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こんな聖書の楽しみ方 ~気になるキーワードを検索し、ランダムに開いてみる

 聖書はほんとうに面白い書物です。情報にキリがない、といいますか、私の場合は、おそらく一生かけて繰り返し読んでも「これで良し」ということはないな、と感じています。
 若いころに2度ほど通読しました。通読したら何とかなるタイプの本ではない、ということがわかりました(笑)。

 いまもほぼ毎日、聖書を開いています。といっても、お勉強的な読み方ではなく、最近は、肩の力を抜いて聖書に親しむ読み方が気に入ってます。
 それは、気になるキーワードを検索して、ランダムに開いて読む方法。
 日曜の礼拝では指定された箇所を読みますから、ふだん、自分で聖書を開くときは、なるべく決まり事をつくらずに、「聖句との偶然の出合い」を楽しもうというわけです。

 お世話になっているのが、日本聖書教会のサイトにある「聖書本文検索」機能です。

 聖書協会共同訳、新共同訳、口語訳の3種類から聖書を指定し、調べたいキーワードを打ち込んで「検索する」をクリックすると、そのキーワードが含まれている聖句が「創世記」「箴言」「ヨハネによる福音書」といった文書別に表示される仕組みです。

↓たとえば、noteで私がこちらの記事を公開した日。

 たしかこの日は、何かいい聖句はないかしらと思い、新共同訳で「種」を検索してみました。するとまず、「47件の書名がヒットしました。」として、「種」を含んだ聖句のある文書名が、創世記からエズラ記(ラテン語)までずらっと表示されます。
 あとは、気になった文書を開けてみれば、該当する聖句が出てきます。私の場合はそのときの直感で、あちこち開けてみることが多いです。

 試しに「コヘレトの言葉」を開けると、この2か所が出てきました。

風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない。(11章04節)
朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか/それとも両方なのか、分からないのだから。(11章06節)

「あ、なんだか良さそう」と、どれかが心に響いたら、私はそこで終わらせず、「どんな場面に出てくる聖句なのかな」と、実際に聖書を開いてみるようにしています。
 コヘレトの言葉は旧約聖書にある文書。私が持っている新共同訳の聖書では、コヘレトの言葉11章は、旧約の1047ページにありました。
 11章だけならそんなに長くはありませんから、上記の4節と6節がどんな前後関係のなかにあるのか、11章全体に目を通します。気になれば10章や12章など、前後の章を読むことも。
 そうやって文脈のなかで意味をとらえると、検索で出てきた一節だけを見ていたときとは印象が異なる場合があります。なので私は、インターネットの検索を使いながらも、実際の聖書を開いてみる作業は大切にしています。

 上記の記事ではこうしてあちこち開てみた結果、ゼカリヤ書の一節を引用しました。

 こんな感じで、キーワードから聖書を開いていくと、「へえ、こんな場面があったんだ」という箇所に意図せず巡り合えるので、なかなか楽しいのです。

↓ちなみに、この日は「敷物」で検索し、この聖句に出合いました。

↓昨日は「隠れる」で検索し、この聖句に。

↓この日は「優しい」で検索。

 名詞でも、動詞でも、形容詞でも、キーワードとして検索することができるので、かなり自由度があります。

 今日は、見出しの写真にある「白い馬」にちなんだ聖句を探してみました。いくつか出てきたなかから、いまの私の心に響いたのは、こちらの一節。

そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。
(ヨハネの黙示録19:11 聖書新共同訳)

「誠実」そして「真実」、その進む道にはやはり戦いもあるのだな、と思わされました。でも、聖書が全体で伝えているのは、何よりも「愛」。ですから、その戦いの土台にあるのは、豊かで、慈しみにあふれる愛なのだろう、そうに違いない、などと考えたのでした。

 聖書はいつ読んでも、何度読んでも、新鮮な感動や発見がある、不思議な本ですね。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、scoop_kawamuraさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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