仕事の場面では、そういう気持ちが頭にあっても、表現しないで終わってしまうことがしばしばあった。今後はできるだけ、その時、その場で伝えるようにしたい。
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