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死ぬ気で生きぬけ

死の際にその人の人生と生への欲求が生まれる。死ぬ気があるなら一度死んだつもりで生きろ、なんていうけれどもう限界まで来た人がそこに向かうだろうか。
死を目の前にして、もしくは一度死んだかもしれない状態から、時間を巻き戻されたのか、はたまた生かされたのか。
神仏は独り立ちのためのサポートはしてきた。サポートが当たり前ではない。サポートはサポートなので当てにしてはいけない。
しかし、ここぞというときはサポートされる。それはもしかしたら、神仏ではなく、他でもないあなた自身の強い望みがやっと芽生えたのかもしれない。

自分の身分を偽らない。
自分をカタらない。

それだけで前に進む。
自分は大した人間ではないのだ。他人から尊敬されなくてもいい。他人から偉く思われる必要もない。
他人は結局、自分に関わりのある人間以外にはあまり興味がない。遠いい他人を偉いだのすごいだの崇拝する必要なんて無いからだ。

他人のことをとやかくいうより、自分に当てはめて律し、修め、験していく。

死ぬ気で生きるか、死ぬか。

死を甘く考えてはいけない。簡単に扱っちゃいけない。苦しい人生だったかもしれないけれど幸せになってほしい。
自分の幸せを自分で築いてほしい。
精一杯生きることは恥ではない。
誰にも馬鹿にされない。

死に直面して生を悟るなどなんとも皮肉に見えるが、でも死ななかった。
その悟りをもってまた生きられるなどなんとも奇跡。

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