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自宅で一人で20年 仕事にやる気を出し続ける習慣術

フリーランス・デザイナーの井上新八です。

主にブックデザインの仕事をしています。
20年ほど自宅で一人で働いています。

あまりいろいろな仕事を経験してないので比べようがないですが、
デザイナーという職業もそれなりに大変で、
ストレスのたまりやすい仕事のような気がします。

今でも本気で仕事をやめたくなる瞬間が
週に1回くらいは必ず訪れます。

今回はそういうときにどう「やる気」を出しているか、
そのために工夫していることについて書いてみます。
モチベーションを保つための習慣術のような話です。
ただやる気を出すだけだとつらいので、
同時にストレスをためない方法についても触れてみようと思います。

ただ、前回までのnoteで書いてきたことは
ほとんどが今回のテーマに通じる話でもあるので、
かなり重複する部分も出てくると思います。

1回目の投稿は、
朝のルーティーンで自分にスイッチを入れると同時に、
体力を維持するための体作りをセットにする習慣について書きました。

2回目の投稿は、
大量の仕事に向きあうための工夫と、
すぐやる習慣について書きました。

3回目の投稿は、
仕事を効率化するための管理術の話を書くと同時に、
気が進まない課題にどう向きあっているか
(最後まで読んでいただかないと分からないのですが)
その習慣と工夫について書きました。

これらも言うなれば、やる気をキープしつつ、
ストレスを減らしていく習慣
でもあります。

今回は特にやる気が出ないときや、
面倒くさくてやりたくないようなことに向き合うために
意識してやっていることを書いてみようと思います。

ただ、個人的な経験で語っていることなので、
正しいやり方では全くありません。
あまり役に立つ話ではないかもしれませんが、
こう考えてやってきて、何とか20年生き残ってこれたので、
参考程度にはなるかもしれません。いやならないか…。
とにかく少しでも誰かのお役に立てばと思います。


○「やる気」を出し続けるために負荷をかける

最初に言ってしまうと「やる気」を出し続けるためには、
「動くことを止めないこと」これに尽きると思う。

止まってしまうと、なかなかエンジンがかかりにくくなる。

「休憩するな!」「休むな!」「ずっと働け!」
とかそういうことでない。

休むときは思いっきり休んだ方がいいし、
やる気を出しすぎてオーバーヒートしないようにした方がいい。
あんまりやる気を出しても結局は長続きしなくなる。

だから常にほどよくエンジンをかけておきながら、
休むときも火が消えないようにしておく方が燃費が良い。
少なくともぼくの場合はそうだ。

なので休みの日でも朝のルーティーンだけは続けるようにしている。
完全に電源オフの状態にするより、
電源は常にオンでスリープの状態をキープする
イメージが近い。

そうやってモチベーションの火が消えないようにしている。

それでも火が消えてしまうことがある。
正直、めんどくせー、だるい〜って瞬間がけっこうある。
お昼ご飯を食べ終わって、
あ〜午後も仕事するのか〜って絶望する毎日だったりする。
そんな時にどうしているか。

基本的にやっていることは「負荷をかける」ということだ。
あえて負荷をかけることでエンジンを持続させている。

○やる気を出すために「すぐ終わる面倒なこと」をやる

すぐにやらないといけないことがあるけど、
なかなか体が動き出さないときがある。
「面倒くさい」「なんかやる気が起きない」…
そんなときは「すぐ終わる、ちょっと面倒なこと」をやるようにしている。

やるのはちょっとしたことでいい。

例えばトイレ掃除をしてみる。
ぼくは週に2回トイレ掃除をすることにしているのだけど、
忙しいときなどはこういうことが特に面倒に感じてしまう。
でも忙しい最中にあえて時間を作って
5分か10分トイレ掃除に向きあってみる。
終わらせてみると意外なほどすっと
気が重かった仕事に取りかかれるようになる。

図04-1-2

朝のルーティーンでやってる
ちょっぴりハードな筋トレ「HIIT」も
「すぐに終わるちょっと面倒なこと」だ。
仕事の合間にジョギングに行くのもそう。
面倒だけど走りに行った方が次の行動にスムーズにつながっていく。
※詳しくは1回目の投稿「ぼくの朝のルーティーン」を参照

これらは「めんどくさい」「だるい」という心の状態を
強制的に「オン」に持っていくためのスイッチのようなものだ。
朝のルーティーンは「ちょっと面倒なこと」を習慣化しておくことで、
自然にスイッチを入れられるようにするシステムのようなものだ。

