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令和元年と記したのは入院申込書

4月末日、24時近くに令和を迎えるテレビなどを眺めていたら姉からLINEが入った。父親から調子が悪いと連絡があったので、これから家へ向かうとのこと。そんな連絡だった。

今回投与したオプシーボは免疫力を高める結果、自身の身体も攻撃してしまう可能性を担当医から聞いていた。たぶんその副作用が起きてしまったのだと思った。姉が実家にたどり着き、各所に連絡する合間にもらう情報では、今回は腹痛が酷いらしい。

とりあえずGW中に目処を付けようとしていた目先の仕事を片付けるべく、僕はパソコンに向かって集中した。

姉は最初にかかりつけ医へ連絡をしたけれど、GWで人手不足なこともあり、救急車の要請となった。救急車の隊員からも担当医のいる病院への搬送を希望するものの、担当医も担当の看護婦も居ないことから断られてしまった。

もどかしいけれど、これはこの病院が悪いとは言い切れなくて、オプシーボによる副作用(反応)が見えた場合には、父の場合、命に関わる可能性がある(緊急性が高い)旨を伝えられている。つまり担当できる医者が居ないままに受け入れる事は、命の危険性を高めることにもなる。

仕方なく、いくつか打診し家から5kmくらい離れた病院に受け入れとなった。その連絡を姉から受けて1時間ほどで、仕事をとりあえずの段階まで終える事ができたので、その病院に向かうことにした。
この時、自分のクルマなのに初めて運転するかのような違和感を感じた。クルマは調子悪くはない。身体が震えていたので上手く操作できていなかったのだ。そこまで分析できると、少し自分が冷静になれた気がした。

休日夜間の宿直医は出来る限りの検査を終えた上で、今回の腹痛は小腸の炎症に原因がありそうだ。と診断をしてくれた。
ただし、それが癌から影響している炎症かまでは追うことが出来ず、とりあえずその場での緊急入院となった。

この時入院の申込書や承諾書を僕と姉とでサインしたのだけれど、その書類に「令和」と印刷されていたことに驚いたりしながらも、姉と「令和って書くの初めてだ」って顔を合せて苦笑いをした。

今回この病院での診察は限られた情報からのみのものだったけれど、病状が悪化している今、推測するにも明らかで難しいものでは無さそう。
かかりつけの病院からも電子カルテが共有され、それらを照らし合わせながらの診断となる。かかりつけの病院とは言葉の選び方や、表現が異なるので「そういう見方もあるのか」と、とても興味深かった。

セカンドオピニオンというのは、例え同じ結果を導き出したとしても、表現や視点が異なることで、聞いている本人や家族にとっても把握出来ることが格段に増えるということなのだと感じた。

誤診を防ぐ意味で「セカンドオピニオンの必要性」を唱えられるけれども、病気に対して知識を深めるという意味でも大切な存在なのだと感じた。

そんな事を思いながら今帰宅。疲れました。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。