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連続トーク「何故、写真なのか」 うつゆみこ×Ryu Ika (聞き手 清水裕貴) ”母と血 後ろめたい夢” @さいとう読書室

2024/5/3~6  蒲田のさいとう読書室にて行われたイベント「写真を読む読書室」内のトーク企画「何故、写真なのか」の記録です。

「母と血 後ろめたい夢」

(左)血の色のドレスを着てきてくれたうつゆみこさん
(中)Ryu Ikaさん (右)清水
 撮影:村松聡

母娘の接近と別れ

清水「Ikaさんが文學界の五月号に寄稿されたエッセイで「日本に来るまでほとんど友達がいなかった」「母親が唯一、おしゃべりしたり遊んだり写真を撮らせてもらう相手だった」と書いてありまして、へーと思ったんですけど」

日本に来るまで、ほとんど友達がいなかった。うちは両親共働きで大学と幼稚園の先生のため、教育はそこそこしっかりしていたが、交友関係などの人間としてのスキルを期待されたことも教わったこともあまりなかった。
(中略) 
そこで私の生まれつきのお友達––母親に話したら「いいよ」と快諾してくれた。一緒に何をどこで撮るかを話し合ったりして遊んで、旅立つような気持ちで撮り始めた。

文學界5月号 Ryu Ika 窓辺より「お別れだけの旅」

Ika「友達がいないというよりは、友達を作らなくちゃいけないと考える社会性がなかったんです」
清水「Ikaさんにとって母親とはどういう存在ですか、現在」
Ika「現在……は妙な感じです。一方的にアプローチしようとしても、戻れないような感じ。昔には戻れない。子供の頃の、他人じゃない関係じゃなくなった、かも」
うつ「一心同体みたいな時が続いていたけど、今は違うってこと?」
Ika「そうです。ずっとそばにいてくれる話し相手であり、その存在が当たり前だと思っていたけど……」
うつ「物理的に離れて他人になりつつある?」
Ika「そうですね、母親がどんどん気を遣う相手になってきて」
うつ「気を遣う相手をああいうふうに撮ったの?」
清水「ねえ、気を遣っているとは思えない……」
会場(笑)
Ika「昔は生活の悩みを五時間くらい話していたけど、今は、向こうの都合とかを考えて、心配をかけてしまうかもとか思って、十分くらいしか話せなくなった。他人になった」
清水「なるほど、それは距離でてますね」
Ika「写真はそう見えないかもしれないけど。離れていくプロセスを記録するのも面白い」
清水「ふげん社の個展のステートメントに「写真は別れの道具」と書いてましたね。ちなみに写真集「The Second Seeing」の時は一心同体? 故郷の一部として母親が写っている……」

Ika「この時は母親を写しているとは意識していなくて、どの場所を撮っているのか、すらも関係がない作品。写真のなかに存在する、見る/見られるの関係を表現した写真集だから」
清水「京都のアンダースローでIkaさんの個展を見た時、モンゴルの筆文字がインスタレーションの中にあったので、民族と国家というテーマも含まれていたのかと思って見てましたが」