仕事の合間に考えないで終わる小さな仕事を挟むというのも有効的。
請求書を書いたり、領収書を整理したり。
デスク回りを少し片づけたり、掃除機をかけたり、
ゴミをまとめたりするのもいい。

体を動かすことか、何かを整理したり、
身の回りをきれいにしたりすることがいいような気がする。
いずれにしろあまり頭を使わないことの方がいい。

ちょっとした「すぐ終わる」小さな負荷をはさむことで、
「面倒臭い」という気持ちがどこかへ消える。
これで、スイッチが入って
本来やるべきだったことにすっと入っていける。
もちろんその小さいことすらやる気が起きないという問題もある。
そしたらトイレ掃除よりも
もっと簡単な「小さなこと」を挟むといいかもしれない。
例えば「立ち上がる」とか。ついでに3回スクワットするとか。
それも面倒臭い、息をするのも面倒くさい、
という人は、もうそのままでいいような気がする。

息抜きにゲームをするとかマンガを読むとか
好きなことをやって気分転換するのもいいけど、
そうするとまた仕事モードに戻るのが大変になる。

だから次にやるべきことが控えているなら
「すぐ終わるちょっと面倒なこと」を重ねる。
力を抜くよりもちょっとした負荷をかける方が次につながりやすい。

火が消えそうになったら、「小さなすぐ終わること」を挟む。
それを頻繁に重ねていくことで「やる気」を持続させていく。


○大変なときは100倍重力の修業と思う

やることが重って、積み上がって、どうにもならないとき。
終わりが見えなくて絶望感にさいなまれるとき。
悲鳴をあげて倒れそうに忙しい時。
頭がヒリヒリしてきてストレスがピークに達して、
もうダメかもって思うようなときは、
それを「修業」と思うようにしている。

ここでのふんばりが、
自分のキャパを広げるチャンス
になると思っている。

イメージ的には、「ドラゴンボール」で、
悟空がナメック星に向かう宇宙船の中でやる修業のような感じ。
宇宙船の中の重力をどんどん上げていく。
体にものすごい負荷がかかって、最初は思うように動けないけど、
そのうち徐々に自由に動けるようになっていく。
10倍、50倍と慣らしていって、
最後は100倍の重力でも自由に動けるようになる。
100倍の重量のあと通常の重力に戻るとトンデモない力が身についている。

仕事が量が増えてキツくなっていくのは
あの修業のイメージにすごく似ている。

図04-23445

うわ〜きついな、これはダメかも、乗り越えられないかも
っていう状態を重ねていくことで徐々に自分のキャパが広くなっていく。

キツイ状態が普通になると、
前の状態がすごく余裕に感じられる。

1年前にキツいと思っていた状態が、翌年には余裕になっている。
キツさを乗り越えていくことで、
量もこなせるようになるし、量をこなすことで質も上がっていく。

だからちょっと仕事がキャパオーバーして、
「うわーーキツイ」って状態がきたら、
よし!負荷がかかりまくってる。
これは修業のチャンス!
と思う。

ま、思えないかもしれないけど、
これを乗りきったら次にこの状態が来ても
絶対楽に乗り越えられると信じる。

これを重ねていったらいつかスーパーサイヤ人になってるかもしれない。
クリリンが犠牲にならないとダメだけど…。

○忙しいときほど新しいことを始める

忙しい状態を続けると完全に仕事で埋め尽くされていく。
仕事のために生きてるわけじゃない。
遊びの部分が必要だ。

ぼくの場合は、
仕事が忙しい状態が続いているとき
あえて新しいことを始めて
また少し別の負荷をかけるようにしている。

ずっと気になってて、
暇になったらやろうと思ってることがある。
例えば新しく始めようと思ってる習いごととか、
ぼくの場合はこのnoteがそうだ。

でもなかなか暇な時間なんてやってこない。
いや、実際に暇な時間がやってくると、
「休む」ことに専念してしまって、
なかなかやろうと思ってることを始められなかったりする。

無限にある時間の中で「やる!」って重い腰を上げるのは大変。
ぼくもそれはなかなかできない。
でも、時間がない中で「やれそうな時間」
を見つけるのは意外に簡単だったりする。

