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丸森時間差遺産 第2話「時をかける赤い橋」

東京での20年間の暮らしを経て、20年ぶりに故郷へ移住したクリエイティブディレクターは何を思うのか。あの頃は特に気にも留めなかったことが、今さら大切だったと気付くものとは。Steve* inc.(https://steveinc.jp)代表取締役社長の太田伸志が、宮城県丸森町の広報誌「広報まるもり」にて連載中のエッセイを特別限定公開中!

 夜寝ていると息苦しいことがある。今夜も金縛り……ではないので安心してほしい。寝相の悪い我が子の足が僕の顔に乗っていただけ。いつものことである。家族で一緒に寝ている場合、自分の寝ている範囲を越えないようにという暗黙の了解があると思うのだが、そんな大人の常識で作り上げた境界を軽々と越えて来る息子の自由な本能に感銘を受けるとともに「境界を越える」というキーワードから、ふと、脳裏に丸森橋の思い出が浮かんだ。

 丸森町には大きな橋が2つある。2012年に完成した556mの丸森大橋。今ではこちらに交通量が集中しているが、僕にとって丸森の橋といえば、133mでコンパクトではあるが、当時珍しかったトラス構造をいち早く取り入れ「モダン橋」とも呼ばれていた丸森橋だ。2022年、歴史的土木構造物の保存を目的として選奨される土木遺産にも選ばれたらしい。一時は青く塗装されていたが、補修・塗装工事によって、子どもの頃に親しんでいた美しい赤に塗り直された。僕はこの赤い橋がとても好きだったのだが、通っていたのが丸森小学校だったこともあり、買い物をするお店も、よく遊ぶ友人たちの家も、橋の南側ばかりで、橋を渡るということがあまりなかった。特別な日、以外は。

 例えば夏休みに県北にある親戚の家へ電車で遊びに行くために、橋の向こうにある丸森駅に向かう時。または、人気だったゲームを買いに、近所の友人たちと自転車で当時40分以上もかけて隣町である角田市のおもちゃ屋さんへ行く時など。小学生だった僕にとって、橋を渡ることは他校の縄張りに足を踏み入れるという謎のためらいがあったのだが、それを越えるに値する見返りも必ずあった。恐怖を乗り越えれば、いとこと一緒に美味しいスイカを食べながら花火を観たり、友人たちと苦労して手に入れたゲームで楽しめたり。赤い橋は勇気が沸き起こる冒険のスタート地点であり、宝を手に入れた後に優しく迎えてくれるゴールだった。

 人類は橋をかけるという行為を繰り返してきた。それは、土地を分断する川や崖という危険を乗り越えてでも、その先を知りたいという好奇心が、人にとって大切なものだと証明しているのではないだろうか。大人になった今でも、僕はあの赤い橋を見る度に、今だに分け隔てられているあらゆる境界を越えてみたい。そんな人間が本来持っているであろう大切な気持ちを思い出すのだ……などと考えながら、いつも軽々と境界を越えてくる我が子の寝相に希望を感じ、再び深夜の眠りへと戻った。

丸森町時間差遺産002:丸森橋
1929年竣工。石張りの橋脚も特徴的で貴重な土木遺産。新緑の季節の山々に映える赤い色が美しい。モダン橋とも呼ばれている。

時間差遺産【じかんさ-いさん】
あの頃は特に気にも留めなかったことが、今さら大切だったと気づくもののことを、筆者が勝手にそう名付けた。

絵と文:太田伸志(おおたしんじ)
1977年、丸森町生まれ。クリエイティブカンパニーSteve* inc. 代表取締役社長。東北芸術工科大学 講師。2023年から丸森町のクリエイティブディレクターに就任。作家でもあり唎酒師(ききざけし)でもある。



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