Ika「はい、その頃から実家のシリーズを作っていたので」
清水「写真集を作った頃とは、またフェーズが違うんですね。2024年2月にふげん社で開催されていた個展『MOM LAND』は母親像が強烈に出ていて、先ほど語られていたような距離は全く感じない作品だった。Ikaさんの自己とお母さんがほぼ同一だった時期があったから、あの血まみれの子供部屋のオブジェが出てきたのかなと思うんですが。あの血のオブジェは胎内のイメージですよね?」
(個展会場におもちゃのジオラマのようなものに赤茶色の塗料が垂れているオブジェがあった)
Ika「血ですけど、いろんな人にチョコレートって言われました(笑)バレンタインだったので」
清水「胎盤色だなあと思いました」
Ika「嬉しい」
清水「母親との強い癒着状態があって、それを自分自身で振り返っている作品なのかなと思ったんですが」
Ika「いや、作品として表現するのと、エッセイのように文章で表現するまでにタイムラグがあります。エッセイで書いた思いは、あの作品を作った時とはまた違う。今、お母さんは病気で大変なことがある。その強い現実をそのままドキュメンタリー的に撮ることはできなくて、あの形に」
清水「お母さんの実生活における、ある現実を、Ikaさんの中で色々と解釈して、コラージュやオブジェを使って再構成したものが『MOM LAND』だったんですね」
Ika「そうですね。現実の感情を一回自分のなかで処理して、昔の記憶とか、写真と繋がっているもので構成して……。そもそも記憶って、確かめようがないものです。私の記憶を作品で再現したといっても、誰もその当時に起きたことと同一かどうかは確かめようがない。自分で思い通りにできない。記憶は触れないからこそ、『MOM LAND』のシリーズは、ほぼ100%作ってるんです。自然に撮ったものは多分ひとつもない」
清水「セッティングしてるんですね。協力的ですねお母さん。ヌードもあるのに」
Ika「実家で展示するわけじゃないから(笑) 親戚日本まで見にこないし。お母さんは、日本で展示したらみんなどういうふうに見てくれるのかなって、ポジティブな興味は持ってくれてる」
清水「お母さんは作品制作は応援してくれてる?」
Ika「いつまでこんな金にならないことしてんのとは言われますけど」
清水「それはあらゆる親が心配することだとして(笑) 作品として自分を暴露することに関しては肯定的?」
Ika「ええ、本を持って帰ったら、喜んでくれました」
清水「写真から想像する親子関係ってのは、全然違うものだな。で、あの、うつさん。他人の家の親子関係を詮索するのは失礼だと承知な上で聞きますけどね……」
うつ「ああ、大丈夫です。ちなみにうちの親は全然撮らせてくれません。実家の風景も」
清水「おお、それはなかなか厳しめな……」

清水「うつさんの作品は、シュルレアリスムの系譜を継ぐようなものなのかなと昔は思ったけど、なんか決定的に違う。シュルレアリスムはWWIとWWⅡの間にヨーロッパで生まれたものだから戦争で破壊された世界がベースにありそこから広がる失われた王国のイメージが支配的だった。シュルレアリスムによく出てくるモチーフ、瓦礫、星、などがうつさんの作品にはない。あと、お姫様……美女(笑)」
うつ「瓦礫、星、ないね。美女はいる」
清水「ポルノのピンナップですね(笑) エロティックなモチーフが結構ある」
うつ「あ、これは結構前の作品なの。2009年に前の本が出て、2010年からの長い期間の写真がここには入っているから。

写真集「Wunderkammer」は3つのパートに別れている。
必ずしも時系列順ではないが、エロティックなモチーフが多い過去の作品はパート1
ページに大きなナンバーが振ってあるのがパート2
娘さんが登場する近作がパート3

うつ「最近エロ撮りたいと思ってるけど、私生活にエロの要素がないから難しい。フランスやハンガリーの蚤の市でポルノのピンナップを探すのが好きです。お兄ちゃんにつけ回されながらエロ本をあさるの」
清水「気をつけてください(笑) フランスやハンガリーに行ってたのは、娘さんが生まれる前ですかね」
うつ「ええ、娘が生まれてからは時間がなくなったので、一人でじっくり考えるより、家事や育児の合間に、えいっと作る感じになっていったかな。パート3に収録されている作品の制作は、早いというか、ほんと、えいって感じです。最近娘が大きくなったので、また作り方が変わるかなと思っているんですが」
清水「娘さんを撮るだけでなく、娘さん込みの私生活をよく(SNSなどで)発信されてますが、あれは本当の生活の話? それとも脚色の入った物語?」
うつ「脚色入ってるって思われがちなんですけど、ストレートに、現実のことです。かっこつけようという思いが全然ないので、本当にそのままのことを書いてます。ただ、SNSは娘は見てないから、娘には内緒。そのうち気づかれたら怒られるかも、まだスマホ持たせてないから」
清水「スマホ持ち始めたら危ないですね」
うつ「あと、プライベートの写真は撮らない。作品に写ってくれるときは、プロのモデルみたいな意識でやってくれてます。でも今、反抗期。上の子はもうやってくれないかも。あ、Ikaちゃんの話をさっき聞いてて思ったんだけど、うちのお姉ちゃんも家帰ってくると、友達と全然遊ばなくて、私と話すか、本を読むかなの。うちテレビもないしネットもあまり見ないから、本読んで、本読みすぎたあとは私にどわーっと話し続ける。Ikaちゃんとうちの長女、似てるかも。妹は友達多くて、ランドセルおいてすぐ遊びにいっちゃうんだけど」
清水「お姉ちゃんは作品のことを理解して色々助言してくれるんですよね」
うつ「そう。助言、アドバイス、ダメ出しくれる」
清水「お姉ちゃんもアーティストになりそう?」
うつ「いや、ならないんじゃないかな。本をやたら読む。まだ中一だから将来のことはわからない」
清水「近年の作品を見ていると、うつさんと娘さんの生活と作品世界が、きゅっと密接に一体化している印象なんですけど、どういう生活してるんです?」
うつ「あ、そう見えるのはね、多分ちょっと前の話でね。子供の写真を撮り始めたのは、2020年の春に台湾に一ヶ月滞在制作していた時。一ヶ月の間に素材集め、作品撮り、展示までやらなくちゃいけなくて、すごいぎりぎりで、そこに子供たちもいたから、彼女たちは遊ぶものないからわーわー言ってて。私は作品に集中したいけど子供とも遊ばなくちゃいけない。そんななかで、子供を撮ったらお互いにちょうどいいかと思って、撮った」
清水「一緒にいなくてはいけないタイミングだったから、一緒に作品を作ったんですね」
うつ「そうそう。今はもうお姉ちゃんは嫌がるだろうし、妹も友達と遊ぶ方が楽しくなってきたから、あの時ほど密接ではない。どんどん変わっていく」
清水「その時の生活の必要に応じて、作り方が変わるわけですね」

