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私とLGBT

かつて、タイのバンコクで生活をしていた時、所謂、オカマ、オナベと呼ばれる人たちは身近な存在であった。
私が、住んでいたのはもう10年以上前の事だけど、当時はLGBTなんて言葉はなかったし、その権利を主張する運動もあったかどうかわからない。
オカマ、ニューハーフは、タイ語でガトゥーイと呼ばれ、オナベは、トムボーイと呼ばれていた。
彼ら、彼女らは日常の生活に溶け込み、いたるところで目にしたし、当時勤めていた現地の会社のスタッフにも居た。
夜の歓楽街、パッポンのゴーゴーバーでは、踊り子がガトゥーイだけでというお店も珍しくなかったし、大きなステージのあるニューハーフショーに、妻と子供を連れて家族でショーを楽しんだ事もあった。(マンボーキャバレー)
街の食堂では、ガトゥーイがウエイトレスをしている事もあったし、デパートの化粧品売り場の販売員でも見かけた。
タイは、彼らに寛容な国だったという印象が強い。
他のタイ人スタッフに「あの子は、オカマだよって。」と陰口を聞かせられても、表立って社会的な差別や迫害があったようには見られなかった。
現地で私は外国人なので、表面的にしか見れなかったかもしれないが、国民性もあると思うが、日本より先進的だったのかもしれない。
街も人も自然に受け入れていたような気がする。

今まで生きてきて振り返ってみると、そういう彼らと色々な場面ですれ違い、関わってきている。

中学1年生の時、放課後、体育館の倉庫で、2年生の男子2人が所謂BL的な行為をしていて、2人が一体何をしてるのか理解出来ず、ただならぬ事をしているのだけはわかったけど、身体が固まってしまいボーっとその行為を見続けてしまった。
2人は、私に気が付き「何見てんだゴルァ!」と凄まれて、走って逃げた事があった。
それが何だったのかを理解するのは、かなり後の事だ。

学生時代、夜の店でアルバイトをしていたころ、夜の歓楽街を歩いていたら、反対側から、同じ学校の友人とまではいかないが、知り合いが歩いて来た。彼は、おじさんに肩を抱かれ、まるで恋人同士のような感じだった。
また別の日、前とは、違うおじさんと腕を組んでラブホに入って行った。
その時も、(あいつ何してんだ?)程度の感覚で、彼が何をしていたのかを察するまで、かなり時間がかかった。

同じく学生時代、昼間学校からバイト先に向かって歩いていると、知らないおじさんに呼び止められ、「はるかちゃん?はるかちゃんだよね?」と、声をかけられる。
「いえ、違います。」と言っておじさんから離れる。
(はるかって女の名前なのに何言ってんだあのおっさん。)
またしばらくして、別の日におじさんに声を掛けられる。「やっぱりはるかちゃんだ。ねぇ はるかちゃん。」
「いや、違うんで。」
後日、バイト先で、お客さんから私にそっくりなニューハーフの人がいる事を聞く。

社会人になって早々、地方に長期出張となり約3か月程、ホテル暮らしだった事がある。
約一回り程年上の上司と相部屋だった。
彼は、普段から女性っぽい感じで、オカマっぽい人だなぁとは思っていた。
出張も終わり、しばらくして上司は退職した。
現在は、ゲイバーのオーナーをやってる。

今の仕事でも取引先に元女性の人がいる。彼は、自分で会社を起こして、ガテン系の仕事をバリバリこなしている。

私自身、新宿2丁目界隈に仕事でよく行く事もあり、日中、彼女たちと仕事上の打合せをよくする事もある。

若い頃は、自分とは違う彼らをよくわからなかったけど、今では存在として理解出来るし、排除するつもりも、嫌悪するつもりもない。

かつて、日本は平安時代、いやそのもっと前から、同性愛や性自認について、寛容な国だった。それは、長い時を経て今でも、そういう事に寛容な国だと思う。
宗教上も禁じた事はない。
敢えてその事を掘り起こし、世界に合わせる必要があるのだろうか。むしろ、世界はこのLGBT問題で混乱してるのではなかろうか。
LGBT法案は、本当に当事者達が求めている事なのだろうか。
それまで何もなかったところに新たな利権を生み出す為の法案にしかならないような気がして日本が心配でならない。

日本が壊れてしまいませんように。












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