「いつでもできる」よりも
「この時しかできない」と思うほうが人は行動できる。

ぼくの場合、仕事に余裕があるときより、
忙しいときの方がたくさん映画館に足を運べているし、
たくさん人に会ったり、何か新しい計画を始められている気がする。

図04-3

最近始めたこのnoteもまさにそれで、
1年前からやろうと思っていたのに、
ひと月前までずっと「いつか暇になったら書こう」と思って放置していた。
正月にまとまった時間があったのに、
結局手を着けないままで終わってしまっていた。

このままじゃずっとやらないまま終わるなと思った。
「暇ができたら」「休みになったら」
そう思っていたらやらないままだと思ったので、
あえて忙しい時に始めてみることにした。

ほとんど時間はないけど、すき間時間を使えばできなくはない。
ふだんのすき間時間で1〜2行のメモを書いておいて
土曜の夜に下書きをはじめる。
日曜日に1日かけて下書きを書き上げてページに流し込む。
月曜日の朝に図版を書いたりしつつ読み直して、
午後一番でアップするというスケジュールを勝手に立てた。
これをひと月続けると決めた。
今回で1ヶ月続いたので、これでひとまずミッション終了。
無事達成した。できるものだ。(ま、そんな大した事ではないけど)

やってみたいことがあるなら、
あえて忙しいときにやってみるといい。
「ああ、時間ないのに何やってんだろう」って時が、
いちばん何か新しいことを始められる。

○大変なことを重ねてやる気をだす

大変なときこそ新しいことや面倒なことを始める。
ぼくにとって大変な状況を乗りきるために
「やる気」を出す方法はこれだと思っている。

つまり大変なことに向きあうために、
より大きな負荷を自分でかける
というやり方だ。

なんでそんな大変なことをわざわざ…と思うのだけど、
これが少なくともぼくには効果がある。

やることは本当に何でもいいと思うのだけど、
簡単に片付かないこと、
やりがいのありそうなもの、
大変そうなものがいいように思う。

やっかいなことを増やすことで、
それまでやっかいだったものの存在を薄めることができる。

「大変なこと」があって、
大変だ、イヤだな〜って思っていたところに、
同じくらい「大変なこと」が重なってきてら、
最初の大変なことの存在が少し薄くなる。
そこに「もっと大変なこと」が重なってくると、
最初の2つはどうでもいいことに思えてくる。

これを意識的に仕込むようなやり方だ。

このnoteも「勝手にやっていること」ではあるけどとても面倒くさい。
面倒くさくて大変だけど楽しいものでもある。
「大変だけど楽しいこと」で「大変なこと」にふたをするイメージ。

あえて新しい負荷をかけて
「楽しいけど大変なこと」に目を向ける
ことで、
本来あった「大変なこと」から気分をそらすような感じだ。

図04-4-3

これは3回目のnoteの投稿で書いたことに通じる話だけど、
面倒で大変なことに向きあうあたって、
更に面倒で大変な事を重ねてそのこと自体を楽しむ考え方。
正直3回目のnoteについてはあまりに面倒だったので、
書きたくなかった。
普段やってるPC作業を言葉にして解説するのが面倒だし、
図もいっぱい作らないといけないし、
たぶん仕事だったら断ってた。
その「図解して解説する」という面倒でやりたくないことをやるにあたって、
その行為を楽しむために図解部分に好きなマンガのネタを入れ込んで
誰にも気づかれないような作り込み
をしていった。
例えばメールのトップ画面の差出人のところに登場人物の名前を並べて書いて、
その登場人物だったらどんな仕事を依頼してきそうか内容を考えて、
その中の一つの案件について実際表紙を作ってみたり、
使わないかもしれないけど実際はこんなメールのやりとりをしてるかもという
メールの本文も書いたり、言ってみれば必要のない作り込みをした。

通常に作る以上に無駄に時間はかかっているし負担も増えるけど、
「やりたくない」という意識は消えて、
作ること自体を楽しむ
ことができた。

どんなこともこうやって、別の負荷をかけて、
楽しみを盛り込むことで「やる気」を出して乗り越えいている気がする。
これは意識してやっているというより、恐らく無意識にやっていることだ。

この「note」を書くというのも
当初はあまり意味は深く考えずに始めたけど、
現状の「死ぬほど忙しい」でも「なんだか未来が明るくない」
みたいな状況に対処するために無意識に始めたことのような気がする。
詳しくはまた別の機会にともうけど、
この新しい負荷によって、いろいろ変化があって、
すごくやる気が出ているのは確かだと思う。

