〝心配ごとにとらわれて、身動きできなくなる〟ということがなくなりました ~クリスチャンになってよかったこと

 先日、↓こちらの記事で書いたとおり、乳房にしこりを見つけて乳腺外科に予約を入れました。受診日はまだすこし先です。

 しこりの形は筋状で、触ると位置がずれます。典型的な乳がんのしこりは触っても位置がずれないと聞くので、はじめはしばらく様子を見ようと思っていました。でも、その夜「俺より先に死なないで」という夫のひと言で、最善の策をとろうという気持ちに。翌日、すぐに乳腺外科のあるクリニックへ電話して、その時点で受診可能だった直近の日時を予約しました。

 しこりを見つけてからほぼ最速で受診する展開ですから、私としては超スピーディーな対応です。予約の日まであとはもう、自分でできることといえば、暗い気分でストレスを溜めないことくらい。なので、「何がどうなっても神さまの手のなかにある」と考え、のんびり過ごしています。

 20年ほど前、30代のときにも、乳房にしこりを発見したことがありました。札幌に住んでいたので、地元の乳腺クリニックを受診し、細胞診までしてもらった結果、良性でした。こう書くとあっさりしてしまいますが、当時は不安で不安でたいへんでした。まずはクリニックに予約をするまで、悩んだり人に相談したりして時間を費やしました。受診するときも、怖くてしかたがありませんでした。細胞診の針を刺されるときも怖かったし、その結果を待つ期間も不安に押しつぶされそうでした。ちなみに、まだクリスチャンではありませんでした。

 そのときに比べたら、今回は不思議なほど気持ちが落ち着いています。30代のときはバツイチ独身でしたが、いまは夫というパートナーがいて、とても支えられているので、それは大きな違いです。〝助ける者〟を与えてくれた神さまに感謝しています。

 もうひとつ、クリスチャンとして生きていること、信仰を与えられているということも、大きいなあと感じます。
 もともと私は、信仰を持って生きるということは、〝死〟をはじめ〝自分にとって不都合なこと〟とどう向き合うか、という訓練でもあると思っています。
 もちろん、痛いのはイヤだなとか、夫とずっと一緒にいたいとか、自分の感情や欲はあるけれど、いまは、「自分から見て不都合に思える状況や出来事も、きっと神さまの愛のなかにある」と考えるようにしているし、考えられるようになりました。
 だから、その愛に気づけるように、そして、神さまが私に望んでいる行動をとれるように、素直な目で物事を見つめ、進んでいく努力をする。不安や愚痴は、イエスさまに聞いてもらえばいい。泣きたいときはきっと一緒に泣いてくださるし、私が立ち上がりたいと思ったときには、横にいて支えてくださる。
 そんなふうに信じることが、こんなにも自分に平安をもたらしてくれるものだとは、20年前の自分とくらべてみるまで気づきませんでした。

 昔のように、心配ごとにとらわれて、身動きできなくなるようなことはなくなりました。不安や恐怖でがんじがらめにならない分、目の前の心配ごとに対して落ち着いて考え、勇気を出して行動できます。これは私にとって、クリスチャンになってよかったことのひとつといえます。

 この先、いざ自分の死に対峙しなくちゃならなくなったとしたら、やっぱり動揺するのかなあとも思いますが、とりあえずいまはまだ生きているし(笑)、元気だし、大好きな夫と猫たちと一緒に暮らせているのだから、せっかくのこの一瞬一瞬を大切にして過ごしたいですね。
 ふだんどおりに、と思っているけれど、ふだんよりすこし優しい気持ちになれているかもしれません。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、HanaKokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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