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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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#高齢者

父、手術予定となる

胆嚢炎と判断された膿は抗生物質でも完全に引かず、外科手術にて胆嚢自体を取り除くこととなりました。今週中に準備と検査、来週月曜日に術の予定。 一番気がかりなのは体力の消耗。腸を切ってつなげる程の負担ではない。という見方もある。ただどの程度耐えられるのかは未知数。原因が癌の転移として、腸との癒着があれば手術は一段と難しくはなる。 更に言えば、回復も含めた入院の期間延長によって、普段の生活に戻れなくなる可能性が高まること。今は入院しているものの、父は実家での一人暮らし。母は病院

俺、なんでこんなに疲労してるんだろ。

そう思うことがある。たぶん選択の誤り。 休日は釣りかパチンコ。平日は早朝から出勤するサラリーマンの父との思い出はあまりなくて、突然の入院からの肺癌告知、余命告知を受けて、なにか思い出を作りたいと思った気持ちが大きいのかもしれない。 定年してからの父との会話はそこそこ増えたけれど、今は更に増えた。10分以上話すことの無かった生活から、1時間近く話をしていることもある。すっとぼけてるところもあるけれど、人間らしさが面白い人だと思う。 「あと半年」と思って頑張り過ぎたよね。

家族にとって一番負担なこと

トイレの世話も、本人が病院や施設に居る限り家族に負担は無い。家族だからこそ手を出しにくい仕事もある。この点はとても感謝している。そうしたメンタル的な負荷の大きな仕事から開放されていても尚、体力的にも気力的にも疲れ果てている自分がいる。 水曜日に家に届いている書類などを確認し、簡易な掃除をした上で、病院へ様子を見に行って1時間弱過ごす。 父からの要望と病院からの連絡などはLINEで姉と共有。父に欲しいモノがあれば、病院の近所で買い物も済ませる。 淡々とこなせば大した仕事じゃ

病気はタスクがあるから生きがいになる

父の気持ちが少し分かったかもしれない。もしかすると「ゲーム」してるんじゃないかな。それは良い解釈では無い方で。 目的も楽しみも無い中で、治療をタスクとして受けているフシがある。けして前向きな考え方ではなく、タスクを受けることでそれをクリアさせる。だから「生きること」を目的にしちゃって、完治というゴールには何も無いパターン。ただし、そこまで見えていない。 治療というタスクを持つことで、様々な社会との接点もある。病院の担当医や看護師、細々としたサポートをしてくれるスタッフの方

年寄りを敬えとは?

昭和後半生まれは道徳の授業でもテレビの中でも「年寄りは敬うもの」「年寄りには知恵がある」と教えられてきた。今はそれほどじゃないと思うけれど、無条件で年寄りを大切にしろと言う。 それはどうかな。 人として相手と接する上で年齢って関係ない。自分が尊敬できる相手には敬意を持って接すればよいし、話が合わなければ相手にしなければ互いに都合よいもの。 敬う:相手を尊んで礼をつくす。尊敬する。 だから、ただ単純に「年寄りだから」と敬う必要は無い。敬うって無条件で出来ることじゃないよ

勝手な父

父が母の在宅介護などをするようになって、それが父の唯一の生きがいとなった。連れ添ったパートナーこその愛というのではなく、母の世話をすることで自分の仕事を見つけ出したというか、役割を見出した様だった。 僕と姉の意見は同じで「あまり仲良くなかったのにね」と。 父は、寝たきり状態となった母を自宅での世話をしていたけれど、その状況を垣間見るにあまり良い環境とは言えなかった。イラつく父の怒る声や、動きが鈍くなった母を急かす声は夜にも聞こえてきた。 母の介護を母のためにではなく、父

父の見舞いへ

いつ手が空くかわからないから、ちょっとしたタイミングで実家に向かった。高速はそこそこ流れてて、向かう移動時間は1時間。滞在時間は15分。 呼吸は苦しいらしく、完全に肺の機能が低下しているのが素人にも判る。酸素チューブを付けているけれど、音を聞く限りもの凄い強さで送られている。数値としてはspO2は80を下回る。単位はわからないけれど、調べてみると90越えが正常らしい。看護婦が度々確認をしながら、更に酸素を強めに調整してようやく90近くになった。 相変わらず肌がかゆいという

なんでもない風景

先日イケアに行った。欲しいものは特に無くて、一通り見た後にレジ先のスペースでホットドックを食べた。 隣では小学校に上がる前くらいの女の子二人がお父さんと楽しそうにソフトクリームを食べていた。 その二人がキャッキャ、キャッキャと両手をベタベタになりながら夢中になっていたんだけれど、ある瞬間に突然そろって目線がレジの方向へ。 そこにはお母さんとすぐに分かる女性が会計を終えてこっちに向かっていた。女性は子どもと目が合った瞬間にとても幸せそうな優しい微笑みを二人にむけた。 この

介護の目的って実際なんなんだ?

介護に関わる家族は一般人。だけどこの「一般人が介護する」って情報で有益だと思ったものがあまり見当たらない。 話題になりがちなのは、老老介護に多いんだけど「介護を楽しんじゃえ」みたいなもの。これは全く共感出来ないでしょ。暇人ならそれでも良いけど仕事抱えてるのよ。40代。自分の生活に他人の都合を介入させたくない。それが例え親であっても。 悩みは原因となる問題をクリアにすることが大切。介護の原因となる問題は不自由となったまま生き続ける人の存在。更に、介護って終わりが見えない上に

令和元年と記したのは入院申込書

4月末日、24時近くに令和を迎えるテレビなどを眺めていたら姉からLINEが入った。父親から調子が悪いと連絡があったので、これから家へ向かうとのこと。そんな連絡だった。 今回投与したオプシーボは免疫力を高める結果、自身の身体も攻撃してしまう可能性を担当医から聞いていた。たぶんその副作用が起きてしまったのだと思った。姉が実家にたどり着き、各所に連絡する合間にもらう情報では、今回は腹痛が酷いらしい。 とりあえずGW中に目処を付けようとしていた目先の仕事を片付けるべく、僕はパソコ

高齢者の運転免許返納へ・我家のケース

「クルマが無いと生活ができない。社会がいけないんだ」という老人の言い分だけが悲しく響く。本当に解決策は無いのかと、父の返納をめぐった考えや言葉の一通りをメモとしてnoteに。免許を諦めさせたいと願う他の家族のヒントになれば。 僕らが考える限り高齢者が運転免許を手放せない理由はいくつかあるのだけど、一番は「自分の生活を変えたくない」という思いが根底にある。父の意見でも直接的には言わなかったけれども、この点に周りが気付くと彼の反論には全て説明が付く様に見えた。 家族は高齢者講