○いつでもやめられると思う

20年以上前になるけど、会社務めをしていたとき。
務め始めて2年目に、
あまりにも仕事がきつくて少し鬱っぽくなってしまった。
通勤電車が会社の最寄り駅に着かないことを祈ったり、
食べ物の味がまったく分からなくなってしまったり、
帰りの電車の中で意識を失って倒れたり、
ああ、もうこれはダメだという状態になった。
そのときに救われたのが、
「もう明日から会社に行くのやめちゃえばいいじゃん。
お前一人やめても誰もそんなに困らないよ」
っていう言葉だった。

「ああ、そうか別に行かなくていいのか」
って思ったら、気分がすごく楽になった。
それからは「いつでもやめられる」と思いながら続けてみた。
結局4年間、関わっていたプロジェクトが終わるまでやめずに続けられた。

それからは何をやるにも、
「いつやめていい」と思いながらやるようになった。

今の仕事にしてもそうだし、
毎日やってるジョギングや筋トレも
「続けよう」と思ってやっていない。
「いつやめていい」と思いながらやってる。
いつやめてもいいけど、今日はやっておくか、毎日その連続。

何となく「シロクマのことだけは考えるな!」
って話に近いのかもしれないと思った。

1987年に行われた実験で、集めた人を3グループに分けて、何も説明せずにシロクマの1日を追った50分程度の映像を見せる。
見終わったあと、研究者がそれぞれのグループに
「シロクマのことを覚えておけ」
「シロクマのことは考えても考えなくてもお好きなように」
「シロクマのことだけは考えるな」
と別々のことを告げる。
一年後、内容をいちばん克明に覚えていたのは「シロクマのことは考えるな」と言われたグループだったそうだ。
「考えてはいけない」と禁止されることで思い出してしまう。
思考を抑制しようとすることで、かえって思考が活性化してしまうのだという。
「覚えよう」って思うより、「忘れよう」って思うほうが覚えていられる。
心理的リアクタンスというらしい。
〜参考「シロクマのことだけは考えるな!」植木理恵(新潮社)

「覚えよう」って思うより、「忘れよう」って思う方が覚えていられる。
だから続けようと思わないで、やめてもいいって意識するほうが
案外ものごと「続く」んじゃないかな。


○最初に期待値を下げておく

もともとが打たれ弱いガラスのハートなので、
予想を裏切るような悪い結果が起きたときは、
心が打ち砕かれてボロボロになってしまう。

たとえば必死に考えて作ったデザイン案を送って
「全然イメージしてたものと違うのでやり直してください」
という返信が来たときとか、
「イメージと違う」という言葉が頭の中で数億回くらいリフレインする。

「メガゾーン23」というアニメでヒロインのルームメイトが、
理由も分からず殺されるシーンがあるのだけど、
死ぬ瞬間に「なぜなの、なぜなの、なぜなの」(CV:冨永みーな)
ってリフレインするシーンが子どもの頃から忘れられなくて、
その感じで「イメージと違う…イメージと違う…イメージと違う…」
って頭の中でリフレインしてくる。
※「メガゾーン23」このタイミングで見直してみたら記憶以上にとんでもない作品で面白かった。

とにかく死ぬほど落ち込む。

そんなわけでメールの返信を見るのが怖くてたまらないのだけど、
基本的な考え方を変えることでそれに対処している。

「いい返事なんか最初から来ない」
そう思うようにしている。

いい返事が来ると思うから、
反対のメールが来たときショックを受けるし落ち込む。

スタートを最悪な状態に合わせる。
「悪い結果が届く」と思っておく。
悪い結果だったときは「やっぱり」って思えばいいし、
ちょっとだけ悪い返事だったら「この程度ですんで御の字」って感じられるし、
最高に嬉しい返信が来たら飛び上がって喜べばいい。

最初に期待値を下げておく。
そうしておけば少なくとも期待を裏切られて落ち込むことはなくなる。

今でもやっぱりメールを開くときはいつもドキドキしてしまうんだけど、
それでも期待値を下げているおかげで何とか乗り切れている。気がする。


○丁寧にするという「形」にする

毎日すごい量のメールが来る。
嬉しいメールもあれば、うわーーっていうメールもある。

何度か調整してデザイン案が決定したあとしばらく連絡が途絶えて、
しばらくしてから突然せきをきったように焦ったメールが送られてきて、
「タイトルが変わりました、
それに合わせて帯も変えましたので、デザインをやり直してください、
それから営業からもっとデザインにインパクトが欲しいと言われています、
現状のデザインを変更してもらってもいいので修正をお願いできますか、
明日の13時までにお願いします、
すぐに入稿しないと間に合いません、
それからまた帯が変更になりますのでご対応お願いします、
ご検討ください、よろしくお願いします」

