本当の意味での安心は「物を持たなくてもできること」のなかに
「ないならないでいいけれど、持っているほうが安心だから」という理由で買ったり、捨てられなかったりする物は、どれくらいあるだろう。
オグ・マンディーノ『この世で一番の奇跡』を読んで、そんなことを考えた。
世界700万部のベストセラーになったという本書は、人生の智恵が散りばめられた、心癒やされる物語。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』のように、ノンフィクション仕立てで描かれた大人のためのメルヘン、という見方もできるし、生きる希望を見失っている人に光を届ける自己啓発書、という見方もできる。
心に残るフレーズはたくさんあったけれど、なかでもいまの私に深く響いてきたのはこちらの箇所だった。
真の安心は物を持たなくてもできることのなかにある、という指摘にはハッとした。
もちろん、最低限必要な物というのはたしかにある。鍋がないとお米だって炊けないし。
でもそれは、考えようによっては必ずしも自分のお鍋じゃなくてもいい。お米の炊き方さえ知っていれば、借りたお鍋でも、出かけた先のお鍋でも、なんならコッヘルとか、何らかの代用品でもお米は炊ける。
そういう意味で「物に頼らずにできること」を自分のなかで探してみると、見つけたぶんだけ安心できる、というか、ちょっとした自信のようなものが湧いてくる。
もっといえば、愛することや愛されること、そして希望を抱くことは、物を持っているかどうかに関係なくできるから。
物を持たなくてもできること。
そのなかに、大切なものがあるというのは真実だろう。
ちなみに本書では、~~の一節は聖書のどこに出ていた? みたいな会話が出てくるし、神への信仰心が前提の話も展開される。だから、クリスチャンにとってはより興味深く読める本といえる。
そういう記述を自然に読めるなら、ノンクリスチャンの方々も勇気づけられる内容だと思います。
◇見出しのイラストは、みんなのフォトギャラリーから
mioartyさんの作品を使わせていただきました。
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