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年寄りを敬えとは?

昭和後半生まれは道徳の授業でもテレビの中でも「年寄りは敬うもの」「年寄りには知恵がある」と教えられてきた。今はそれほどじゃないと思うけれど、無条件で年寄りを大切にしろと言う。

それはどうかな。

人として相手と接する上で年齢って関係ない。自分が尊敬できる相手には敬意を持って接すればよいし、話が合わなければ相手にしなければ互いに都合よいもの。

敬う:相手を尊んで礼をつくす。尊敬する。

だから、ただ単純に「年寄りだから」と敬う必要は無い。敬うって無条件で出来ることじゃないよね。

誰かに対して親切に接するのは、年齢でもないし、国籍でも性別でもない。自分が皆に親切にしてもらっている様に、出来れば誰にでも親切に接したい。積極的に優しく接するというより、親切な相手には自然と何かをしたくなる。

むしろ「年寄りは〜」なんて言う年寄りは、相手に対して失礼ではないか。人として尊敬出来る欠片も見えない。

仕事でも10代20代と接するけれども、教えてもらうことも多いし、こちらが年上だからと無条件に従わせることはない。もちろん仕事上の立場として指示を受ける立場になることもあるけれど、仕事には上下ではなく役割がある。

生きることが目的になった老人を尊敬できるか

介護を必要とする上に「何かをする為に生きる」のではなく、生きることが目的になっちゃってる人に対して、僕らが学ぶのは反面教師でしかない。それが例え親であろうと。

僕は30代を越えたころから、親を「ひとりの大人」として観ている。物凄く客観的に見ることで、自然な接し方が出来る。もちろん「家族」としての贔屓はあるけれど、社会に対して「ウチの親も年寄りだから敬え」なんて言うことはない。思いもしない。むしろ医療の9割を社会に負担させてしまってすまない。と思うことがある。

親への感謝の気持ちは誰よりも強く思っている。けれど人として、生き方として、今の姿は尊敬できない。

生きるとはなんだろうか。

生活の中で国籍も性別も年齢もなく、一緒にいる相手に親切にすることは、自分にとってとても心地よいものである。「一緒に居て楽しい」という気持ちがそうさせる面もあるだろう。

最近文句ばかり言う年寄りを中途半端な田舎で見かける。人間も中途半端だ。出来れば、ただ時間を無駄に過ごしただけの老人達から距離を置きたい。

人は成長する。環境は多少影響するだろう。しかし年齢は関係ない。成長しようとする気持ちが人を育てる。
ただ時間が経てば得られる年齢なんて、成長と比例する訳がない。バカが歳をとってもバカなのだ。

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