写真に「真」は写らない

清水「そういえばIkaさんはぼちぼち大きくなってもお母さんが主な話し相手だったんですよね。中学生くらいになっても。思春期以降は親には話しにくいこともでてきて、親との距離が変わるものかと思いますが」
Ika「ああ、確かに。でも、周りの人たちのことより、テレビで起きていることの方が面白いと思ってたから……」
清水「フジテレビに入りたくて日本に来たくらいですからね」
Ika「ええ、武蔵美でフジテレビの説明会は全部出ました(笑)」
清水「とにかく、二人の母娘関係がもっと不健全だと思ってたけど、違いましたね」
Ika「うちはめちゃくちゃ健全で普通ですよ。写真には、「真」は写りません」
うつ「どろどろした親子関係のエピソード探した方がいい?」
清水「いや、ないなら結構です(笑) ただ、作品としてアウトプットした時に、世の中の不特定多数の人が「うつさんの親子関係ってどうなのかしら」とか、「Ikaさんのお母さんってクレイジーなのかしら」って邪推したりということが、起こりうると思うんですが、そういうのは気にしない?」
Ika「それは、観客に委ねます。気にしません。自由に想像してくださいって感じ」
うつ「普段健全だからこそ、人からどう思われようと、気にならない」
清水「コンプレックスがないから、他人から誤解されようと平気ということですかね」
うつ「ええ、普通に育ててるつもりですから。音読きいたり一緒に洗濯物干したり……」
清水「私は作品に自分の私生活を反映させるってことがないので、聞いてみました。「気にしない」と」
Ika「うんとー……気にしないっていうか、それが私生活とは思ってないです。写真に写っているものは、現実とは違うから」
清水「要はリスクを考えなくて大丈夫なのかなってとこです」
うつ「そうね、うちのこは可愛いから気をつけないとは親に言われます。あとお姉ちゃんが、メイクしている写真は大きく引き伸ばしてもいいけど、素顔はやめてって言います。でも逆さまならいいよっていうから、東京都写真美術館で展示した時は逆さまにしました」
清水「逆さだと認識しづらいからいいってことなのかな」
うつ「あまり素の顔は出せない。妹はまだ大丈夫だけど」
清水「いくらお二人が気にしないといっても、作品として長期間画像が残って、広がっていく。その際に、画像と被写体との関係は無視できないと思うんですが、どう考えてます?」
うつ「写真は撮った瞬間から、イメージとして被写体から分離するから……」
Ika「写真で写っているものは、その時間の死体だから、生きている被写体のごく一部分でしかない。それもあって、ふげん社のトークの時に、写真は「自分のものだ」と言ったのです」
清水「あ、そうそう。いいこと言ってたんですよね。金川晋吾さんとのトークで。たとえばうつさんが撮った娘の写真って「うつさんの写真」ともいえるし「娘の写真」ともいえる。ポートレートを撮った時は、どうしても写真の主語の置き所があやうくなる。そこを撮影者はどう解決しているのかと、私はずっと気になっていたんですが、Ikaさんはお母さんがどーんと写真に写っていたとしてもそれは「お母さんの写真」ではなく「Ikaさんの写真」だと断言しておられたんです。あくまでも、Ikaさんが見たある瞬間であり、時間の残骸であり、被写体と写真はイコールになりえないと……」
Ika「うーん……」
清水「あれ、違う?」

