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『性暴力をなくすために男性ができること』がテーマのシンポジウムに行ってきました。信田さよ子さんも登壇。

 昨日(11/8)、上智大学で興味深いシンポジウムが開かれました。
 ソフィアシンポジウム『性暴力をなくすために男性ができること:男性の立場と心理を日米の心理学研究・臨床現場から考える』(上智学院ダイバーシティ推進室とアメリカ・カナダ研究所の共催)です。参加無料、申込不要だったので私も行ってきました。

 第一部はアメリカの心理学者であるクリストファー・キルマーティン教授の基調講演。聞きたかったのですが、都合で私は、第二部のパネル・ディスカッションから参加しました。パネリストは原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子さん、立命館大学人間科学研究科教授の中村正さん、東京都健康長寿医療センター研究所研究員の平山亮さん。

 カウンセラーとして多くの被害者を援助してきた信田さんのお話は、いつもながら「本当に、そのとおり」と頷けることばかりでした。特に、信田さんたちが心掛けているという「ポジショナリティは被害者の立場、被害者の言葉を信じる」という点。逆に言えば「中立というポジショナリティは被害を不可視化する」とも。

 まさにそのとおりだと思いました。被害者が相談する時、求めているのは味方であって、中立的な立場の人ではないからです。被害者の側から見れば、中立というのは実は中立ではなく、自分より加害者の方に寄った位置取りになります。自分がいる位置より加害者に近いポジションからジャッジメントする人の言葉には、傷付つくことも。被害者に必要なのは、あくまでも自分と同じ側に立って援助してくれる人でしょう。そうでなければ信用して話すことができません。

 これと似たことが、キリスト教のなかでも語られます。片柳弘史神父が前に講演でお話しされていて、印象に残っています。崖から落ちて困っている人に、崖の上から「おーい、大丈夫だから上がってこい」と声をかけても助けていることにはならない。その人のところまで行って、「さあ、どうしようか」と共に考え、苦しみを分かち、できることをする。助けるとはそういうことだ、と。イエス様がこの世に来て、弱者に寄り添い、共に泣き、闘ってくださったように。

 中村さんのお話は、加害者となった男性の更生プログラムについてなど。加害者の男性は概して他罰性が強く、社会も悪い、相手も悪いと他者を非難していて自身の加害性を認めないのが特徴、という内容など意義深かったです。

 平山さんのお話は、高齢者のケアの現場で感じられるケアと支配の類似性などについて。ざっくり言うと、ジェンダーにかかわらず構造的な優位を濫用しない(強者が弱者を蹂躙しない)ための意識や実践が大事、という内容でした。

 最後は上智大学の教授と学生団体から、日本の大学における取組みの発表が。若い世代が学ぶ大学という場所で、性的同意についての啓蒙活動がなされるのはとてもいいことだと思いました。

 若い人たちと一緒に、成熟した社会をつくっていきたいですね。

 

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