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4.大学サッカーの始まり。

皆さんこんばんは。前回述べたように今日は大学サッカーについて綴っていきたいと思います。大学4年間は私にとってすごく濃く、わたしの文章力では一度にまとめられそうにありません。笑なので学年ごと、4回に分けて書いていきたいと思います。今日は怪我に泣いた1年生の時代についてです。よろしくお願いします!

書き始める前に山梨学院大学に進学するまでのいきさつについて。私は前回話した通り、高校では目に見えた結果が残せませんでした。なので大学から声がかかるわけでもなく、ただサッカーは続けたかったので、自分で連絡をとって練習に参加していました。山梨学院大学も同じように練習参加の連絡をした際、当時の監督の塚田さんが実際に高校の練習に足を運んでくださり、その場で🆗をもらい、話をしていく中でここでプレーしたい、また大学からプロの選手も出ていたことから山梨学院大学への進学を決めました。これが進学までのいきさつです!無名の私を拾ってくれた塚田さんには感謝しかないです🙇‍♂️前置きが長くなりましたがいよいよ私の大学サッカーについて書いていきます。


1. 怪我からのスタート、そして再発。

 大学への進学が決まり、私はやる気に満ち溢れていました。大学からは初年度のカテゴリーを決めるために、新入生合宿を入学前にするという連絡をもらっていたのでそれに向けて調整をしていました。いつも通り、放課後トレーニングをしたいた時でした。左膝に引っかかりに近い違和感が出てきました。これまでも膝に痛みが出ることはあったのですが少し経てば痛みは引き、問題なくやれていたので気にすることはなかったのですが、この時は痛いという感覚ではなく、何かがおかしいという感覚だったのを覚えています。診断の結果は半月板の損傷でした。痛めた半月板が膝に引っかかった状態で膝が伸びなかったので、手術を勧められました。とてもショックでしたが、新入生合宿だけは出たいと思っていたので、それまでは保存療法で治療しながら調整をしていました。なかなかうまく治療が進まず、そのまま合宿を迎えることになり、前泊したホテルでYouTubeで見たテーピングで膝を固めて、初日をプレーしましたが、普通に走ったりボールを蹴ることも困難で、結局2日目からは練習から外れ、外からみんなをただ眺めることになりました。何しにきたのか?と自分が本当に情けなくて、膝は痛いし、一緒にプレーしていない分宿舎でもみんなとはうまく馴染めず、メンタル的にとても厳しい合宿でした笑。富山に帰ってからも治療は続けましたが良くなる気配はなく、私は地元で手術を決断しました。スタートが出遅れたこと、そしてやってやるという思いが強かった分本当にキツかったです。そして当然1番下のカテゴリーからのスタートでした😓

 術後は富山の病院で検査をしたり、山梨の治療院に通いながらリハビリをしていました。リハビリ期間中は自分自身本当に情けなく感じることが多かった。1番は家族に申し訳なかった。心配をかけてしまっていたし、家族への負担を思うと、辛かった。でもその分早く元気にプレーしているところを見せようと決めていたのでなんとかリハビリを続けることができました。富山の病院や山梨で通っていた治療院さんのおかげで3ヶ月ほどで実戦に復帰することができました。復帰した時ボールを蹴るだけで本当に嬉しかったし、さあここからだって希望に満ち溢れていました。実戦復帰して1ヶ月ほど経ったときでした。試合中今度は逆の膝の半月板の怪我しました。膝をついたとき音がしてすぐにやってしまったとわかりました。結果また手術をすることになり、これからという時にまたか、と本当に悪夢でした。今思い出してもあれは本当につらかった。

 手術をする前私は今までの人生で1番落ち込んでいました。しかし落ちるとこまで落ちたからか術後はわりとポジティブでした。1度目の手術後はみんなに早く追いつかなきゃと正直焦りもあったので次は焦らず、しっかり治して強くなって戻ろうと決めました。怪我のことを考えると辛すぎるので当時はもう完全に開き直ってました笑。聞くところによると、膝を怪我した場合、復帰した際に逆の膝に負担がかけてしまうため怪我のリスクが高まるらしいので膝の怪我をした選手は体のバランスなど確認しながらリハビリを進めていってください🙇‍♂️

 2度目のリハビリ期間は4ヶ月ほどかかりました。リハビリ期間はとにかくポジティブにやることを心がけていました。困難な状況に陥ったとき、私自身1番大事なのは「信じること」だと思っています。リハビリ期間中はほぼ毎週末はトップチームの試合のサポートに呼ばれボトルの準備や、試合で使う荷物を運ぶなど裏方をしていました。また順調に回復する中で、膝に痛みや腫れが出て休んでしまう期間もありました。サッカーができないのは辛いし、孤独だし、活躍する同級生を間近に見ながら準備などのサポートをするのは本当に情けなかったけど、困難な状況を変えるのは自分しかいません。とにかく自分自身を信じ、前を向いてポジティブに捉えながら何事も取り組みました。そして支えてくれている人たちにサッカーで恩返しをするんだと思っていました。この考えに辿り着いたのは間違いなく怪我があったからで、今も大事にしていることです。また、怪我をしたことで体のケア、準備など、自分の体と向き合うきっかけを得ることができました。

 これが私の大学1年間です。プレー自体は2ヶ月ほどしかできなかったけど、それ以上に考え方や自分の体と向き合うことの大事さを学べたきっかけとなった1年間でした。今回この期間を振り返ることで改めてサッカーできることは幸せなことで、沢山の人の支えがあって今があることを感じることができました。長くなりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🙇‍♂️



次回は大学2年!天皇杯出場やプレーできる喜びについて書いていきます!

松江シティFC No.27 桃井紳伍








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