クライアントワークと作品

Ika「写ったものを、どう自分と切り離せるのか、まだ、分かってないような気がして」
清水「え?」
Ika「でも最近ちょっと分かったかも」
清水「ほう」
Ika「(写真の)仕事をし始めた時、お金を払われて撮ったものでも「これは私の写真だ!」と思っていたんです。そこに写っているのがどんな有名人でも「これはお前のものじゃない、私のものだ!」と」
清水「あ、作家としてのIkaさんのエゴでそう思ってたんですね」
Ika「でも最近それはちょっと治ったかも」
うつ「私はお金払われたら、仕事だから、向こうのものだと思うことが多いかな」
Ika「最近そう思うようになりました。でもそうすると、その写真に対する情熱が減っちゃう気がして」
うつ「仕事の種類によるけどね。私はもともと、お金貰う時はクールに撮るから、そんなに思い入れはないかな」
Ika「私はお金もらっても、自分の好きなように撮っちゃうんで、だから、あとから、これは私の子供なのに人にあげちゃうんだ!って思って……」
うつ「そうなんだ、面白いね。私は結構相手の考えを聞くから」
Ika「私それできないんですよ」
うつ「お金もらってポートレート撮る時は、その人の一番きれいに見える角度を探して完璧に撮る。だから、執着はない」
清水「相手とコミュニケーションとることで、相手も望んだ形になりますからね」
うつ「だから作品じゃないって感じ。たまに気に入ったものを展示に使うことはあるけど」
清水「仕事の写真、作品になるかならないか問題ってありますよね。これ話題にするつもりなかったけど……コマーシャルカメラマンとして撮った写真と、写真家っていう非営利の謎の存在として撮った写真との違い」
うつ「私は人の意思が少しでも入った写真は作品だと思えない」
清水「でも、プロカメラマンが商品などをセッティングして撮った広告写真を「私の作品だ」ということは普通にありますよね。Ikaさんみたいに自分の思いをすごく入れ込んで撮る人と、そうでない人の違いですかね。スタンスの違い」
うつ「クライアントがIkaちゃん好きだったら、嬉しいだろうね。そんな、自分を入れ込んで撮ってくれてさ」

女性が表現する「性」

清水「じゃ、仕事と作品問題も話したところで……。
この「写真を読む読書室」で推奨している本の楽しみ方として、誰かの作品集を読んだあとに、この本に関連する本を無理やりにでも探して、色々な本を読んでみようというのがあって。
今回のトークテーマに関連して、ちょっと目についたものとして、ミシェル・フーコー「性の歴史I 知への意志」。キリスト教的な社会がどのように性を抑圧してきたかという、権力と欲望の歴史の考察。

 あと、石田英一郎「桃太郎の母 ―ある文化史的研究―」は、桃太郎や一寸法師の「母」の謎をひもとくことで、母系的社会の痕跡を探求し、なぜその母が消えたのかを論じる本。稲作文化にも深く関係しており、こういう昔話は水辺にあるよね、みたいなことも書いてあって私の興味にも近くて面白かったです。

 鎌田久子 [ほか] 著「日本人の子産み子育て」、すごいタイトルですけど(笑)、日本における結婚、結婚の社会的規範のいまむかしを、助産師さんが民俗学的アプローチで書いた本です。助産師さんが出産の現場で感じたもやもやを民俗学の側面から解釈しようという……

