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異性に期待しすぎて、勝手に絶望するロマンチストをメンヘラと呼ぶとして。

 異性に期待しすぎて、勝手に絶望するをメンヘラと呼ぶとして。本に期待しすぎて、勝手に「本は面白くなかった」と絶望して本嫌いになる「本相手のメンヘラ」が多い。

 20歳まで生きて、運命の相手に出会うような熱愛を経験したことがなくても、「恋愛は向いてなくて」と諦めている人は少ない。

 「自分なんか」と諦観しきったフリをしつつ、心の奥底で「いつか、自分にも」と期待している。

 一度も、「運命的な恋愛」をした事が無いのに、「いつか、自分にも」と期待し続けられる。

冷静にその態度を振り返れば、当たった事が無いのに宝くじを「いつか当たるかも」と買い続ける行為と近い。

 なのに、本については「本は、あまり好きでなかったから」と簡単に見切りをつける。
 
 本も好きな人と同じだ。たった20数年間生きただけで「運命的な出会い」を果たせる人なんて稀だ。
 人との出会いと同様に、100冊読んで、1冊だけ運命の本と出会えるかもしれないと期待し続けて読むものだ。

 それを教えてくれたのは、「100冊読んで、1冊だけ運命の本と出会えるかもしれない。その1冊と出会うために100冊を読んでいるのです」という10万冊の蔵書を誇った井上ひさしの言葉だったか。

 だって、本も人が書いているのだから。人との出会いと同様。「気が合う」「運命の出会い」なんて、気まぐれだ。数を打たないと当たらない。
 
 本好きとは、人生のどこかの時点で、「運命の本」と出会った人の事だ。
 100冊の本を読んで、100冊の全てが好きな人ではない。

 それは、運命的な恋人と熱愛している人が、「異性が好きなんですね。」と言われたら、むっとして「この人だから好きなんです」と言いたくなるのと同様に。

 それなのに本好きには、いけしゃあしゃあと「本が好きなんですね」と、言葉を掛けても無礼だと思われない風潮がある。

 恋人と仲がいい人に「異性なら誰でも好きなんですね」と言ったら、殴り合いになるほど、無礼なのは誰にだって分かるのに。

 その度に、「本ならなんでも好きなわけじゃないんです」と言い返したくなる。

 そんなことを言っても面倒臭いやつだと思われるだろうし、理解されないんだろうなと思って、曖昧な笑顔を浮かべて「ええ、まあ」と相槌を打つことにも慣れた。

 これは私に限らず、本に救われた事がある人が、救われたことのない人とやり取りする際に、100回は経験するやりとりだろう。私たちは、分かり合えなさですれ違いながら生きている。分かりあうことを、諦めながら、生きている。

 本好きだからといってYouTuberのコムドットが出した本と、料理のレシピ本と、Fさんの『真夜中乙女戦争』と、シャーペンハウアーの『読書について』を並列で好きなわけでは、無い。

 


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