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突如現るニョッキン様-皆野アルプスを行く破風山ハイキング⑮

大山は周辺に木々が生い茂り標識がなければ山頂と気づきにくい。細いながらも平らな尾根道に気を許した後はロープを伝い降りていく。するとあろうことか目の前には再びお岩様が顔出す。

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「またぁ。」

のんはしっかりと心の声を漏らす。岩をじっくり観察すると先ほど登った岩より高い。だけどたくさんの木の根が巻き付き、足場には困らなそう。それでも念には念を、事前に登り方をチェックするに越したことはない。

「たぁ様、先をお願いします。」

後ろからマイペースに登場。

「うん。」

岩に巻き付く木の根を足場に彼は今回も難なく進んでいく。やっぱりちゃんとした手袋持ってくればよかったと悔やむのん。後の祭り状態。

今までも瞑想から得たアドバイスを軽く受け流し、後で何度後悔したことか。同じ失敗を繰り返しても彼女を取り囲むエネルギーは諦めずにいつもそばにいて優しく包んでは赦してくれる。

そんな存在に自分もなりたいとのんは心から強く思う。だけど現実はそう簡単じゃない。嫌なことがあればつい小言と文句が漏れてしまう。

ただそんな自分を顧みながら少しずつ成長していけばいいね。“今できることから少しずつ”、それが自分を認める方法とのんは理解している。何はともあれ1日も早く登山用手袋をゲットしたいところだ。

のんも岩登りに挑む。思っていた通り木の根の足場は安定感があり怖気づくことなく上まで登れ、先には武蔵展望台。相変わらず狭い山頂だがパノラマビューがたまらない。たぁは標識の前のちょっとしたスペースに座っていたのでのんも隣に腰を下ろすも、彼は立ち上がってしまった。

「どうして立つの?」

「狭いから場所譲ってあげたんだよ。ちょっと休めば。」

確かに二人座るには若干窮屈かもしれないけど、一緒に隣に座りたかったな。嬉しいような悲しいような気遣い。たぁがいないなら座る意味ないと立ち上がるも、二人立ち上がるにもそう十分なスペースはない。ゴツゴツの岩の上だし、足場も安定しない。美しい景色をバックに二人で記念撮影。写真を確認して漏れる本音。

「あっ、まだ顔浮腫んでいる。」

でも・・・違うかも。

「これ浮腫みっていうかコロナ太りかも。痩せよう。」

のんの小さな決断。

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岩を登ったから岩を下る。滑りやすい砂利道をロープを伝い急降下し、尾根道下り土道へと進む。

ズル、あっ。

のんの見事に尻もち。気が緩み足裏後部に力がかかりすぎてバランスを崩し、そのまま滑ってしまった。滑るのはだいたい写真撮影した後、iPhoneをケースにしまう時。ついついそちらに気を取られ、歩きがおろそかになるんだなと自己分析後、お尻のゴミを払い苦笑い。

「大丈夫?」

「うんっ、すべちゃった。」

たぁが軽く滑っただけでキーキー心配声をあげるのんとは違う。安全さえ確認できれば、彼は何も言わない。対照的な二人。

歩いている時は道を正面から見えているため、気づかないことがある。道が大きく曲がり二人が歩いている場所の側面が見え“尾根道という名の岩の上”にいることに気づく。万が一ずり落ちたら真っ逆さまだと背筋が凍らせ、たぁに伝える。

「教えなくていいよ。」

どうやら彼は気づきたくなかったらしい。

「えー、思いをシェアしようよ。」

不安を伝えた半分に、喜びは伝えて倍増させる。身勝手なのんからのお知らせは彼の耳によく届く。

再びロープを伝い気を付けながら下っていくと目の前に大きな岩登場。標識には如金(ニョッキン)様の文字、如金峰に到着。

“如金は金星大明神で生々化育の神とされています。この地では霊験ある疣神様としてあがめられ、願掛けの人と筒酒をもって御礼に来る人でにぎわいました。”

生々化育とは“自然が万物を生み育て、宇宙をつくりあげていること”と辞書にある。

自然を愛する日本人だからこそ崇められた如金様。険しいながらも道が用意され、安全をとロープまで準備されたハイキングにも拘わらず、ここまでたどり着くのが大変だった。昔の人はもっと大変だったろうと信仰の厚さを理解する。

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