 なんとなーくこのへんの本を今日読んでいたら、女性の性には強い抑圧がつきまとうよね、と。しかも女性が表現する性ってなると、聖的なところまでもっていかれちゃうか、見てはいけないものとして隠されるか……。男性が、感じたままにエロスを表現するのと、女性がそれをやるのとは全然違う。で、うつさんはエロを今後どうしていくつもりなのかなと思って」
うつ「私は二十五歳くらいから割と最近まで、セクシー女優さんの撮影現場にアシスタントに入ってたんですよ。スチールだけですけど。きれいな女性の水着の紐を結び直したり、髪直したり」
清水「楽しそう」
うつ「だから私、男的な視点あると思いますよ。グラビアの現場でいかにきれいに女性を見せるかっていうことを考えていたから。あと外国のポルノ雑誌は趣向として好き」
清水「キッチュな魅力がね」
うつ「そうそう。あ、あと、魚とか目玉とかも水で濡らして撮ったり……」
清水「そこって性器のイメージありますよね」
うつ「あると思います。これは濡れてなくちゃいけない、みたいな」
清水「それって触りたいとか触られたいとか、撮っている時に感じますか」
うつ「私、撮っている時に結構憑依するんです」
清水「憑依?」
うつ「被写体の気持ちになるんです。

うつ「たとえばこれとか、撮りながら、人形の感覚を想像する。こうなっているところを想像する。玉ねぎの根っこが鼻のところにくしゃっとなっている感覚とか、魚に囲まれている感覚とかが、自分の中に入ってくる。ぬらぬらしているのを感じる。全部想像しながら撮るから、撮ってる最中、結構そわそわする」

清水「これとか、私は虫嫌いだからこの状況になったら怖いと思うけど、うつさんはこれ気持ちいいんですね」
うつ「はい」
清水「私、うつさんの作品を「グロ」だと思わないのってそこで、性的にすごくポジティブなんですよね」
うつ「私20〜30歳まで付き合っていた人が、性的にポジティブな人で、お互いにすごく楽しかったんです」
清水「ああ、じゃあ、その人と結構、色々と……」
うつ「かなりポジティブに色々な実験をしてね。その時の楽しみが刷り込まれていて、だから私の性的なイメージは明るいですよ」
清水「なるほど」
うつ「今の夫はその彼から奪った割にしょっぱなからレスで……。今は別居してます」
清水「新しい、楽しい誰かを見つけられるといいですね」
うつ「だから今探そうと思って、ツイッターでレンタルうつやってるんです」
清水「あれ出会いが目的だったんですか(笑)」
うつ「私をレンタルして、お茶奢ったるするやつ。でも女の人の依頼が多いです(笑)」
清水「がんばってください。ま、とにかく、私の苦手な食材とか虫とかいっぱい写ってるけど、うつさんがポジティブだからこの写真、心地よく見れるんですよ」
うつ「もとから、触ったりとか嗅いだりとか好きで、そういう好奇心が強い。虫とか、なんかあると触ったり嗅いだりする。その感覚が写っているから」
清水「それは女性が描く性のあり方として、本質的かつ、あまり他にないかなって思っています。女性が書く小説や漫画でも、男性が描く性描写をベースに描いているなって思うものが多くて。男性が見る女性のエロスをベースにした美意識や、ときめきの表現が多い。美術におけるエロスも結構そういうのある。心のなかに男がいるじゃんっていう」
うつ「ありますね。でも全然それはそれで悪いわけじゃなくて」
清水「ええ、それを見るのは楽しいし、そうした方が女性の美しさがストレートに表現できたりもするし」
うつ「私も、もともとセクシー女優をとる世界にいたりもしたけど」
清水「ええ、それでもうつさんの表現する性は完全オリジナルだなと」