こういうメール。けっこうよくある。
いまはもう慣れてしまったので、
「この人も大変なんだろうな」と思えるようになった。
だいたいやりさえすれば終わるし、やってしまえばすぐに忘れられる。
ただ、そう思うにはちょっと時間がかかったように思う。
結局、感情に振り回されてイライラしてしまうのが問題なのだけど、
理屈では分かっていても「冷静にやるべきことをやる」というのが、
そう簡単にできない。

転機になったのは5年くらい前だったか、
こういう案件が何件も重なって心が完全に死んだ時だ。

あまりにもトラブルが続いて、
メールを読むのも返すのもイヤになってしまった。
あまりにもいやになって、
本文に何も書かずに添付ファイルだけ送ったりして、
「こっちも不機嫌ですよ」ということをアピールしていた。

これは完全な失敗だった。
イヤな気持ちを表に出すと、本当に全てがイヤになってしまう。
自分がイヤな人間にも思えてきて心がなえた。
不機嫌さをぶつけて相手をイヤな気分にさせてたらどうしよう
…みたいな余計な気苦労まで増えて、
ただすり減るだけだと気づいた。

そこで試してみたのが「全部のメールを徹底的に丁寧に書く」という実験だった。
仕事のメールであればどんなメールでも関係なく全部に超丁寧に返信する。
深い意味を考えてやったわけではない。
キツイ状態に更に負荷をかけると何かが変わるかも?
くらいの思いつきでやってみた。

丁寧にと言っても形式ばったメールを書くのではなく、
読む側の負担にならないレベルでの丁寧なメールだ。
そして必ず「ありがとうございます」をどこかに書くようにした。
イヤミのひと言も言いたくなる状況になったら、
それを感謝の言葉に変換する
くらいの気持ちで続けた。

これが驚くくらいに効果があった。

全部丁寧にしてみたら、メールでイライラしなくなった。
1、2カ月はものすごく丁寧にメールを書いて、
そのうち丁寧に書く度合いをゆるめて普通に戻していったのだけど、
とにかく「きちんと丁寧に返せばいい」んだという思考に変換できた。
今はすごくフラットに返信ができていると思う。

数年前に「日日是好日」という映画を見ていて、
茶道の所作の意味を知ろうとする生徒に樹木希林演じる先生が、
意味なんてどうでもいいから形を覚えなさいというシーンがあった。

お茶はまず『形』から。 先に『形』を作っておいて、
 後から『心』が入るものなの。

まさにこれだ。
丁寧に感謝するという「形」にしてしまえば、
あとから気持ちがついてくる


○好きなことをあきらめない

何か落ち込むときの逃げ場として好きなものをもっておく方がいい。

ぼくの場合は圧倒的に映画だ。それとアニメだ。そしてゲームだ。

ものすごく嫌なことがあったり、
心が傷ついて修復するのが難しいようなひどい落ち込みをしていても、
「映画館に行って映画を見る」
これでかなりの部分は修復できてしまう。
移動時間をふくめてもたった2〜3時間くらいのものだ。
気分転換というより魂の洗濯のようなものだ。

人によっては小説だったり、アイドルだったり、演劇だったりするだろう。
とにかく、何でもいい。
自分が逃げ込めるコンテンツは何か用意しておいたほうがいい。

大切なのは、どんなに忙しくても、
好きなものを好きでい続ける努力を惜しまない
ことだ。

忙しくなってしまうと仕事に気を取られて、
つい好きだったコンテンツをおろそかにしてしまう。
そうやって何年もそこから離れてしまうと
楽しみ方を忘れてしまうことがある。

実際、ぼくも社会人になって数年間、
最新のアニメをほとんど見ていなかった期間があって、
その時はちょっとした浦島太郎状態を味わった。

アニメにしろ映画にしろゲームにしろ、
心の底から楽しむにはそれなりの素養が必要で、
それがこぼれ落ちてしまうと楽しみ方自体が分からなくなる。

好きなものを好きでいるための努力。
これは仕事に対する努力以上に注力していい
ように思う。

ぼくが一番大切にしていることがあるとしたらこれかな、と思う。
「好きなものをあきらめない努力」だ。

1年を通して仕事に追われているから、
めちゃくちゃ忙しいけど年間250本以上は映画館に行って映画を見ている。

テレビアニメはオンエアされているものはほぼ全作品見ている。

ゲームも毎日必ずやっている。
数年に一度のお祭りとして「ドラクエ」シリーズが発売になったら、
仕事は発売日前日までに全て終わらせて、
クリアするまでひたすらやり続ける。
その時は1日20時間以上はゲームする。

