焦る気持ちは私たちの敵じゃない



向かう先がどれも寄り道みたいに感じるとき。
選ぶものがどれも二番目に感じるとき。
ハッタリとうわべで出来た服を着ている気がするとき。

考えることがどれも考えすぎに感じるとき。


私たちは物語の行間を歩いている。
文字になれないなにかを読んでいる。


猫がなにもない空間を眺めるように。
赤ちゃんが誰もいない場所へ笑顔を向けるように。
「なにもない」余白になにかがある。


「自分にはなにもない」と感じるとき。
私たちは物語の行間を歩いている。
文字にする必要がなく、要点まとめて誰かに説明する必要もない「なにか」を空に書き留めている。

「自分にはなにもない」と感じるとき。
時短術やライフハックや効率化が救えない余白を読んでいる。
合理性やスキマ時間利用法が埋められない余白を書いている。



傍から見ればなんの変化も起こっていないようで、地中の種みたいに種皮の内側で変化している。
内側で盛り上がりうねっていつか殻をつきやぶる。


焦る気持ちは私たちの敵じゃない。
行間の「なにもない」を読む時間だ。


スキマ時間を埋めれば充実した人生が創れると、錯覚リア充を目指さなくても大丈夫。
行間のない物語を想像したら息が詰まるもの。








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