母の獣性

清水「『MOM LAND』はエロっていうのとはまた全然違う、母親という性を感じました。獣性のある出産のイメージ。性を表現するっていう意識ありましたか?」
Ika「いや…なんだろう。そういう意識はないです。普通に過ごしてて、自然なプロセスとしてあの表現が」
うつ「自然なプロセスであれが?」
清水「お母さんの股からダクトが出てたりするイメージが」
会場 (笑)
清水「女性としての、母親像の新しい形を提示しようとしているのかなって思ったんですけど。獣感あふれる母親?」
うつ「出産の時声だすじゃないですか、私ずっとあーーって叫んでたんですよ。獣みたいに。絶叫してました。あの時すごく獣でした」
清水「母親になった友達に聞くと、みんな「獣だよ」って言うので。「今、獣タイム過ごしてるよ」ってみんなおっしゃるので。そういうことを思い起こす展示だったなって思って。私は産んでないんですけど」
Ika「あー産んでみたいとは思いますね。あれはあくまでも自分の想像で作ったイメージです。うちの母親、結構出産の時のエピソード話してくれるんです」
清水・うつ「えー」
Ika「私の時、一人っ子政策で女の子が生まれると殺されたり捨てられたりしていて、性別の出生前検査が禁止されていたんです。生まれる前、男の子か女の子かわからないようにする。私が生まれた時、女の子だったからじいちゃんばあちゃんは「残念」って感じだった。漢民族は一人までだけど、モンゴル民族は二人まではOKなので、うちのばあちゃんが「女の子だからもう一人産まなきゃ」みたいなことを母親に言った。そしたら、母親が「痛すぎて無理」って言ったらしい」
清水「出産痛すぎてもう無理っていう話を聞かされたと……」
Ika「頭の骨が引っかかって、あと十秒で死ぬ、みたいな難産だったらしいです。そこに、たまたま腕のいい先生が通りかかって」
うつ「通りかかって……」
ika「一瞬ですっと出してくれたらしいです。その時、片方の目が挟まれて、その目の瞼だけ一重になったみたいです(笑)そういう話をよくしてくれて、イメージが強く残っていたから……。あと、私を産んだ時は母親の髪が長かったとか、生まれたての赤ちゃんがとても人間ぽくなくて、動物の内臓みたいだったとか」
清水「そんなこと話してくれるんだ」
うつ「それはすごいな」
Ika「それで、あの写真は羊の内臓とかを撮って。お母さんが色々話してくれてたから。それがアイディアになってた」
うつ「お母さんがすんなり産んでたら、そのアイディアはなかったかもしれないんだね」
清水「あと、お母さんがそういう話をあまり娘にしたがらない人だったら生まれなかった作品かも」
Ika「すごいなんでも話してくれる人なんですよ。でもあまりにもなんでも話してくれるから落ち込んだりもする」
会場(笑)
清水「あの獣性は、お母さん自身の語りによって生まれていたんですね。結構、母というタイトルの作品としては変わっているなと思いました。私、世の中にはびこっている母親像も好きじゃないんで。味噌汁作ってみたいな……」
うつ「味噌汁はみんなが作ればいいよね」
清水「獣っぽいお母さん、お母さんが与えてくれたイマジネーションだったんですね」
うつ「すごくいいね。モンゴル人だから、っていうのは関係あるの?」
清水「女が強いとか」
Ika「うちの親はどっちも漢民族とモンゴル民族のハーフで、うーん、どうなんだろう。強いのかなあ……。ばあちゃんは強いです。うちの母親はどうだろ」
うつ「お母さんとお父さんはどっちが強い?」
Ika「うーん難しい」
清水「難しいってことは、対等なんだね」
うつ「中国の南の方は女がすごく強いって聞いたことあります。ネットで調べた知識だけど(笑) Ikaさんの地域は内モンゴルだから、北か」
Ika「女の子の方が精神的には強いかな? でもそれって、ある意味では頭悪いかもしれない。日本の女の子はみんな可愛くて、それが武器になっていたりもするじゃないですか。それが強さみたいな」
うつ「みんなじゃないよ(笑)」
清水「ぶりっこいないんですか、中国、ていうか内モンゴル」
Ika「いや、います」
会場(笑)
うつ「もともと遊牧民だった時は女の人も強くないと生きていけないもんね」
清水「Ikaさんの実家は結構現代的なシティにありそうですが、昔の習慣は多少は残ってるんですか?」
Ika「ひとのうちにいくとコップが多くてびっくりしたっていうのはあります」
うつ「あまり余計なものを持たないっていう遊牧民の生活の知恵なんだよね」
Ika「どうなんですかね。買うのめんどくさいんじゃないかな(笑) 人の家にいくとびびるんですよ。自分の常識と違うから。自分に常識がなくて、びびる」
うつ「常識がないってのとは違うよ。それぞれだから」
清水「日本の良妻賢母みたいな典型的な母親像は、中国やモンゴルにはないんですかね」
Ika「良妻賢母って? 待って、調べます」
うつ「夫を立てて、家族に尽くして」
清水「台所でご飯食べるみたいな」
Ika「それはないです(笑)でもうちの母親が、日本の男女関係が健全だと言ってました。国家としては、男女の役割を分担した方が強くなるんじゃないかとか、すごい上から目線で言ってて、すっごい、私と衝突しました。中国は女性が働きし続けてきた歴史があるかも。でもそれって結構大変だから。共働きでも、家事は女性がやることが多いから」
清水「そこは中国も同じなんですね」
うつ「南の男は家事してますよ、多分(笑) 私は、子供が幼稚園入るまでの四年間、仕事休んだら?とか言われたことがあって、は?とか思ったけど」
清水「そういうこと、なんだか女性は言われがちですよね」
うつ「収入で立場が変わる。でも私は夫に合わせて自分の仕事の機会を減らしてきた。それなのに、そこからさらに休めとはどういうことかと」
清水「そもそも写真家の仕事が軽視されているっていうのがありますね」
うつ「ええ、ずっと趣味だと思われてて。子供が生まれたら写真やめると思われてたんですよ。謎ですよね」
清水「作家をなんだと思ってるんだ」

