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時を追いかけて

子供の頃――
時に追われて
一生懸命生きていた
いつしか時に流されて
気づいた時には
時を追いかけていた
時は行く手を
駆けてゆく
立ち止まることも
許さずに

まだ間に合ううちに
気づきたい
無限の可能性と
夢――


◇いまから35年ほど前、高校生のときに書いた詩です。まだ10代後半なのに、こんなふうに焦っていました。当時は、時を追いかけている感覚だったのだなあ、と、あらためて思います。では、50代になったいまはどうでしょう。仕事の〆切前など、時を追いかけている気分になることもありますが、日常全般としては、〝時の波に乗っている〟という感じでしょうか。慌てず、怠らず、神さまの備えてくださった〝時宜〟にかなう生き方をしたいと望んでいます。実際は、せいて先走ったり、気後れしてぐずぐずしたり。御心のとおりにはできていないのだろうなあ、と思うのですが。
 それでも、可能性は無限ですし、時の波に乗って進んでいけば、ふさわしいときに、ふさわしいものが与えられる。裸の土から、春になれば草の芽が萌え出るように。と、最近は、そんなふうに考えるようにしています。

大地が草の芽を萌えいでさせ、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、主なる神はすべての民の前で、恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。
(イザヤ書61:11 聖書新共同訳)


見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、あい(ai_kotoba)さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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