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明日のことは、明日自らが思い悩む ~気楽に過ごす日曜日

 先週は、仕事で考えることが山盛りでした。人から頼りにされるというのはありがたいことですし、じつは「仕事こそわが人生」と思っているところのある私にとっては、喜びです。
 ただし、ちょっと疲れがたまってきたので、今週末はいつにも増して、ゆったりのんびりを心がけています。

 といっても、明日からの一週間のことや、先行きのことなどをつい考えてしまい、なかなか気が休まりません。
 そんなときに思い出し、心を楽にしてもらっているのが、こちらの聖句です。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
(マタイによる福音書6:34 聖書新共同訳)

 明日のことは、明日考えよう。
 それでいいじゃないの、という気分になります。
 そして、今日はまず今日やれることをしっかりやろう、とも。

 しっかり、と言っても、私の場合、今日は「しっかり休む」です(笑)。
 休むと決めたのなら、明日に備えてゆっくり休む。
 明日のことは、明日の自分がやってくれる。
 明日の自分を元気にするためにも、今日は「ちゃんとのんびり」しておこう、と、できるだけ気楽に過ごしています。

 そういう日は、過去のこともくよくよ考えない。「昨日のことは、昨日の自分が頑張ってくれたのだから、それでいいじゃない」と思えば、なんだかふっ切れます。

 ちなみに聖書には、こんな言葉も。

明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。
(箴言27:1 同)

 言われてみると、明日のことはおろか、今日一日で何が生まれるのかさえ、人は知らずに目の前の瞬間を過ごしているのですね。

 いまこの瞬間に、自分に与えられている時間が、愛しく感じられてきます。それは、命と言い換えることもできるのでしょうし、次の瞬間へつながっていく希望ととらえることもできるでしょう。

 せっかくいま、生きているのだから。
 今日やれることをやって(それが休むということなら、ちゃんと休んで)、明日の自分へ何かよいものを渡せるようにしたいなあ、と思います。

◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、kimuko(paludosnm)さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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