クリスチャンとして小説を書くこと
noteで最近拝読した、セラさんの「266日目の恵み。」が、とても印象深い記事でした。紹介させていただきます。
日本のエンタメ系のコンテンツで、キリスト教が取り上げられるとき、私も同じようなことを感じます。「これはノンクリスチャンの方々が、そうだと思っているキリスト教だなあ」と。
つまり、私が実際に信じているキリスト教とは、ずれている感じがする。
私も40代で受洗するまで、ノンクリスチャンでした。なので、「日本のノンクリスチャンがイメージしているキリスト教」が、自分のこととしてわかります。
そしてクリスチャンになった今、「それまで思っていたのとは、けっこう核の部分で違ったなあ」と感じています。
私は文筆を生業にしているのですから、その溝を埋めていけるようなものを書いていきたい、書かなくては、と、勝手に使命感を覚えています。
といっても、かたくるしいものではなくて、私自身が信じているものの本質を、シンプルに描いていけたら、と。
「教義について解説している本を読むことでは、わからない部分」を描きたいので、難しい取り組みではありますが、やりがいのあることでもあります。
たとえば、
本来、人を信じるとか、神を信じるとか、希望を信じるということは、すごくシンプルな、けれども心の深いところから出てくる願望と、決断によってなされるもので、理屈で納得するものではない、
という思いとか。
それを表現するのに、小説や詩は実に適したメディアです。
同時に、そういうものを読みたい方々も、けっこういらっしゃるのではないかと思っています。
少なくとも私が信じているキリスト教は、重くて難しいものではありません。重くて難しいものだったら、2,000年も受け継がれてこないでしょう。
むしろ、重い心を多少は軽くしてくれる、小さな光のようなもの。それは希望ともいえますし、人の心に生まれるキセキでもある、と最近は考えるようになりました。
最新作「コトリはキセキを信じていたい」も、そんな物語。人と人の心が触れ合う一瞬の、美しいきらめきを描きたいと思いました。
クリスマス・イヴを舞台にした、3,000文字ほどのささやかなストーリーです。どうぞご覧くださいませ。
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、
Hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。
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