これは中高生の時からずっと変わってなくて、
ドラクエ、FFなどの大作RPGは発売日からクリアまで学校に行かなかったし、
どうしても見たい大作映画は公開初日に朝一で行って
夜まで同じ映画を4、5回見ていた。

恐らく学校に行ってもゲームや映画が気になって、
何も手につかないだろうから、
自分的にはこれが一番効率の良い方法だと思っていた。
好きなものに対するスタンスはその当時からほとんど変わってない。


○思い切りお酒を飲む、とことん飲む

お酒が好きだ。味も好きだけど、
酔っぱらって、その場にいる人とずっと飲むのが好きだ。

僕のデザインの仕事の始まりは飲み屋からだった。

大学4年の時、バブル崩壊から数年経って就職氷河期のまっただ中。
三流大学から就職できる会社なんか皆無で、途方に暮れていたとき、
飲み屋で知り合ったのがサンクチュアリの元社長・高橋歩氏だった。
朝までだらだら飲んでる席で彼から言われた
「Mac持ってるなら本のデザインとかできないの?やってくれないかな?」
このひと言からぼくのデザイナーとしての人生は始まった。

全くの未経験で何のスキルもなかったけど、
飲み屋で半分冗談で言われたこのひと言を真に受けて
本気でやってみたから今がある。

だから飲みの席での話はバカにできないなと思っている。

ガツガツ人脈を広げたり、
自分を売り込んだりするような飲み方は
かっこ悪いからしないように心がけているけど、
そんなことしなくても、
楽しく飲んでるうちに面白いように話は転がっていく

仕事を始めたばかりの頃は、飲み屋でたくさん仕事をもらった。
新しい出会いはだいたい飲み屋スタートだったし、
テレビ番組のレギュラー出演が決まるなんてこともあった。
去年は飲み屋での出会いから始まってトークショーをやった。

「ボクの妻と結婚してください」という映画のラストで、
死にゆく父から未来の息子に宛てた手紙が読まれるのだけど、

飲み会には必ず3次会まで行くこと。
そこまで残った人にしか聞けない話があります。
酔っぱらった先輩のおもしろい話を酔い潰れるまで聞きなさい。

こういうアドバイスが書いてあって、
こういう昭和っぽいのって今は敬遠されそうだけど、
大事な側面もあるよなって思う。

ぼくも20代30代の頃は途中で帰ったことがなかった。
(まー今も記憶のあるうちに帰ることはないけど…)
とにかく飲む場が好きで帰りたくなかったからなんだけど、
とことん飲んだからこそ始まったことがいっぱいあったと思う。
もちろん、財布とかお金とか、なくしたものもいっぱいあるけど…。
そんなのは些細なものだ。
得たものの方が大きい。

楽しく飲む。そしてとことん飲む。
明日のことなんて考えない。
どうせ、明日はきついんだ。
そこに二日酔いがプラスされたってどうってことない。

遊ぶときも飲むときもとことんやる。これに尽きる。

というわけで、「やる気」を出し続ける習慣について書いてみました。
まるで飲み屋の戯言のような話だったので、飲み屋の話で締めてみました。

今回の原稿、
最初は「ストレスと付き合う習慣」というテーマで書きはじめたのだけど、
書いているうちに「ストレス」についての話じゃなくて
「やる気」についての話なんじゃないかなと思い始めてテーマを途中で変えた。
結果、どちらも混在するような原稿になっている気がするけど、
案外「正解」かもしれないと思っている。
「やる気」を出して「夢中になって何かに向きあう」のが、
もしかしたら一番のストレス解消法かもしれないからだ。

何せこの週末は猛烈な仕事の忙しさで、
時間もないしストレスもマックス状態だったのだけど、
こうやって必死にnoteを書いてみたことで
ストレスが消えたなという実感がある。

ほんとこの忙しいのに自分でも何やってんだ…って思うけど。

それでは、やる気あふれるフリーランス&自宅仕事の毎日を!


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