子供を育てることで、自分の過去を思い出す

お客のNさん「私は三月に子供が生まれたばかりなので、興味深く聞きました。私は今のところ女だからどうこうという扱いはそれほど受けてないけど、女性がやらなくちゃいけないことはどうしても多いなあと思いますね」
清水「獣タイム過ごしました?」
Nさん「無痛分娩選んだので叫びはしなかったけど、産んだ後は、同じようにダメージを受けていたので、一週間はやばかったです」
うつ「今もやばい時期ですよね」
Nさん「精神力でどうにかなってます。私も作品を作っているので、しかも会社員と兼業で、これからやっていけるかなって……」
清水「大丈夫ですよ!なんの根拠もないけど……。出産して作品に変化ってありそうですか?」
Nさん「今、産んだばかりすぎて、ちょっとわからないです……」
清水「あっ、そういえば、うつさん出産による変化ってありました?」
うつ「ないです。全然。産んだ時よく聞かれたけど」
清水「……。以前、子供産んだ友人に「私も産んで作品に変化があるかどうか経験してみたいな」って言ったら「バカ言ってんじゃないよ。出産に夢見すぎ」って言われました。そのことを今、思い出しました」
会場(笑)
清水「産んでも産まなくても人間の体は変化するしね」
うつ「ただ、時間が細切れになる。生まない時と比べたら、作品への時間のかけ方が変わってしまうっていうのはあります」
清水「それは子供がそこそこ大きくなったら解決しない?」
うつ「いや、ずーっと続きますよ。ご飯も、一人なら適当でいいけど子供にはちゃんとしないといけないし。時間が細切れにならざるをえない」
清水「それが十何年も続くわけかあ」
うつ「でも面白いですよ。子供育てることで、自分の子供時代を思い出したり」
清水「うつさんの作品における、私が勝手に悪夢的子供部屋と呼んでいる子供時代のオブセッションのイメージはより強くなっていますよね」
うつ「そう。もともとそういう作品だったけど、より強くなってる」
 
お客のOさん「私も写真やってて、子供もいるんですけど、子供がだいぶ大きくなっても大変ですよ。自分が生きてきたことを思い出す。私の娘はいま三十だから、三十の時の自分自身を強く感じてる」
清水「ああ、子供を見て、自分の子供時代を思い出すみたいなことが、ずっと続くのか」
Oさん「そうそう。しかも三十って、放浪するじゃないですか」
清水「人によりますよ(笑)」
Oさん「いや、精神が放浪するっていうのがね、あるじゃない。二十代は一生懸命突っ走ればいいけど、三十になって急に、これでいいのかなって」
会場 頷く人多数
清水「それすらも追体験する、と……。あれ、Ikaさん三十になった?」
Ika「はい。確かに、ちょっとそういうの感じますね」
Oさん「それすらもまた親が感じる」
うつ「孫が生まれたらトリプルで思い出すのかな」
会場(笑)
Oさん「孫ね、でも最近の人はあまり子供産まないらしいから……」
清水「少子化の話します?(笑)」
うつ「でも面白いですよやっぱり子供って。育てるの大変とか言われてるけど、いたら絶対面白い」
清水「そうでしょうねえ。Ikaさんもよかったらぜひ」
Ika「はい」
清水「三十の精神の放浪を一人で乗り越えちゃうと、その後の人生も一人で乗り越える癖がついちゃうから、若いうちに適当に相手を見つけて子供つくっちゃったほうがいいですよ」
Ika「えー(笑)」
清水「じゃ、時間になったので、令和とは思えない会話をしたところで終わります」



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