語彙力はなくてもいい。でも、あると書く時間が楽しくなる。
こんにちは。桜小路いをりです。
今日は、久しぶりに「書くこと」についての記事。
中でも、「語彙力」について綴っていきます。
個人的には、「語彙力」って、なくちゃいけないものでも、物凄く重視しなきゃいけないものでもないと考えています。
私自身も、数少ない語彙を比喩表現で組み合わせてみたり、類義語を検索したりしながら、バリエーションを出しているタイプです。(もっと頑張っていきたい所存)
それでも、「この感情を表す言葉が見つからない……!」ということは、以前に比べてあまり起こらなくなりました。
その理由は、自分の中に湧き上がってきた感情に注意深く意識を向けて、自分の中の言葉で表現できるまで因数分解できるようになったこと。
語彙を増やすより、自分の内面に深く深く向き合っていくことのほうが大切なんじゃないかな、なんて思ったりしています。
「この気持ちは何だろう?」
「どうしてこんな気持ちになるんだろう?」
「昔、似たようなことを感じたことはなかったっけ?」と。
(三宅香帆さんの講座をまとめたnoteに似たようなことをメモしていたので、ご参照いただければ幸いです。)
一方で、「語彙があると書いている時間が楽しくなる」ということにも、最近気づきました。
色んなお料理が並んだバイキングで、無性にわくわくするみたいに。
本がずらっと並んだ書棚や、何十色もある色鉛筆に心が弾むみたいに。
バリエーションがあればあるほど、自分の気持ちにぴたっとハマる言葉を選びやすくなるし、選択肢が2つも3つもあれば、その中から1つを選ぶ時間もより豊かなものになるはず。
時には、「難しい言葉を使うのは自分を賢く見せたいから」とか、「格好をつけるために硬い言葉を使うんじゃなくて、もっと簡単で分かりやすい言葉で」という文章を目にすることもありますが、私は、そうは思いません。
硬い雰囲気の熟語が自分の気持ちにしっくりくるなら、あえてそれを崩す必要はないし、誰かの心に刺さる文章も、妥協なく言葉を取捨選択していくことで紡げるんじゃないかなと感じます。
(上記の文章も、「妥協なく言葉を選んでいく」より「妥協なく言葉を取捨選択していく」のほうが、「言葉の選択」をより重いものとして捉えているという印象になるような。)
必死に語彙を増やす必要はないけれど、例えば、「これを伝えるのにもっとぴったりの言葉はない?」と思ったら、類義語や関連語、連想語を調べてみたり。
初めて出会った言葉があったら、さくっと調べるようにしたり。
素敵な言葉の使い方をしている文章があったら、手帳にメモしたり。
そんなふうに、ゆるやかに「語彙力」と付き合っていくのが大切なんじゃないかなと思います。
いちばん大切なのは、「書く時間が楽しいものであるように」すること。
書くことに行き詰まってしまったとき、この記事を思い出していただけたら嬉しいです。
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