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【エッセイ】文学賞に落選したときに確認したいこと
学校では絶対に教えてくれないことの一つは間違いなく
世の中には「選ばれし者」がいる
世の中には「注目されやすいひと」がいる
だと思う。
学校で教えないのは、この種の「残酷な真実」を言ってしまうと誰も勉強しなくなるからである。
わたしが思いつく「選ばれし者」「注目されやすいひと」のひとりはさくらももこ氏である。彼女は小学生の頃からよくコンクールに入選し、賞状をたくさんもらっていたらしい。まさに生まれながらのクリエイター、物書きである。
そうでなくても、文学賞、文芸祭、新人賞、物語コンクールで「衝撃デビュー」を果たしたーー人生で初めて書いた小説、このコンクールに応募するのは初めて、みたいなのでいきなり注目を浴びる作家さんはプロ・アマ問わずいる。
そこへいくとこのわたしは、である。
大手の文芸雑誌の新人賞どころか、全国区の地方文学賞の受賞歴も皆無。
地方限定枠の文学賞・文芸祭まで広げて、やっといくつかひっかかる。佳作をはずして入賞だけ書くと、15年近く小説を書いて
●神戸新聞文芸の小説・エッセー部門(2019年) 年間最優秀賞(小説の方)
●明石市立天文科学館開館60周年記念「てんもん文芸祭」オリジナル星座物語部門 優秀賞(第2席)
●明石市文芸祭 小説部門 議長賞(第2席)、教育長賞(第3席)
これだけで「アマチュア作家」と自称するのはおこがましい。町内会主催の磯釣り大会で優勝したことがあるくらいでアングラーとは名乗れないようなものだ。
本題に戻るが、わたしのような凡人は選ばれないことの方が多い。
というか、基本的に選ばれない。
それどころか、落選した短編小説が、noteにある公募ガイドさんの「落選供養マガジン」に収載されてしまったりする。無視されるよりマシかもしれないが。
落選グセがついてしまうと、「自分は何でコンクールに応募しているんだろう?」と複雑な気分になるときはしばしばある。
郵送する時点で「入賞は無理だろうな」と敗北感に打ちひしがれるときさえある。
小説のプロットや結果発表のことを考えていないときでも、背中を丸めて道の端っこを選んで歩いてしまう。「そういうわたしも日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く…馬鹿な人間でございます」みたいな。
落選グセがついて複雑な性格になってしまった自分にさらなる落選通知が来たらどうするか。
結果発表で入賞者のリストに自分の名前が見つからなかったときはどうするか。
心ゆくまで落ち込みましょう。
心ゆくまで審査員や下読み係を呪いましょう。
最長で一週間くらいまで。
でもその後は、やはり基本に帰りたい。
北極星に船首を向けたい。
入賞してマスコミや自治体のミニコミ誌なんかに取材されてチヤホヤされるのを妄想することではない。妄想してもいいけれどそれは「基本」ではない。アクセサリーだ。
自分のできる限りいい作品を書くこと。履歴書のように誤字脱字の全くない作品を書くこと。「もう書き直すところはありませんね?」と問われて「こちらが完成作でございます」と自信を持って答えられる作品を書くこと。神の前に立てる資格のある作品を書くこと。
この「確認」に尽きるのではないか。
「それでも作品が認められなくて一生が終わってしまったら?」と不安に思うひともいるかもしれないが、逆にわたしは問いたい。
「それはあなたが本当に不安に思うことなんですか? その不安、本当に『不安』ですか?」
と。
わたしに言わせれば、人生を棒に振るものを何一つ見つけられずに終わってしまう人生の方がよほど不安ですけれどね。
* * *
新しく作品を書きましょう。パソコンに向かいましょう。原稿用紙に、広告のウラ紙に向かいましょう。全力出しましょう。
★「才能」って必要なんじゃないの? と不安な方はこちらの記事をどうぞ。わたしと一緒に北原白秋先生に一喝されましょう。
(終わり)
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