はじめて教会を訪ねた、小学生のときのたった1度のクリスマス ~「カトリックいろはかるた」が宝物に

 子どものころ、1度だけ、キリスト教会を訪ねたことがある。小学校3年生か4年生のときだった。
 そのころ私は、近所に住んでいた1年下の女の子と仲良しで、学校から帰ると毎日のように彼女とふたりで遊んでいた。仮にここではルツちゃんとする。そのルツちゃんの一家が、プロテスタントのクリスチャンだった。
 ふだん遊んでいるときに、キリスト教の話をしたことはなかったと思う。

 ところが、クリスマスが近くなったある日のこと。ルツちゃんのお母さんが、声をかけてくれた。
「あのね、1回しか誘わないけれど、今度一緒に、教会のクリスマスに行かない? もちろん、断ってくれてもいいのよ。それに、もうこれっきり、無理に誘ったりはしないから安心してね。でも、クリスマスは特別だから。ふだんは教会に来ない人もいっぱい来る日だし、あなたも私たちと一緒に、教会のクリスマスがどんなものか、見てみてもいいんじゃないかなと思って」みたいな感じで、私を誘ってくれたのだ。
 私は行ってみたかった。
 教会という響きに興味があったし、ルツちゃんと一緒だし、クリスマスは大好きだったからだ。むしろ「えー、なんで1回しか誘ってくれないの?」と思ったくらいだった。もちろん彼女のお母さんは、しつこい勧誘はしないから、という意味で気を遣って言ってくれたのだろうけれど。

 もともと、私の実家の隣の家に住んでいたおばあさん(当時の私から見ればおばあさんだったが、もしかしたらそんなご高齢じゃなかったかもしれない)がクリスチャンで、とても柔和な人だった。そして、わが家の気難しい父とも日ごろから、良好なご近所づきあいをしてくださっていた。
 そのおばあさんは、日曜になるといつも、教会へ出かけていた。ときにはルツちゃんの一家と連れだって。
 だから、同じ教会の信徒だったのかな、と思う。
 そんな事情もあって、父は断りにくかったのだろう。
「ルツちゃんたちと一緒に、教会のクリスマスに行きたい」という私の願いを、彼はしぶしぶながら承諾した。
 私がどこかへ行きたいと言うと、必ず猛反対した父である。あのとき許可してくれたのは、いま思えば奇跡だった。

 といっても、好意的に送り出してくれたわけではなく、当日まで私はいろいろと、父の態度にへこむことがあった気がする。それでも、ルツちゃん一家の優しさのおかげで、なんとか当日、教会へ行けた。すこし前に降った雪が、地面に白くたまっている寒い日だった。
 朝早く出かけたから、イブ礼拝ではなく、それより前にあるクリスマス主日礼拝だったのだと思う。

 教会での記憶は、もはやおぼろだ。
 白っぽい、シンプルな建物だった。たぶん、クリスマスツリーがあったと思う。礼拝堂では木製のベンチに並んで座った。讃美歌の楽譜と歌詞がのっている紙をもらったけれど、知らない曲でまったく歌えなかった。牧師が何か話していた。途中でかご(逆さにした帽子だったかも)が回ってきたけれど、私はお金を持っていなかったので、何も入れなかった。そんな感じ。
 とくに感動したということもなかったし、かといって嫌でもなかった。はじめての場所で、知らない人ばかりで、緊張していたかもしれない。

 ただひとつ、鮮明に覚えているのは、帰りしなの出来事だ。
 ひとりの婦人が、廊下の床に敷物を広げ、その上に子ども向けのグッズをたくさん並べていた。毛糸のミトン、お菓子、おもちゃ、文具とか、そういった品々だ。その婦人が、私たちを呼び止めて、ルツちゃんと私に、「好きなのをひとつ取っていいよ」と言った。
 子どもたちへのクリスマスプレゼントだったのだろう。
 私は戸惑った。ルツちゃんはともかく、私までもらっていいのだろうかと思った。ルツちゃん一家の子じゃないし、献金もしなかったから。

 ルツちゃんは、何か選んで取ったと思う。
 婦人は笑顔で、私にも「どうぞ、いいのよ」と言ってくれるのだけれど、私はぐずぐず迷っていた。その間に、教会の子どもたちがはしゃいで横を通って行ったり、パッと好きな物を選んで行ったりした。
 私がいつまでも決めないので、婦人は「そうね、じゃあ、あなたにはこれがいいわ。どうぞ」と、ひとつを取って渡してくれた。
 それが、『カトリックいろはかるた』だった。

↓調べてみると、いまも販売されている。感動です。 

 私はこのかるたが大好きになった。何よりまず、絵が美しい。
 読み札の文言は、聖書やキリスト教にちなんだ言葉だ。これが覚えやすく、うまくつくられている。
 たとえば、

あべあべまりあ うみのほし
うみやまこえて せんきょうし
ちえはそろもん ちからはさむそん
ゆるせば あなたも ゆるされる
(『カトリックいろはかるた』至光社 より)

 などなど。
 札の裏には簡単な解説や、関連する聖書の箇所が記されていた。

 聖書は読んだことがなかったけれど、私は海外の童話をたくさん読んでいたので、世界観に親和性があるというか、なじみやすかった。 
 ひとりでいるときも、私はこのかるたを眺めていた。やがて読み札の文言を、ほとんど暗記してしまったほど。
 大人になって実家を出るまで、このかるたは私の宝物だった。
 いまでもふとしたときに、「えりやのおむかえ ひのくるま」とか、「とりがないたら ぺとろもないた」などと出てくることがある。

 案外、私のなかのキリスト教の基礎は、このかるたで培われたのかもしれない。心のなかでは、いまも宝物だ。

 先日の記事で、40代で洗礼を受けたあと、神さまはずっと前から私を招いてくださっていたと感じた、というようなことを書いた。

 私のキリスト教の原体験をたどると、ルツちゃん一家が連れて行ってくれた人生初のクリスマス礼拝と、カトリックいろはかるたに行きつく。

 もしルツちゃん一家が、私がいまクリスチャンになっていると知ったら、どう感じるだろう。きっと、喜んでくれるに違いない。

 ルツちゃんは、中学に上がる前にどこかへ引っ越して行ってしまった。それから40年が経つ。もはや直接お礼を伝えるすべはない。それは残念ではあるけれど、私はこうも信じている。
 神さまに感謝をしていれば、いつか神さまが、それにふさわしい形に変えて届けてくれるはずだ。



◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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