「多様性」について思う事
「多様性」という言葉が
昨今ではよく聞かれます。
特に私は当事者の一人なので、
余計多く耳にしたり目にするのかもしれません。
しかし、私はこの言葉を
見たり聞いたりするたびに
何か違和感を感じます。
それは何なのだろう?と考えました。
するといくつか理由が出て来ましたので、
今回は私の私見をお話したいと思います。
あくまでも「個人的私見」ですので、ご容赦を。
①「多様性」への違和感
多様性という言葉への違和感ですけど、
これは昨今の使われ方に対して感じます。
多様性を連呼する人や組織で、
多様性を認めない人を
否定や批判する場合があります。
すでにこの時点で、否定や批判する側も
多様性を失っていると感じます。
多様性を認めるも認めないも、
その人や組織の考えなのです。
つまりその人や組織の自由なわけです。
たとえば私を例にするなら、
私の事を好意的に思うのも、
逆に嫌悪感を思うのも、
その人や組織の自由です。
それを批判や否定する事は、
それもまた多様性を認めていない事に
なると思います。
多様性を認めるも認めないも、
基本的人権を侵さない限り
各種犯罪にならない限り
自由だと思うのです。
あとはモラルの問題だと思います。
苦手とか嫌いと思った場合、
相手に伝えるのか、スッと遠ざかるのか。
ちなみに私は、自分が苦手だと思った方には、
近づかないようにしています。
近づく必要がある場合は、
必要最低限にとどめています。
そうする事で、お互いに嫌な思いになったり
争いにならない様に留意しています。
それから、多様性アピールする企業も
多くなってきました。
それが本当に実効的な思想や方法で、
真に多様性を理解する努力をされるなら
何も問題ない、むしろ有難いと思います。
ただ、多様性に理解があるアピールを
自社業績や社員獲得の為の宣伝文句として
使われているケースもあるようです。
多様性と言う言葉だけが、
どこか独り歩きしているような感じを受けます。
②この言葉が使われる限り実現できない
私は、
「多様性」
この言葉が頻繁に使われ続ける間は、
本当の意味での多様性は
実現しないだろうと思っています。
こういう言葉をわざわざ口に出して
言わないといけないという事は、
特別な意識を持つ必要があるという事です。
多様性などと言う言葉を
意識して使わずとも、自然と全ての人が
当然の事としてとらえられた時、
多様性という言葉を使う必要は
なくなるのではないかと思います。
それこそ、空気を吸うように無意識に、
何でも多様性で考えられる様になれば、
この言葉はいらなくなると思います。
③真の多様性とは何か?
さて、真の多様性とは何でしょうか。
これは私も色々考えました。
しかし最終的には
ものすごくシンプルな答えが出て来ました。
例えばここにAさんとBさんの
2人の人が居たとします。
Aさん「私○○が好きなんだよ」
Bさん「え?それあり得ないよ」
Aさん「そうかな?」
Bさん「うん、私は□□しかないと思う!」
Bさん「絶対□□が良いから変えなよ!」
この会話、何気ない好みの話です。
じゃあ同じAさんBさんでこれならどうでしょう。
Aさん「私○○が好きなんだよ」
Bさん「あ、そうなんだ。私は□□だよ」
Aさん「そうなんだ~」
Bさん「Aさんはそっちが好きなんだね~」
Bさん「まぁ人それぞれ好み違うからね~」
多様性と言うのは
この会話そのものだと思うのです。
最初の会話は、Aさんの趣向を
Bさんは真っ向から否定しています。
そしてBさんは自分の好みを
Aさんに受け入れさせたい感が出ています。
次の会話では、Aさんの好みを
Bさんは否定せず、自分の好みを伝えています。
そして、人それぞれ違うという事を言っています。
この2つ目の会話こそが、多様性の
あるべき姿ではないかと思っています。
つまり、
「人それぞれ違う事を受け入れ、
相手に対し寛容でいること。」
そして、
「自分の考えを相手に押し付けず、
お互いを尊重し合う事。」
これが多様性ではないかと思うのです。
自分が受け入れられないからと
相手を否定したり批判する時点で、
多様性があると言えなくなると思うのです。
ですから私は、私に批判的・否定的な
考えをお持ちの方がいても、
「あ、そうなんですね~」
と言う感じです。
別に私の事を無理に判ってほしいとか、
理解してほしいなどとは思いませんし、
強要もしたくありません。
ですから例えばこの私の記事に、
否定的・批判的なお考えの方がいらしても、
それが当たり前と思っています。
万人すべての方々が、納得する記事など、
私には到底書けません。
最後に
さて、今回は多様性についての
私見を述べてみましたがいかがでしょうか。
恐らく様々なご意見があると思います。
これはあくまで個人的な私見ですので、
ご容赦頂ければと思います。
私は多様性を強くアピールしたいとは
思っていません。
どうしたって私の事を嫌いな人はいるし、
嫌悪感を持つ人はいます。
だからと言って、その人たちを
批判や否定したり攻撃したいとは思いません。
その人の自由だからです。
私は普通に、穏やかに暮らしたいだけなので、
それさえ維持できれば、
特に何かをアピールしたいとは思いません。
ではなぜアピールする気がないのに
この記事を書いたのか?
それは、私の様なニューハーフとかLGBTなどと、
世間で呼ばれる人が、皆同じ考えに基づいて行動し
発言しているかの様に言われる事があるので、
アピールしたい訳ではないですけど、
記事にしといた方が良いと思ったのです。
人間はひとりひとり全て違います。
100%同じ思想や生い立ちの人はいません。
全ての人が、穏やかで暮らしやすい社会になる事を
願っています。
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