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自分は何者か…それを選ぶのは自分自身◇夜の庭師

 ジョナサン・オージエ『夜の庭師』は、ディズニーで映画化が決定したというゴーストストーリー。

 面白くてどんどん先が知りたくなり、寝不足になりそうになりながら読みました。

 アイルランドからイングランドにわたってきたモリーとキップの姉弟は、差別にあいながらも、なんとか使用人として雇ってくれる屋敷を見つけます。でもそこは、巨木に取り込まれたかのような不気味な屋敷で、夜中に謎の男が徘徊し、住人はみな悪夢にうなされるという、なんともあやしい場所だったのです――。

 もちろんエンターテインメントとしても楽しめますが、私は作中に出てくる、語り部の老婆が言ったセリフが心に響きました。

「あんたが何者かということと、あんたがなにをしているかということを、まぜこぜにしちゃいけないよ。それに、卑しい仕事をしていることを恥じる必要はない。語り部の王である、かのイソップは、死ぬまで奴隷だった。生涯、自由とは縁がなかったけど、たった三つのことばで世界を造りあげることができた。むかし・むかし・あるところに、というだけで。で、イソップのご主人さまは、いまどこにいる? 運がよければ、墓の中で腐っちまっただろうよ。それにくらべて、イソップはどうだい? いまもなお生きてるじゃないか。彼のこしらえたお話が語られるたびに、語る者の舌の上で踊ってるじゃないか」

ジョナサン・オージエ『夜の庭師』


 いま置かれている立場と、自分は本来何者なのかということは、イコールではないのですね。
 自分が何者でありたいか、それは自分自身で選ぶことができる、というか、自分にしか決められないものなのかもしれません。魂の望むままに。
 自らをあきらめず、本来の自分にふさわしい言葉と行いをしていくことで、現実は形づくられていくのでしょう。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
sabinekolandさんの作品を使わせていただきました。
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